狐火の章2 51年前の惨劇
新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。
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狐火の章2 51年前の惨劇
今から五十一年前の庚真二年令月、まだ雪の解けやらぬ三日の深夜。
狐火を名乗る盗賊が香良町白大路近くの老舗呉服問屋藤間に押し入り、家人奉公人合わせて三十二名を殺害、蔵から大量の金品を運び出した末、火を放った。
乾燥していた時季でもあり、隣の廻船問屋浪柄、料亭筒井他五軒が全焼。火事は死者五名、負傷者七十八名を出して、漸く鎮火。
同業者や、出入りの商人の話で、藤間の蔵には三千両程が有ったと思われる。
憎らしいのは翌日昼、清竹陣屋に狐火から「稲荷への布施を頂戴。狐火」との文が届いた事だ。
犯行声明である。
当時の記録者も余程腹に据えかねたのか、頁の端に「賽銭だ戯け」と殴り書きしてある。
笑い話の様だが、裏を読めば、溜飲を下げる方法がそれしか無かったとも言えるのだ。
事実、完全に虚仮にされた清竹は、非常態勢を敷いて警邏と探索に努めたが、その努力を嘲笑うかの如く、五日後、今度は黒大路に面した茶問屋三島に現れ、十四名を殺害、七百五十両を奪い放火したが、風が無かったのが幸いして延焼はせず、代わりに焼け残った門柱に「狐火の貰い火御免」と、何処までも人を喰った紙が貼り出されていた。
しかも、金額と火勢、どちらが物足りなかったのか、二日後には黒大路太平町の材木商紀の屋、三芳町両替商末富士を同時に襲い、死者四十七名、被害額四千三百両との数字を一晩で叩き出し、この時の火事は黒門付近まで迫る程だった。
この後、もう二軒の商家を襲撃し、漸く狐火は蕭洛から姿を消す。暗躍の場を移したのだ。
国内の被害総額は当時の蕭洛の年間予算額を上回り、他国も合わせれば天文学的数字になると言われる。
当時、辛うじて得た情報に依ると、狐火は常時数十人を抱える盗賊集団で、頭領の狐火は既に五十に近かったと言う。
だとしたら、と紅子は書を閉じた。
どう考えても、本人はくたばっている。さもなくば、骨か干乾びた木乃伊に違いない。
血族か配下が後を継いだか、何処かの馬鹿が真似をしたか。成程、捕り方がそう考えても可怪しくはない話だ。……が。
「……違う」
紅子は知れず、小さく洩らした。
前の二者の可能性も皆無ではないが、だとしたら、これだけ自己顕示欲の強かった集団だ。新頭目を得て、陸でもない活動を再開させたのなら「二代目参上!」位の事は文で寄越すに違いない。
模倣犯ならば尚の事、自分達を「狐火の後継者」だと周囲に認めさせたい筈である。
犯行声明と清竹への愚弄が、狐火を「狐火」だと周知させるのだから。
残る可能性としては――。
「何が違うって?」
「!」
背後の至近距離で突如した他人の声に、紅子は、素で振り向きざま肘を突き出していた。
相手にしても不意打ち、躱せる距離と時宜では無かった筈だが、それを難なく受け止められた紅子は、柄でもなく狼狽し、だが同時に失態に気付いて、平凡な婦女子が取るであろう思われる「驚いた弾みで後ろの人を打ちそうになった」風を取り繕った。
何の取り得も無い「痴漢に遭っても悲鳴すら上げられぬ風な小娘」が、防がれたとは言え、この状況で最も効果的な攻撃を繰り出すのは可怪しいのだ。
「も、申し訳ありません……」
語尾を震わせ消え入りそうなか細さもおまけすれば、幸いな事に、相手は一瞬面食らいながらも、直ぐに破顔してくれた。
上手く丸め込ま……引っ掛か……誤魔化せたようだ。
「いやいや。俺が驚かせたのも悪かったんだ。ところで君が清竹紅一点の紅子ちゃんだね?」
「左様です……」
おや、言い得て妙だと笑う男を、紅子は気付かれぬ様、素早く検分した。
年の頃は二十五、六か。六尺を超えんとする背に、一見細身な体躯。
だが、身のこなしからして、優男では有り得ない。
黒に近い程の濃紫の髪は長めだが、決して不精故ではなく、毎朝鏡の前で確認しているのだろうと雰囲気で知れ、精悍と端整の間で微妙な均衡を保つ容姿の中で、青灰色の瞳が明るい覇気を宿す。
見覚えは無いが不審者でもない。
問題は紫札の有無ではなく――。
「……何故紅黒の方が此処に居るんです?」
そう。男の左腕には、白さも眩い布が巻かれていたのだ。
白巾の結び方は陣屋、各組番屋で異なる。これは万が一、最悪の不幸な事態となった時、身元確認の一助とする為だ。
結び方と端の大きな「一」の字からして、陣屋所属の紅黒と思われるその男は、演技半分で声を尖らせた紅子に、悪戯っぽく笑って見せた。
「ん? 紅ちゃんは、まだ聞いていないのか」
「……此処に紅と言う名の者は居りませんが」
紅子は即断定した。
間違いなく、紅子の嫌いな性質の男である。
「じゃあ紅子ちゃんには、これから発表されるのか。今回の連続火付け強盗事件を受けて、うちと清竹で共同捜査する事になったんだ」
冷徹な反応も意に介さぬ男は、あくまで己の調子を崩さない。
訂正する方が調子に乗るかと、紅子は無視する。
それより続きが問題だ。
「共同……つまり、手を組んだって事ですか」
「そ。清竹長の肝煎りで。日頃の不仲は脇に置いといて、この巫山戯た野郎を何とかしないと、俺達もおちおち恋人の所にも行けないからさ。先ずは、てんでにやってた夜回りを組織しようってね。俺は派遣組の武早。宜しくね」
やっと思考が子供水準に追い付いた様だ。
五十一年前の失態を再現するよりは、手を組んだ方がましと考える辺りは、まだ救いが有るか、と、紅子は冷めた思考を巡らせた。
市松の内と民への建前か、案外両長が本気で共闘を考えたか。
まともに機能するかは別だが、と皮肉に染まった隙を――不覚にも、また、衝かれた。
「おや、結構な美人さん」
顎の辺りまで伸ばした紅子の前髪。それを、武早が、慣れた手付きで不意にかき上げたのだ。
額までを露にされては、無礼な手を振り払ってももう遅かった。
驚愕と、二度も易々と接近を許した屈辱とが、三年間被っていた仮面を剥がされ読み取られる。
男の表情に好奇心が漲り、紅子は、ち、と舌を打って顔を顰めた。
「訳有りかな、美人さん。こんなに綺麗なのに、顔を隠して勿体無い。髪も……染めてる?」
一見黒い紅子の髪。だが内側は、光の加減で燃える様な赤毛に見える。
あまり身形に構わぬ振りで伸ばした髪の帳が除かれれば、現れるのは、蛾眉の下の強い意志を宿した、紅玉の様な瞳。
紅を引かずとも紅いふっくらとした唇は瑞々しく、白く肌理細やかな肌は吸い付きそうな程柔らかだ。
今は怒りで険の有る眼差しの華麗な美女だが、表情を改めれば、どんな男も蕩かせる極上の佳人になるだろうと思われる。
書庫の薄暗さは何も隠してくれず、紅子は誤魔化す無益を悟って、更に顔を顰めた。
「褒めてくれて有り難う。顔を隠しているのは、男が寄って来て鬱陶しいから」
最早態度も取り繕う必要が無い。
顎を上げ、傲然と胸を反らし、紅子はぬけぬけと言い放った。事実だ。
武早が感心した様に頷いたのは、この美貌で、謙遜抜きでここまで言い切ると、いっそ小気味が良いと思ったからだろう。
「お見事。名は体を表すってのは本当だね」
紅子の美貌と不遜な態度、一体どちらを称えたのか。
武早は素直な賞賛を洩らすと一転、ところで、と、心持ち後退していた紅子の腕を摑んで引き寄せた。
書架に華奢な体を押し付け、己の腕を紅子の両脇に付いて捕獲する。
「先刻の質問。何が違うのかな」
「……」
「読んでいたのは昔の『狐火』の記録だったよね。やっぱり清竹でも関連を疑ってるんだろう? 話を聞く限りじゃ手口はまるきり同じだろうに、一体何が違うって言うのかな」
紅子は今度は内心で舌を打った。
この男、ただの女誑しのヌケ作ではない。
しかし。
「……他人の意見を横取りする前に、自分で検証なさったらいかが? 貴方が不心得な侵入者ではなく共闘が本当なら、資料を漁っても誰も咎めはしないでしょうよ」
体格差にも怯まず、紅子は薄く嗤って見返した。
武早は、間違いなく、紅子の嫌いとする性質の男の典型である。
しかも、軽佻浮薄の裏に、油断出来ぬ部分を隠し持っている。
そんな男を、信用出来るか見定めもせず、素直に教えてやる程、紅子は安楽な人生を送ってはいなかった。
「おや、剣呑。その態度は俺が紅黒だからかな? それとも……男だからかな?」
「両方」
薄暗い密室に、至近距離で二人きり。
思わせ振りな武早の台詞も、紅子には何の感銘も動揺も与えなかった。
即答し、一拍後付け加える。
「強いて言うなら、勘」
言葉遣いからも仮面を外す。
その苛烈さに、流石の武早も二の句が継げずにいると。
「おい、武早、居る……おい」
不意に室外でどたどたと賑やかな足音がし、次の瞬間には、時が飴色にした戸が勢い良く引き開けられていた。
咄嗟に背けた顔の影で、紅子は眉を顰める。
戸が壊れたら困るだろうが。
「……お前なぁ、女と見れば見境無く……」
どうやら、派遣組のお仲間が、姿の見えぬ武早を捜しに来たらしい。
呆れた口調で気付いたが、確かにこの状況は、前後の事情を知らなければ、武早が紅子を口説いている様に見える、と言うか、それ以外に誤解しようが無い。
「ち。良いトコだったのに」
何処が!? と突っ込みたくなるのを、紅子はぐっと堪えた。
誤解は不本意だが、助かったのは事実だ。
恥らう振りで、武早を押し退ける。
「気を利かせろよ、大和」
「阿呆。お前こそ状況を理解しろ。大房で第一回共同作戦会議だ。俺達の事も紹介するってよ。こういうのは初めが肝心だってのに、どうしてお前は嘗められる様な真似を……」
同僚の嘆き節で、武早の日頃が容易に窺える。
早く、と、急き立てられ、渋々体を離した武早だが、流石に一筋縄ではいかなかった。
紅子が人前では気弱の仮面を被ると察し、強く出られぬと踏んで、離れ際、魅力的な低声で囁いたのだ。
「またね、赤紫ちゃん」
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
竜の花 鳳の翼
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