狐火の章28 歪みの果て
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狐火の章28 歪みの果て
「安芸月直後は誰一人、連続火付け押込みになるとは考えていなかったからな。やった本人達でさえだ。警戒が甘くてよ。育ての親に聞いてた裏社会の伝手を使えば、直ぐに奴等に近付けた。阿呆共を操るのは楽だったぜ」
首領には成り代わらず、相談役として、知る限りの初代の知識を伝えてやった。
脱落者は容赦無く処分した。
擬き一味は瞬く間に生まれ変わった。栄屋の大仕事も見事にこなせる程に。
だが、二代目を名乗る事は出来なかった。
何故なら、安芸月の時は狐火を知らぬ儘の犯行だった為、犯行声明を出さずに終わってしまったが、にも拘らず栄屋で二代目を名乗っては、安芸月に遺恨有る模倣犯、或いは便乗犯が動機を隠す為に偽装したと誤解される恐れが有ったし、何より、既に病没したとは言え、二代目は居たのだ。
正統ではない大和には名乗りたくても名乗れぬ名跡を、永劫あの世へ葬り去ってしまった二代目が。
――何時しか狐火は、大和にとって神聖なものになっていた。
憧憬の対象であり、崇拝さえし、偉業は金剛石に彫り付けたが如き不変の指標になった。
祖父の犯行は完璧だった。
しかし、それを、擬き擬きが汚した。
「汚した?」
「そうとも。あんな中途半端な仕事で俺達を讃える? 巫山戯んじゃねぇ。一人も殺せず、火も小火で終わっちまったってのに、そんな出来損ないが、俺達の模倣犯だのと言われるのは我慢がならねぇ。狐火に関わるものは全て完璧でなければならないんだよ!」
――本当に、歪んでいる。
あんな失敗作は認められぬと吼える様に叫んだ大和を、紅子は最早人とは思えなかった。
誰からも顧みられぬ事で歪んでしまった、大和の心。
だが、人であるならば越えてはならぬ一線が在る事を、教えられずとも知っているものだ。
しかし、大和にはそれが無い。
認められない、我慢ならないとの自分だけにしか通用せぬ規範で、躊躇い無く六人を殺害するとは。
「役人から素直に握り飯を受け取らせたのは」
「飴と鞭の懐柔策だと最初にネタを露見しただけさ。飴役だと言った相手が、まさか特製猫いらずを仕込んでいるとは考え難いだろうよ」
――ああ。
「……読みが当たったってのに、こんなに嬉しくないのは初めてだよ」
歪んだ矜持。
歪な精神。
で、あればこそと、今宵の罠を仕掛けたのは自分だけれど。
矜持に誇りに働き掛け揺さ振って、見え透いた手に乗せたのだけれど。
「虫酸が走るねぇ……!」
反吐が出る。
狐火になりたかった、大和の歪んだ欲望。
「……逃げ果せると思ってんのかい?」
「さあ? どうだろうな」
紅子の声の質が、極北の氷よりも冷えた。
にやり、と大和が懐から匕首を出す。
「紫竹ののだって、俺を生かして捕らえる気は無ぇんだろ? だから俺が一人になるのを狙ってた。お調べじゃなく此処で訊き出した」
「さあ? どうだろうね」
紅子は鬱陶しい前髪を掻き上げた。
怒気を孕んだ双眸が、獣の様に、らん、と燃える。
「でも取り敢えず、一発この手でぶん殴ってやらないと、どうにも気が済まないねぇっ!」
それが、合図だった。
ぞわり、と、紅子の背後、夜光が生まれたこの世非ざる暗がりから、真実の闇が放たれる。
だがそれは大和に向かわず、周囲を大きく囲い切った。捕らえる為ではなく、逃がさぬ為の檻を造ったのだ。
完成と同時に、紅子が地を蹴る。
匕首を物ともせずに大きく踏み込むと、強烈な蹴撃を放った。
咄嗟に左腕で防御した大和が匕首を突き出すも、一拍早く、紅子は鮮やかな後方宙返りで身を躱していた。
「……殴るんじゃなかったのかよ」
「なぁに。これは挨拶代わりさ」
ふわり、と風も無いのに紅子の衣が揺れる。
ざわり、と闇に溶けそうな黒髪が、朱を放って膨らむ。
夜光ではない。怒りだ。
歪んだ心の在り様に。
蛮行に。
信頼に背いた事に。
そして、それ等を何一つ悔いていない事への。
内側から湧いた、華奢な体を突き破らんばかりの猛烈な怒気が、渦さえ巻いて他を圧し始めていたのである。
夜光も長い――本当に長い付き合いだ。激怒した紅子には助勢無用である事、己の役目はまだ先である事を心得ていた。
「――一つ、言っておく」
紅子の瞳が、赤い残光を引いて、大和を捉える。
信頼を裏切った、真正の――背信者を。
互いの呼気が、深夜に細くたなびいた。
「わたしの裁きに赦しは無いよ!」
「ほざけ!」
大和は知っていた。紅子に闇が有る事を。
偽擬きを捕らえた時の、あの一瞬の闇を、板塀の影から目撃したのだから。
何故あの闇を用いぬのかは不明ながら、だからこそ、己の勝機が今にしか無い事を理解していた。
どれ程足掻こうとも、得体の知れぬ闇には勝てぬ。
だが、紅子が身一つで挑んでくる今なら。
今しか。
その一念で、まるで紅子の屍を越えねば活路が無いかの様に、刃を突き込む。
隆々たる筋肉が戦意と殺意に高揚し、甲高く空さえ裂いて、凶刃が幾度も閃く。
大和の力に、紅子は速度で抗した。
紫竹の護身術の域を越えた見事な体捌きで受け流し、刃を躱し、的確な一撃を叩き込もうとするが、矢張り空手と体格の差か。
それとも、怒りと狂気の――執念の違いか。
次第に、紅子が後退する頻度が増した。
「どうした! 俺を裁くんじゃねぇのかよ!」
そうと察した大和が、嵩にかかって攻め立てる。
頰の間近を過ぎた刃が冷たく黒髪を数本斬り散らし、じゃり、と沓裏で砂が滑った。
あ、と紅子が顔を顰め。
勝った、と大和が顔を歪めた、その時。
「――大和!!」
聞こえる筈の無い、第三者の悲痛な叫び。
同時に。
「――甘いよ」
致命傷を狙って力んだ体。
大きく腕を翳して空いた胴。
そして、天啓の様に現れた者。
――呼び込まれた。
窮地を装った紅子が、にんまりと笑う。
「――夜光!」
夜光。それは闇ばかりの世を照らしておくれと、付けられた名。
闇の中の、ただ一条の、光。
「! ――手前!」
またしても罠だと気付いた時、大和の視界を銀光が埋め尽くした。
鍛え抜かれた体躯を貫く衝撃が、紅子の掌底から撃ち放たれていた。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
竜の花 鳳の翼
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