狐火の章29 赦しの無い裁き
新章に向けて、読み易いように改行等手直しの際、30 葬送の琴 と内容を分割しております。
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狐火の章29 赦しの無い裁き
「……何故だ……」
武早は呻いた。
違うと、そうではないと、渇望さえして駆けた夜の闇。
心当たりが有った訳ではなく、恐らく夜光が動いている筈だと、心なしか闇が濃い辺りを――異質な闇を探しただけだった。
そうして、何故か四角く凝った昏い闇を見付けた時、行くな、と頭の何処かで声がして。
その声に従うべきだったのだ。
それは、頭の何処かで解っていたからこそ、自分自身が――心が発した警告だったのに。
最悪の形で裏切られる事を、既に自分は知っていたのに。
相談役の左の二の腕に有る、妙な跡。
それは生真面目な紅黒――大和ならば、別段可怪しくはない事。
非番の時でさえ外さぬ紅巾の、日焼けの跡。
即ち。
紅子と対峙しているのは――大和だと。
「何故裏切ったぁぁっっ!!」
最悪を思っても、まだ何処かで信じていたのに。唯一の可能性に、縋っていたのに。
全てが否定された者の魂の慟哭に、真実の裏切り者は地に這い蹲りながら言った。
「げほっ……うら、裏切りじゃねぇ……が、お前には言っても解らねぇだろうな」
幸せに育った武早には。
無論、武早にも火事で家族を亡くした不幸があった。だが、その後を八津吉と言う良き理解者に支えられた。
見守られた。
存在さえ無視された俺とは違う――と。
それに関しては紅子も同感だった。
だが寧ろ、解らぬ方が良いのだ。
――それは、とても幸せな事なのだから。
泣く寸前の子供の表情にも見える武早を無視して、立てぬ大和の手から紅子が匕首を蹴り上げる。
弧を描いて跳んだそれを、見事な足技を披露した自身が受け止めた。
ぎらり、と月光に不気味な刀身が曝される。
「ま、待て! 殺すな!」
無感動に見上げた大和ではなく、武早が思わず止める。
紅子は、殺しゃしないよ、と言った。
「擬き一味には、これから、相応の報いって奴を受けてもらわなければならないんだから」
武早だって赦せなかった。だが今この時武早は、自分の怒りが凶行に対してなのか、裏切った大和に対してなのか、明言する事が出来なくなっていた。
それとも、両方なのだろうか。
私憤と公憤。……人が覚える感情は、どちらの方が率直で、どちらの方が激しいのだろうか。
解るのは裁きを激情に任せてはいけないと言う事だけで、紅子の言葉も、賊に公正な裁きを受けさせる事だと理解したのだが。
殺される事の意味を、殺された者の痛みを知る紅子の意図は、違ったのだ。
「生憎、わたしには、死後の世界の有無なんて分からない。だから、どんなに痛めつけても一度しか死なないんじゃ、こいつ等への報いが相応だとは思えない。死んだ後で魂だか魂魄だかが永劫切り刻まれるってんなら、今此処で喜んで八つ裂きにでもしてやるが」
――一度しか?
訝る武早を無視して、紅子は夜光を呼ぶ。と、不意に大和が四肢を硬直させた。虚ろな目、涎さえ垂らした大和を、紅子は冷たく嗤って見下ろした。
宣告する。
「今のあんたの体は、何一つ、思う儘にならないよ。――そう、心の臓の鼓動さえも」
「がっ! ああっ!」
途端に大和が苦しみ始め、紅子は、夜光、遊ぶな、と、本心とは真逆の等閑な口調で窘めた。
「どうだい、体を操られる気分ってのは。ああ、声が出せないんじゃ答えられないか」
夜光、と四度呼べば、何処をどう拘束が緩んだのか、息も絶え絶えな大和が悪態を吐く。
「こ、の、化け物……!」
「言ってくれるじゃないか」
否定はしないが、と紅子は更に嗤う。
「でも、あんたは、心が人じゃないだろう?」
「あ、赤紫ちゃん、一体何を……」
「勿論、相応の報いを受けさせるのさ」
相応の報い。
それは。
赦しの無い裁き。
「――夜光」
五度目は、その場には不釣り合いな、美しい声だった。
慈母が吾子に優しく優しく呼び掛ける様な。
天女が奏でる弦楽の様な。
或いは、人の手では決して作り出せぬ、蒼天の最も澄んだ部分を薄く切り取り、精緻に、慎重に、天界の名工が心血を注いで組み合わせたが如く妙なる音で歌う――妓女の美声の様な。
「――約束の、極上の闇だ」
――後で格別美味い闇を喰わせてやるから。
武早は目を剥いた。
闇とは――心の闇だったか。
「待っ――!」
紅子から、黒い陽炎の様な物が立ち昇る。
「存分に喰らいな」
先刻大和が銀光を見た様に、武早は、夜を切り裂く黒い雷光を、見たと思った――。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
竜の花 鳳の翼
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