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星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
27/53

狐火の章26 もう一つの詭計

新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。


宜しければご覧下さい。

 狐火の章26 もう一つの詭計(ばくち)



 武早は、右の袖口で乱暴に額の汗を拭った。

 悲鳴を上げる心臓を宥める様に、浅く速い呼吸を繰り返す。

 代わりに痛み始めた咽喉を無視して唾を呑むと、引き攣れた奥で血の味がした。知らぬ内に、口の中を切っていたらしい。


 くそ、と吐いた悪態は一体誰に対してか。紅子の指示で八津吉が要請した紫竹捕り方、何れもかなりの腕前だと聞いていたが、不貞な浪人四人に対して倍に相当する数でも、賊徒の鎮圧には時を要した。全員生け捕りは直ぐに諦めたにも拘らず、三人を斬り伏せるのに紫竹一名が深手を負い、紅黒二名が浅くとも無数の傷で血達磨になったのだ。

 幸い三名とも生命に別状は無かったが、武早は今宵、浪人達が隠れ家に居なかった事を心から喜んだ。

 八津吉の隊は残りの捕り方が総動員されたが、もし対峙していたら乱戦の中でどれ程の被害が出たか、考えただけで冷や汗が出そうだ。

 けりをつける様に、大きく息を吐く。

 惨い焼死体は見慣れているのに、原形を(とど)めた斬殺死体の方が目を背けたくなるのも妙なものだ。生々しいからだろうか。


 箕松屋の跡地はまた血に穢れてしまったが、もし箕松屋の人々の霊がまだ彷徨っていたなら、これで少しは無念が晴れたのではないか、と感傷的な事を考えて、漸く武早は最も感傷的になっているだろう少女の事を思い出した。

 こんな惨いものは見せられない、と慌てて辺りを探す。

 が。


「……あれ?」


――居ない。


 暗闇で見落としたか、と仲間から松明を借りて周囲を見回す。

 だが、紅黒紫竹の人だかりにも、先程まで自分達が潜んでいた物陰にも、それらしき姿が無い。

 己の家の跡地で、悲しみを抱いて佇んでいる姿も無い。

 気付けば紅子も。

 それに。


「……居ない……?」


 ()()()()()()


 ぞくりとした。


 戦闘で掻いた汗が秋の夜風に冷えたのではなく、最悪の予想に体が震えた。

 噴き出した汗を、今度は左の二の腕の辺りで擦る様に拭って、直後、武早は雷に打たれた様に硬直した。


「……まさか」


――そうなのか?


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 漏洩経路を絞る為ではなく。


「……()()()()()()使()()()()()……?」


 芝居の()()()に、自分を指名したのか?


……この時、武早は驚愕に凍り付いた心算だったが、不意に動きを止めた武早を訝った同僚は後に「何かに怯えた、或いは酷く傷付けられた子供の様な表情だった」と語った――。


 ()()()()()に、己が左の二の腕を押さえる。


 ()()()()()()()()()()()


「……悪い、後を頼む」

「え、おい」

「先に戻っててくれ。()()()()()()()()から」


 そう、きっと八津吉は、紅子の意図に気付いている。

 だから武早(じぶん)を此方に回した。恐らくは、それも紅子の指示で。

 異議を唱えなかった。


 駆け出す。


 闇雲に探すしかない己が無力で、枷を嵌めた様に足が重い。気だけが急く。

 向かう先の夜陰が、ぽっかりと口を開けて待ち受ける、惨憺たる未来の様に思えた――。




  ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖




 牡丹楼には、二箇所の戦況が逐次報告されていた。


 隠れ家急襲の八津吉隊に負傷者と聞けば一憂し、箕松屋跡地で戦闘開始と知れば、各局で身を乗り出して伝令に詰め寄った。

 特に、今晩箕松屋側で起こる事には、暫くの間皆で面倒を見た美代が大役(おとり)を任されている。擬き一味がまんまと美代に喰い付いたとの報だけでも一喜した。


 今宵はどの局も赤々と灯明が絶えぬのに、何故か妓女達が頭痛、血の道、気鬱の病等々で揃って臥せり、楼主葛音は八割自棄糞で、厨房に開店休業を宣言したと言う。

 だがそんな牡丹楼で唯一客を迎えていたのが、筆頭妓女百良、通称百合姫の局であった。


「……今晩は、どの局も随分と賑やかだね」


 他の局の気配を感じさせぬのが売りの一つである牡丹楼で、これは異例の事態と言える。

 至急お会いしたいとの文で駆け付けた若者は、今宵の期待に胸を膨らませつつ首を傾げた。

 不思議と言えばもう一つ。この部屋にも隣の寝室にも、床が延べられていないのだ。


「ええ。今宵、今正に、あたくし達の大切な方が、大一番に望まれていらっしゃるのですわ」

「おや、妬ける物言いだ」


 冗談めかした中に、一片の嫉妬が閃く。

 直ぐに理性に抑え込まれたが、酒肴も勧めず帯も解かぬ百良が呼び出した用件を切り出すと、理性の蓋を呆気無く吹き飛ばし噴出した。


「身請けだと……!」


 理不尽な激昂が声となって迸る。

 装っていた「度量の広い若者」の仮面を吹き飛ばす。


「何処のどいつが俺からお前を奪おうと言うんだ……!」


 百良は内心で目を眇めた。

 若者の醜い悋気。歪んだ独占欲。


 これが必要だった。


 ()()()時を掛け、殊更に煽ってきたのだ。


「断れ。お前程の女なら落籍を望む者は多いだろう。袖にしても文句等言われるものか」

「無茶を仰る」

「ならば俺が身請けしてやる。俺の妻になれ。それで万事治まるではないか」

「それこそ出来ぬ相談でございます」


 百良は居住まいを正した。


 美代は心を決めた。


 皆の仇を討つ為ならば、自身が囮になる事等造作も無いと思い極めた。

 そして、その覚悟通り、凶刃に身を曝した。


 今宵の箕松屋跡地が美代の戦場なら。


 今この時が、自分の戦だ。


「確かにあたくしは苦界の女。金を積まれれば誰にでも足を開く恥知らずでございます。なれど、これ以上血の繫がった父と息子両方の前で同じ醜態を曝す程、腐ってはおりません」

「何!?」


 一重の細い目が驚愕に見開かれ、馬鹿な、との呟きの後、真円まで更に瞠目する。

 思い出したのだ。

 牡丹楼が何を謳っているか。

 徹底した秘密保持が、何と揶揄されているか。


「それがお慕い申し上げる方ならば、尚の事」

「百良……」


 俺の花よ、と差し出された若者の手を、だが百良は繊手を伸ばしても摑まなかった。


「……あたくしを妻にと望んで下さいますお気持ちは、本当に嬉しゅうございますが……」


 それは出来ない。自分はこれから、この若者の父親の、妾になる身なのだから。

 そう、瞳で、語る。

 何より雄弁に、想いを伝える。


「百良」

「真に、苦しゅうございます」

「百良。逃げよう」


 百良はとても澄んだ、諦め切った者だけが得られる透明過ぎる笑みを浮かべて()()()


「若は無茶ばかりを仰る」

「無茶なものか!」

「外を陸に知らぬあたくしを連れて、お父上の追手から何処まで逃げられましょうか」


 若者は薄茶の髪を掻き毟って叫んだ。


「お前はわたしの……俺の女だ!」

「お父上もそう仰っておいでです」


 これまでの全てを懸けた、一世一代の()()()

 演目は、想い合う男女が引き裂かれる、悲恋。


「あたくしに選ぶ権はございません」


 悲劇の女主人公の様に、袖で涙を隠し。


「あたくしはただ、勝者に供されるだけ」

「……勝者……?」

「あたくしを争って父子で戦う等、胸が痛うございます。……若を想って、父君に身を」

「……百良。待て」


 若者の目が、憑かれた様に赤く濁る。


 勝てばいいのだな、と。


「若」


 百良は喜色を満面に浮かべた。

 本心だった。

 その言葉を引き出したかったのだから。


「あたくしの為に戦って下さいますの?」

「お前の肌に他の男が触れる等、もう我慢ならん」


 勝者が百良を得る事が出来る。


 父子で決着を付け。


 勝敗を決し。


 唯一人生き残った勝者が、美姫を抱く事が出来るのだ、と。


 百良は、暗に、囁いたのだ。


 自分の願いは若者と在る事だと。

 その為にはどうすべきかを。

 未だに若者を支配する「父親」を倒す為に。


 勝つ為には。


「……若」


 父子の諍いに胸が痛むと言ったそばから、勝って自分を迎え来てくれる事を嬉しがる。

 若者は完全に百良の手中に在った。

 男を操る手管も、誰を客にしても恥じぬ教養も、芸事も。


 全ては、()()()


「明朝には、父君からのお使者が参りましょう。それを受けてしまっては、大恩有る楼主を裏切る事は出来ません。……時は、今宵しか」

「これ以上お前を待たせる事はすまいよ」


 二人は漸く、ひし、と抱き合った。

 常なら名残を惜しむ若者が唐紙を蹴破る勢いで立ち去るのを、初めて百良が引き止める。


「あたくしの想いを綴った文です。お守り代わりにお持ち下さい。そして全てが終わったらお読み下さい。……若ならばきっと、あたくしの心からの願いを、ご理解下さる筈」


 若者は、感極まった風に手紙を仕舞い込んだ。


「吉報を待て」

「はい。若。信じておりますわ」


――本当に、信じている。


 若者を笑顔で見送った百良は、残酷な程冷静に己を振り返った。

 演じ切ったと確信した。


 だから、信じている。


 若者が、自分が書いた筋立て通りに動いてくれると。間も無く全てが報われると。

 若者には、申し訳無いとも、思うけれど。

 それでも、許しは請わない。

 請えない。

 今でもありありと思い浮かぶ、あの時の絶望。怒りで骨まで滾った事。

 それが、ここまで自分を生かした力。

 迷いはもう棄てた。

 在るのは、決意と覚悟だけ。


「……姐さん…………!」





お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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