狐火の章31 相応の報いを
新章に向けて、読み易いように改行等手直しの際、32 裏事情・33 星を掴んだ花々は と分割をしております。
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狐火の章31 相応の報いを
――擬き捕縛。
この報は、瞬く間に蕭洛中を駆け巡った。
人々が上げた快哉は遠く隣市で遠雷となって轟いたと、後に誇張されて伝わる程だった。
やっと得た安堵に都はお祭騒ぎとなり、祭日でもないのに各通りに縁日が立った。誰もが擬きの素姓を知りたがり、一方で犠牲者への追悼行事が連日催された。
その陰で、牡丹楼の筆頭妓女百良の急死の報は、関係者にひっそりと齎され、故人の生前の羽振りからは想像も付かぬ程、静かな密葬が営まれて終わった。
そして同じく、市松の内に深く携わるさる高官が、突如乱心した放蕩息子に滅多刺しで殺害された挙句、その息子も直後に咽喉を突いて自殺した醜聞も、然程知られずに片付けられた。
だが、息子が父親を殺害した直後、何処よりかの文を読み、それを燃やして灰を庭に撒き、念を入れて始末してから生命を断った事を知る者は少ない――。
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武早が静かな牡丹楼を訪れたのは、百良の初七日が明けての事だった。その間は、勿論擬き捕縛の後処理に忙殺されたのである。
本来ならば雑用係として最も忙しい筈の紅子は、身内の不幸を理由に忌引きに入り、この忙しさから逃れていたが、喪の明ける明日から出勤する事になっており、武早は八津吉から報告役を仰せ付かって、やっと脱け出せたのだった。
「……全員、素直に喋ってくれるんで、詮議役は皆首を捻ってるそうだ。逆に牢番の転属願いが後を絶たないってさ。深夜、擬き全員が凄まじい悲鳴を上げてのた打ち回るんだって。巷じゃ、犠牲者の祟りだって専らの噂だよ」
夜光が大活躍してくれているらしい。
ある意味、祟りには違いない事を武早と八津吉だけは知っているが、まさか牢番の慰留の為に打ち明ける訳にもいかぬ話だ。
「一味は元々は、方々で悪さをしていた餓鬼共が核になった破落戸集団だったよ。細工職人の見習いとか大工とかもいたけど、評判は皆芳しくないどころか悪い見本だ。仕事が長続きせずに身を持ち崩す典型だ。憂さ晴らしに一つデカイ事やらねぇか、で集まったらしい」
それが火付け押込みなのだから、救い様が無い。
世も末とはこの事だ。
「赤紫ちゃんが調べてた、盗んだ金の運搬方法や、逃走経路も裏が取れた。大和の育ての親が狐火本家の元一味で、昔話で当時の手法を大和に話していたらしい。全く、単純過ぎて灯台下暗しな話さ。都内に隠れ家を幾つも用意しておいて、襲撃後金品共々分散、朝の開門と同時に郊外に出る職人や農夫に化けて、廃村の隠れ家に集合してたって言うんだから」
「蕭洛の全家屋を検分する訳にはいかないからね。四大門の検問を今以上に厳しくしたら、流通が滞って都が干上がっちまうし」
しかし、前者に近い事を見事にやってのけたのが、牡丹楼が動かした女達だった。
娼婦から長屋のおかみ、或いは貴族の女中等、何にでも化けて何処までも入り込み、怪しいと思われる候補地を一軒一軒潰していったのだ。
だが、それでも果てしの無い作業を更に絞り込む手柄を立てたのが、はつ留だった。
紅子の勘気を恐れた笑み野が己の情報筋を総動員し、はつ留が殺害される前に調べていた全ての事を摑んだのは、例の芝居の直前。
はつ留の調査対象者が大和だった事も、この時判明した。
「はつ留殺害についても白状したかい?」
「尾行が露見て殺されたって女だな。喋ったよ。……大和が。少し前から、矢鱈と水商売の筋の女の人達が擬きについて知りたがるんで、自分の周りの見慣れない商売女には注意を払っていたところ、その網に引っ掛かったんだって。……態と隠れ家に誘い込んで殺して、遺体は人目に付かない様に荷物に擬装して、一味に城外に運び出させたってさ。運搬役の自供とも齟齬がないそうだから、間違いない」
河川敷の浮浪者が「深夜、大きな荷物を川に捨てやがった奴」を目撃していた。
夜の事で、人相風体まで証言は取れなかったが。
「丁楽で盗まれた骨董品の殆どは、まだ廃村の隠れ家に有ったそうだ。残念ながら、数点の貴金属類はばらして売られてしまってたって」
「……大和の生い立ちは、聞いたね?」
ああ、うん、と武早は疲れた様に頷いた。
「……狐火の首領の、孫なんだってな。でも疎外というか……無視されて育ったって」
孤独な少年時代に、大和の心に何が形成されたのか。或いは、されなかったのか。
見返してやりたいとの想いが憧憬に変わった時桐水を裏切り、崇拝に昇華された時、偽擬き六人を殺した。
不遇な境遇は、解る。
だが。
「……同情の余地は無いな……」
「凶賊一味になんざ、無視された方が幸せだってのにね」
安芸月二十七名。
栄屋五十九名。
箕松屋二十一名。
丁楽十五名。
偽擬き六名。
「……それにはつ留も加えないと……」
美代の生存が明かされた事で、箕松屋の犠牲者の数も判明した。
失われたこれだけの生命につり合う凶行の理由等、何処にも存在しない。
納得出来る動機を、認めてはならないのだ。
大和の自白で、栄屋と箕松屋を標的に定めた理由も、概ね紅子が推理した通りと分かった。
これで一応、五十一年前から続いた因縁の狐火騒動は落着したけれど。
腑に落ちない事は、まだ有った。
「……さっき階下で聞いたよ。百合姫……病気じゃなくて、覚悟の自殺だったんだってな」
身請けを喜んでいるとばかり思っていたのに。
望んだ事だと、とても澄んだ笑みを浮かべていたから、幸せを願っていたのに。
一体百良は、何を望んでいたのだろうか。
「やれやれ。皆、あんたには甘いんだから」
笑顔の下で武早の言動に目を光らせつつ茶を淹れていたあの嫋やかな美女は、もう居ない。
紅子が話し出すまでの間、百良の面影を捜す様に室内を見回した武早は、ふと、調度品が一新されている様な錯覚に襲われ、数度瞬いた。
改めて見れば、今紅子が凭れている脇息も、背後の屏風も鏡台も火鉢も、何もかも変わったものは一つもないのに、何故だろう。馬鹿馬鹿しいと言われるかもしれないが、芸術品としても価値が高いだろう品々が――より色鮮やかに、艶さえ増した様に見えるなんて。
武早が巡らせた視線を追う様に、紅子もまた首を巡らす。
武早と異なるのは、寂寥を感じても、言葉にしてはならない理由を背負っている事、そしてその自覚が有る事だ。
大きく長い嘆息で、本当の終幕を告げる。
表沙汰にならなかった、今回のもう一つの仕掛け。
こちらの筋立ては、百良。
百良が演じた一人舞台の観客は、百合姫の贔屓客だったさる高官と、その息子。
その舞台の幕は既に下り、語り部は典雅な城の美しき女城主である。
「……百良には、ずっと家族の仇と追ってる男が居たのは、知ってるね」
「あの、昔一族を皆殺しにした賊の?」
百良の目の前で家族を惨殺し、百良も奴隷扱いで売り飛ばした凶賊。
百良を絶望の底に突き落した仇。
「その賊は、実は、百良の父親の政敵が雇った凶手だったのだけれどね」
え、と武早は思わず声を上げた。
「素姓は分からなかったんじゃ……否」
違う。
百良は、言っても仕方の無い事だから言わない、と言ったのだ。
「そりゃ言う訳無いさ。相手を正に追い込んでる最中だったんだから」
「は?」
つまり。
「正体を摑んでいたのか!?」
「ああ。それが百良の客の一人、頭巾で素姓を隠していた奴だよ」
「なっ!?」
武早は文字通り絶句した。
「政敵は疾っくの昔に失脚して自滅していたから、百良も手を下すのは止めたのだけれどね。……仇に身を任せるなんて、どれ程悍しかったろう。それを耐えて、百良は遣り遂げたのさ」
何を、と、訊くまでもなかった。
清りがあの時言ったではないか。
自分がどうしたいのか良く考えて、一番の方法として、此処に居るのだと。
百良も言っていたではないか。
望んだ事だと。
――望み。
百良の望み等、復讐以外に何が有ろうか。
思い至らなかった自分の愚鈍さに、腹さえ立つ。
「下衆が、盗賊時代の稼ぎを散撒いて、過去を捏造し地位を買い、まんまと耀青国の高官になり果せていたのさ。でも百良は諦めなかった。牡丹楼の情報網を駆使して仇の現状を調べ上げ、臥薪嘗胆の思いで罠を張った。己の客にする為に芸を極め、一の姫百良牡丹楼に在りと名を知らしめた。そうさ、一の姫の座に就いたのも、全ては仇を虜にする為。自分を身請けさせる為に仕組んだ事さ」
それが望んだ身請け話。
「女は化粧でいくらでも変わる。少女と大人じゃ尚更さ。仇は、百良だと気付かず百良の客になった。でもね、ただ殺すだけでは駄目だった。それじゃ身請けなんてまだるっこしい事仕組む前に、此処で寝首を掻いちまえば済むんだから。それでは到底足りなかったんだよ」
足りなかった。
怒りに。
絶望に。
嘆きに。
憎悪に。
百良が味わった苦痛に。死者の恨みに。
擬き一味への、裁きと同じく。
――相応の報いだ。
そうでなければ治まらなかったのだ。
百良の気持ちが。
だから、仕組んだ。
身請け話を発端に、嫉妬に駆られた息子に惨殺されるとの、半生を費やした大仕掛けを。
「……そんな……!」
己の意味の無い言葉が更に虚しい。何故そこまでするのかとは言えなかった。
だが。
「……どうして止めなかったんだよ!」
紅子なら出来ただろうに。
言外の非難を、当人は冷ややかに迎え撃った。
「では、百良に、今直ぐ死ねと言えば良かったってのかい」
確かに、紅子の命ならば、百良は素直に従っただろう。
けれど、それは。
「止められると思うのかい、復讐が生きる糧だったのに。目標だったのに。それが百良を支えていたのに。生き長らえさせていたのに。復讐なんて止めろと言うのは、今直ぐ死ねと命じるのと同義だったのに!」
それは、或いは、生きる屍になれと命じる事に、等しかったのに。
「でも! 他に何か方法は無かったのか。そんな事をしても死者は喜ばないだろう!」
気圧されながらも、武早は抗する。
「そりゃ、遺族でもない俺がこんな事言うのは烏滸がましいと思うけどさ、でも」
違う、と紅子が遮った。
遺族ではないから、ではない、と。
「そんな事をしても死者は喜ばない……?」
漏れる様な怒気に、びり、と空気が震えた。
「自分が殺された事も無いくせに、死者の気持ちを語るな!」
百良に焼き付いたのは、百良の想いだけではなかった。
死者の無念も、怨嗟も、嘆きも、全てが百良の中に在ったのだ。
嘗て紅子の中にも、混ざって溢れた様に。
それはとても哀しい事だけれど。
「……百良は、自らの手での仇討ちを望んだんだよ。そうしなければとても耐えられなかったのさ」
己の中の激情に。
殺された者にしか、殺された想いは解らない。
他の方法等思い付かず、上滑りな言葉を吐いてしまった武早には、それは反論出来ない台詞だった。
武早には痛ましさしかなかった。
これではまるで、負の連鎖だ。
賊には当然の報いで、百良には復讐する当然の権利が有った。それは武早も認める。だが、復讐劇に無理矢理出演させられた息子はどうなるのだ。
息子の想いは、どう晴らされるのだ。
「……少しは、迷ったらしいよ」
武早の想いを感じ取ったのか、紅子は懐から薄汚れた腕輪と、百良が紅子に宛てた文を取り出した。
腕輪は百良に死の直前渡された物、文は百良の遺品を整理する際、文机の引き出しに仕舞われていた物を見付けたのだ。
綴られていたのは、紅子や皆への感謝。復讐劇の詳しい経緯。それに、心情の吐露だった。
『母の形見の腕輪を渡された時、あたくしはこれこそ運命だと実感したのです』
迷った。この儘牡丹楼での生活を続けていこうかと、決心が揺らいだ事も有った。
そんな時、目の前に差し出されたのは、母の無残な死を象徴するかの如き、あの腕輪だった。
若者が落ちぬと言った汚れも、百良には直ぐ解った。解らぬ筈がなかった。
こびり付いた、母の血だったのだから。
百良は皆の骸の前で、賊の破滅を誓っていた。相応の報いを受けさせると約束していた。
違える事は、出来なかったのだ。
だから、息子へも文を書いた。
若者の父親と自分との因縁を明かし、己にとっての腕輪の意味を語り、自分の心からの願いを、綴った。
『母の形見の腕輪を渡された時、あたくしはこれこそ運命だと実感したのです』
敢えて記した、同じ文面。
果たして若者は、百良の手紙を、己を騙した女の最期の種明かしと取ったか、それとも全てを打ち明けた上での最期の願いとしたか。
自暴自棄になり生命を絶ったのか、宜しい、と頷いた覚悟の自害だったのかを知る者は居ない。
「……それで生きる目的を遂げたから、自殺したのか……」
満足して。
武早は瞑目した。
この結末は、あまりに哀し過ぎる。
何処かで……変えられなかったのか。
せめて別の筋書きを、書けなかったのか。
「……好いた男でも出来ればと、妓女になるのは止めなかったけれど……。言い訳だね」
武早は、弾かれた様に顔を上げた。
それが誰かへの弁解だったのか、思わず漏れた独白だったのか、武早には解らない。
紅子は横を――何時も百良がにこやかに笑みながら控えていた辺りを見詰めている。
以前、紅子は言った。
自分に出来る事は、ほんの少しの力を貸す事だけだと。
言い換えればそれは、僅かな助力しか出来ないと言う事で。
その後をどうするかは、本人が決める事。
『どうか姐さんをお護り下さい』
――覚悟の自殺。
この結末こそを、百良は望んだのだ。
武早はもう一度瞑目した。
全ての死者へ、黙祷を捧げる。
――分かったよ、百合姫。
約束した。
『姐さんを宜しくお願い致します』
――ああ、約束だ。
女との約束は決して違えぬ。それが武早。
瞼の裏の百良が、笑った気がした。
――この時の紅子の呟きを武早は決して他人に漏らさず、そして以後、二度と紅子は、百良の件について想いを語る事はなかった――。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
竜の花 鳳の翼
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