狐火の章27 背信者
新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。
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狐火の章27 背信者
――罠だった。
何処をどう逃げたのか。
突如招集され、訳も解らぬ儘向かった箕松屋跡。同僚達と潜んだ暗闇から、其処彼処で同じく息を殺す捕り方に気付いた時にはもう遅く、浪人達に異変を知らせる術は取り上げられていた。
吹き鳴らされた笛は高らかに終焉を突き付けてきた。
万が一にも仕損じぬ様にと、使い手を差し向けさせたのが唯一の幸運か。激しい戦闘のどさくさに紛れて、その場を離れる事は出来たけれど、きっと今頃、家にも追手が掛かっているだろう。
どの道、夜では城外に出られない。毎回の襲撃の後に、一味が散り散りになって朝まで潜む隠れ家のどれかに身を隠すしかなさそうだった。
それにしても、と忌々し気に打った舌打ちが、夜の闇に大きく響く。
――裏で糸を引いていた、あの女。
武早と八津吉だけで、紫竹まで借り出す策が出るものか。全てあの女の差し金に違い――。
「……?」
前方に口を開くのは、都の大路にも、城外の草地にも、大川の川面にも、等しく下ろされた夜の帳。
だが、何故だろう。何か異質な気する。
見極める様に暗闇に慣れた目を細め、見覚えの有る、しかし馴染みの無い闇に記憶を刺激され、ぎくり、と足を止めた時、その声は、今宵の一条の月光の様に降り掛かった。
「――どうしても、知りたかった事が有るのさ」
闇夜、或いは深淵を、切り裂き薙ぎ払う、どこまでも鋭い光の宣告。
その、主は。
「危険と承知で、何故、偽擬き共を敢えて殺す愚挙に及んだのか。それさえなければ、わたしは、裏切り者の存在を、疑念から確信へとは変えなかっただろうに。是非とも教えてくれないか」
何時ぞやの夜、その偽擬き六人を呑んだ、悍しい闇色の影。
何の変哲も無い夜闇だった暗がりが、まるで猛毒を一滴垂らしたかの様に、黒さの質を変える。
澱んで、凝って、有史以来の全ての人の負の念を煮詰めたが如きその昏い淵から、血の様に赤い女は、現れて、言った。
「ねぇ――大和」
そこには意外な裏切り者に動揺する気配は欠片も見えず、大和は、己が掌で踊らされていた事を悟る。
全ては、自分に大きな狐の尻尾を出させる為の大仕掛けだったと言う事か。
「……武早を使えば、絶対に引っ掛かると思ってたよ」
「……何時から俺が怪しいと?」
「さあて。強いて言うなら、勘なのだけれど」
懐かしい台詞に、紅子は笑みを薄く閃かせた。
口にしたのはつい昨日の様な、或いは一年も経っているかの様な気がする。
それだけ、多くの事が起こった。
多くの生命が、失われた。
「あんたが偶に見せるわたしへの態度が、どうも気になってねぇ。異常な程鋭い値踏みの視線を向けたり、武早と話している所に何気無い振りで現れたり。始めはそっちの趣味で、わたしと武早の間に割って入ろうとしているのかとも思ったが、違った。あんた、わたしをそれとなく張ってたんだろう?」
その考えで色々顧みれば思い当たった。
八津吉の命令を口実に書庫に現れた時も、目当ては武早ではなく紅子を探る事だったのだ。
「あの時は、何故か女共が俺達の事を探っていると耳にした後で、探索方の真似事をする女の心当たりは、紫竹ののしかなかったんでな」
「……真似事とは言ってくれるねぇ」
裏切り者の正体。武早が一番に除外されたのとは逆に、一番に紅子の脳裏に閃いた名は、大和だった。
その模糊とした疑念に明確な名を与えたのは、実は武早の率直な感想で。
『己を偽って敵陣に潜んでいるだけでも強心臓だってのに、その上毒殺を短時間で決意してやってのけるなんて、どれ程大胆な奴だ』
強心臓。大胆。
それは、言葉を変えれば、常に冷静で――油断がならぬ相手と言う事で。
武早を除くと、思い浮かぶのは唯一人。
初対面で、紅子自身が警戒対象にした人物。
加えて。
「それにさぁ、あんただけなんだよ」
裏切り者の疑念よりも先に、うっすらと抱いた違和感。
それは本当に薄く朧げで、自分ですら感じた直後に瑣事に紛れ、大和を調べさせるまで思い出しさえしなかった事。
「本家狐火を、初代、と言ったのは」
本家を初代とする事。
それは即ち。
擬きを二代目と認める事に繫がる。
つまり、その意味は。
「……まさか裏切り者こそが本家の関係者だったとはねぇ」
く、と大和が、唇の端を歪めた。
濃緑の瞳から夜の闇に、どろりと狂った様な悪意が漏れる。
巷間に低く囁かれた、狐火の落とし胤説。
大和こそが、狐火の血縁者。
「あの一言だけで、よくもそこまで辿り着いたもんだ。――尤も、噂は俺が流したんじゃねぇが」
「へぇ?」
「奴等を狐火みたいだと褒めてやったら、向こうが勝手に初代に興味を持ったんだよ。蛇の道は蛇。当時を知ってる年寄りはまだそこそこ顕在でな。呆けてねぇ爺共から聞き出す内に、色々察したらしいぜ。人の口に戸は立てられねぇからな。擬きが初代を調べてると知れりゃあ、勘繰る連中も出てくるって寸法よ」
紅子は赤い双眸を刃の様に眇めた。
道理で、百良でも噂の線からは収穫が無かった訳だ。
「じゃあ、気付いたご褒美に教えておくれよ。何故危険を冒して、偽擬きを殺したのか」
それか、と呟いた大和の瞳に、初めて悪意以外の――純粋な怒りが混じった。
「余計な事をしやがったからだよ」
「余計な事?」
そうさ、と大和は怒りの儘に吐き捨てた。
「出来損ないのくせに……!」
初代には嫡男が居た。正統な二代目狐火だった。
大和の父は妾腹、引き込み役の筋で、大和も認知すらされなかった。
正義の紅黒になったのは、祖父とは真逆の役目に就く事で、一矢報いてやりたかったからか。
溜飲を下げたかったからか。
だがそれも、祖父の偉業をなぞるが如き一件目の跡を目にした時、細やかな反抗心等吹き飛んだのだ。
雷に打たれた様な衝撃だった。
凄いと思った。
祖父は人の手でこんな凄い事をやっていたのだと思った。
今からでも遅くはない。偉大な祖父に少しでも近付きたくなったのだと力説する大和を、紅子は吐き気を堪えて睨め付けた。
凄いではなく酷い、だ。
矢張り大和は、心の在り様が恐ろしく歪んでいる。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
竜の花 鳳の翼
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