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星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
34/53

狐火の章33 星を掴んだ花々は

新章に向けて、読み易いように改行等手直しの際、31 相応の報いを・32 裏事情 と分割をしております。


宜しければご覧下さい。

 狐火の章33 星を掴んだ花々は



 通い慣れた裏の裏口から路地に出ると、途端に賑やかなお囃子と雑踏が生み出す騒音に包まれた。

 既に雪待月の夜だと言うのに、物見高い者は多いらしい。目で追った呼気の白さで寒さを思えば、甘酒を売る屋台まで出ていて、商魂逞しさに武早は思わず苦笑した。

 折角だから一目、と目抜き通りの大混雑に身を投じると、芋を洗う様な人出がわっと沸いた。花王街に入る辻に、ちょうど清りが到着したのだ。

 武早は人込みを掻き分ける愚を犯さず、逆に数歩下がると、適当な見世の床机を持ち出した。汚れはこの際勘弁してもらおう。


 幾重にも及ぶ長い人垣。冷えた夜の旻天が、頭上を静かに埋め尽くす。その藍と漆黒の冴え冴えとした幕と地上の下賎な喧騒の境に、清りは居た。


 真打の登場で、先触れのお囃子が雅な楽に変わる。

 巨大な緋牡丹を配った朱の打掛に合わされた帯は、薄い鳥の子色の地に、縁起の良い金の丸紋尽くしの道成寺柄。そこだけ一見地味な拵えが、細い肢体に良く合った。

 態と崩した結髪は常の儘、挿した幾つもの金釵が灯明を弾いて、しゃん、と揺れる。


 笛の音に清りが合わせるのか、清りが楽を従えるのか、常にも増して着飾った清りが、ゆっくりとした調べの中で、一歩を踏み出す。その姿は正に金蓮歩。普段を見慣れた武早でさえ、その艶然さには目を奪われる程だった。


「……本当に一の姫になったんだなぁ……」


 清りは百良と切磋琢磨していたが、それは一の姫の座を争っていたのではなく、ただひたすら己の望みを叶える為、紅子の恩に報いる為だった。


 これから清りは、表面上は一人で牡丹楼を率いなければならない。


 百良が後進の未熟さを案じた訳だ。

 たとえ裏に紅子が居て、仲間達が支えてくれても、その重責は武早の想像を上回る。

 清りと百良、どちらが欠けてもこれまでの牡丹楼ではないのだと、今更ながらに武早は思い知らされた。

 妓女の艶やかな衣装は戦闘服。

 清りは蕭洛の夜に、一の姫として宣戦布告したのだ。

 その想いで振り返れば、無数の提灯を吊るした牡丹楼は不夜の城塞にしか見えない。

 不条理で容赦の無い現実と戦う為、か弱い女達が駆け込む最後の砦。

 そして、彼女達を護るのが、紅子なのだ。

 ふと、数日前に八津吉と交わした会話を思い出した。


「オヤジは……客だったのか? 紅梅の」


 我ながら本当に間抜けな話だ。

 紅子の長命を知る前は計算が合わぬと、紅子を紅梅の娘ではないかと疑ったのに、事実を知った後は考えもしなかったのだから。

 老いず死なずが本当なら、紅子こそが紅梅であるべきなのに。


 三十年前に突然姿を消した紅梅。


 八津吉と距離を置こうとした紅子。


 それが、名妓紅梅が蕭洛の夜から退場した真相。

 武早の問いに、性に合わぬ書類処理で変に据わっていた八津吉の目が丸くなった。


「馬鹿言うな。紅黒の俸給で、牡丹楼に登楼出来る訳ねぇだろうが」


 仮に百良を一晩買ったなら、一年分の給金がそれだけで吹っ飛ぶ。

 八津吉は一頻り人の悪い笑みを浮かべてから、短い思い出話をしてくれた。


「そうさな。ちょうどお前みてぇな事をして……。仲間だと思ってたな」

「直ぐに気付いたのかよ。赤紫……紅子が紅梅だってさ」

「いーや、全然。恥ずかしながら気付いたのは、紅梅が裏切り者の話を持って来た時でな。言ったろ、紅梅の奴、妓楼の外で動くのに、昔は偽名を使い分けてやがったんだ。しかもあの野郎、最初は『紫竹の紅子』の仮面を外さなかったんだぜ。当然俺は相手にしねぇだろ。そしたら急に態度が豹変してよ」


――三十年も経つと、随分威勢が良くなるじゃないか、八津吉。


「不意にそんな事言われてみろ。ありゃぁ肝が冷えたぜ」


 それから先達は、また、笑って言った。


「精々扱き使われろ、悩める若者よ」

「何だよそれ」


 武早の文句も意に介さず、八津吉は長生きはするもんだなぁと独り言ちたのだ。


「まさか三十年後に、また、あの花を拝めるとは思わなかったぜ」と。


 本当に八津吉と紅子が仲間――純粋な同志の間柄だったのか、武早には分からない。

 もしかしたら、どちらかが密かな恋情を抱いていたのかもしれない。

 ただ、武早は今の八津吉の姿に、数十年後の己を見た気がしたのだ。


 百良は紅子の傍に居る事よりも、己の道を貫く事を選んだ。

 その百良に託された自分は、果たして。


 と、再びの歓声に、武早はそんな物思いから引き戻された。

 清りが御練の終点である牡丹楼前に着いたのだ。

 随行の美姫達それぞれが、絢爛な屏風絵の様に背後にずらりと立ち並ぶ中、艶然と笑んだ清りが緩やかに舞い始める。


 観衆が響動いたのは、白く細い腕が招く様に宙を薙いだ時、ふ、と桃色に染まった秋の夜風を幻視したからか、ゆうらりと裾を捌いた時、打掛の牡丹に幻の蝶が集まったからか。

 武早は感嘆した。


 艶麗たる美貌、自信と誇り。


 加えて、上に立つ者の矜持に満ちた姿は、喩えるなら――。


「――胡蝶姫(こちょうひめ)!」


 群衆の中から、一際大きな声が上がった。

 曲を遮る無粋な声に人々が眉を顰めたのは一瞬、直後には、その意味を悟って無音の響動きが広がる。

 そして、清りが華やかで艶やかな笑みで頷いた時、歓声は最高潮に達した。


 花に喩えるなら、その姿は気高い胡蝶蘭。


 嘗て、百良に百合が献上された様に、胡蝶姫との二つ名を清り自らが好しと認めたのだ。


「胡蝶姫か……!」


 それが清りの象徴、誉れの名。


 白梅、紅梅、百合姫に続く牡丹楼稀代の筆頭妓女、胡蝶姫が誕生した瞬間だった。




  ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖




「胡蝶か。良い名じゃないか」


 武早が新たな清りの名を呟いた頃、牡丹楼の三階でも、紅子がその名を舌で転がしていた。

 外からは見えぬ様に、障子戸の陰に身を置いてはいたが、清りの舞はしっかりと堪能済みだ。

 この下の局では、美代達が身を乗り出さんばかりにして声援を送っているのが聞こえていた。


「ねえ、オババ。清りに似合いの名だろ」

「早速、胡蝶蘭買占めの手配をしないと。ああ、いっそ胡蝶紋の着物でも誂えようかね」


 紅子と差し向かい、手酌で祝いの酒を味わっていた葛音は、早くも商魂逞しいところを発揮する。

 視界の端に、胡蝶姫の誕生を見届け、独り人込みから離れて桐水へ戻る武早の姿を捉えながら、紅子もまた美酒で唇を湿らせた。

 外で奏でられている雅な曲も心地好い。


「この賑わい、懐かしいねぇ」


 葛音が珍しく上機嫌で笑う。

 その昔、牡丹楼の最上階に紅梅と言う二つ名の妓女が居たのは、都の裏社会からの孤高が暗黙の了解だった花王街を、卑劣な手段で屈服させようとした下衆に対抗する為だった。

 その男を国外まで蹴り飛ばしてやった後も、辞める時機を逸したと言うか、紅梅の売れ具合が想定外で辞めるに辞められなくなったのと、情報収集に好都合だった為、その儘ずるずると五年も続いてしまったのだけれど。


「……美しい花を咲かせな、清り」


 清りの願いは、弟妹達の幸せ。支える事。

 その優しい願いはきっと叶うだろう。

 辛苦を味わった者同士、葛音と杯を掲げて乾す。

 辛い境涯から逃れて牡丹楼で生きる者、苦しい願いを叶える者、生命と引き換えの誓いを果たそうとする者……牡丹楼で抱く想いは、哀しいものがとても多い。


 だが、その願いと想いの先に在るものは、それぞれが違う形ではあるけれど、皆が幸せだと信じている事は確かなのだ。

 だから、皆、目指す。

 摑もうとする。

 茨の道だと諭しても、多くの犠牲が必要だと説いても、彼女達の決意は変わらない。

 変えられない。

 たとえそれが、星に到る様な、星を望む様な、荒唐無稽と思える程の実現不可能な事であっても、彼女達は諦めない。

 何故なら、彼女達は、既に心を決めて此処に居るのだから。

 だから、自分に出来る事は、ほんの少しの助力だけ。

 もしかしたら、もっと積極的に働き掛ければ果たして、と思う事もある。

 誰かを見送った後は、特に迷う。

 だが、それを我が身が行っても良いものかとも、思うのだ。


 この時代(とき)には疾っくに存在しなくなっている筈の自分が、と。


 助ける力が有るのなら役立てたいと思うのは、子供じみた正義感でしかないのだろうか。

 そう思いながらも、結局は自ら定めた枠の中だけでしか動けないのに。

 それとも、そんな自分との邂逅も、運命なのだろうか。

 全てが定まっている事なのだろうか。

 これは、答えの出ない問い。

 でも、もしかしたら、自分は、答えを知りたくて、まだ人と交わっているのかもしれない。


 願いと決意の先に在るものを決して諦めぬ女達を、見捨てられないのかもしれない。


「オババ、ご覧よ。皆良い顔をしてるじゃないか」


 今、女達が、それぞれの遥かな想いを胸に抱き、揺るがぬ瞳を空へ向ける。


 願いと決意の先に在るもの――己の星を目指して。


 満座の大喝采の中、清り――胡蝶姫が、頂点を示すが如く、天を指した。

 舞の動きに紛れて牡丹楼を振り仰ぎ、信頼に満ちた瞳を、姿の見えぬ、だが居る大切な人へ向ける。

 不条理な火にも屈さぬ強き花。

 己を虐げるものに負けぬ気高き花。

 立ち向かう事を忘れず、道を貫く事を選んだ絢爛豪華な花々が、牡丹楼に咲き乱れる。

 故に人は、牡丹楼の花に魅了されるのだ。

 一心に己の星へと伸びる、真っ直ぐな花。

 それはその人の代わりが無い様に、世界でたった一輪しか咲かぬ稀少な花。


「……力を貸すよ、望むなら」


――たとえそれが、ほんの少しの助力でも。


 紅子は思う。

 きっとこれからも牡丹楼には、鮮やかに華やかに、見事に生き切る事を恐れぬ女達が集うだろう。

 そして、鮮烈にも、或いは儚げにも、誰かの心に残る、ただ一輪の。


 星を摑む花が、咲くのだろう。





                       狐火の章 終








自分が書きたい世界を、書きたい言葉で、表してみました。

読み難い部分もあったかと思いますが、最後まで読んでいただき、有難うございました。


ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


新章は他作品と並行の為、不定期更新となります。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。


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