狐火の章25 死闘
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狐火の章25 死闘
「ああ! クソ共! 往生際が悪ぃなぁ!」
薄い夜陰は、一体どちらに味方したのか。
水も漏らさぬ包囲網を布いたまでは良かったが、身を潜めていた葦や枯れ草の茂みに映った影が、極僅かな間、一瞬の様に閃いた月光にくっきりと描かれ、それを間の悪い事に見張りに見咎められてしまったのだ。
寝静まった頃を見計らって強襲する計画は、あえなく潰え、乱戦に突入。
此処が廃村で幸いだったと、八津吉は内心、冷や汗を拭っていた。
先日は強がったが、鎖帷子を着込んでいて皆正解だったろう。擬き一味は、手練ばかりの清竹捕り方の面々が梃子摺る程の抵抗を見せていたのだ。
時は竹桐路での戦闘と同じ頃、場所は蕭洛城外の、廃村となって久しい筈の農村である。
女達が城外にまで広げた必死の探索と、紅子を襲った小者を脅し、兄貴分とやらから聞き出し芋蔓式に辿った破落戸の線、大川の河川敷で入手した目撃情報が重なり、紅子は漸く、擬き一味の隠れ家らしきこの廃村を突き止めていた。
尤も、それを皆に正直に明かす訳にはいかず、続く不手際――主に、擬き擬き殺害から裏切り者の存在を察知した八津吉が、密かに内偵を進めた結果、目星を付けた裏切り者から巧みに隠れ家の位置を聞き出した事にしてあった。
この情報を手土産に、八津吉が立江と密かに会見し、捕り方を動員させたのである。
何でもありの嘘八百で立江を丸め込む大役を紅子から仰せつかった八津吉は、それこそ冷や汗ものだったが、立江は指呼の手柄と敬船失脚の快感に、完全に目が眩んだ。
武早達に任せた箕松屋隊を考えると、後日、時間的な辻褄が合わぬ事に気付くかも知れぬが、陣頭指揮を執らんと現場にしゃしゃり出て来た立江は、完全に明日の栄光に酔い痴れていた。
しかし、八津吉にとっては、明日の褒賞より今の生還だ。
「紅黒は捕り方の支援に回れ。下手に手を出すな! 怪我人の搬送、何手間取ってんだ!」
紅子には「なるべく擬きを生かしとけ」と言われていた。その心は「そう簡単に殺して堪るか」で、これには全く異存無かったが、死に物狂いで抵抗する賊を相手に実践するのは、かなりの難題だった。
大体、金と権力にしか興味無い立江が怯えて役に立たないのだ。
何しにきやがった、と追い立てる振りで、八津吉は密かに立江の尻に蹴りを入れていた。
剣戟の音は絶えず、敵味方の怒号が入り乱れる。
間際で飛沫いた血にぎょっと仰け反り、それが八津吉を大将と見た賊が脇から襲ってきたのを、捕り方が斬り捨ててくれたのだと知って、更に驚く。
火花に親しんでいた身が剣花に気付かず、黒煙に挑んできた自分が夜陰に巻かれるとは。
物の焼け焦げる臭いの代わりに、濃い血の臭いが鼻を衝いて、見遣った先で賊の腕から噴き上がった鮮血が、月光と混じって銀と赤の斑の雨を降らせていた。
「片っ端から縄を打て! 一人も逃がすな!」
大丈夫、と紅子は言った。
隠れ家に裏切り者は居ない。捕り物の最中に紅黒に動揺が走る事は無い。遠慮は要らないと。
裏切り者の事は何れは全員に露見るだろうが、それが最悪の形を取る事だけは避けたかった八津吉が確かだろうなと念を押すと、紅子は、裏切り者の事は自分に任せろと言った。
――つまり、その意味は。
と、その時、一際戦闘の激しかった農家の座敷から歓声が上がった。
同時に蹴破られ、或いは斬り払われた鎧戸を踏んで、大勢が庭に転がり出る。
返り血か負傷か、皆が皆、朱に塗れた凄まじい出立ちだったが、中でも一際満身創痍な男にぐるぐると縄が巻かれており――。
「八津吉の頭ぁっっ!」
――擬きの首領。
「でかした!」
思わず八津吉は膝を打った。
周囲からも爆発する様な勝鬨が上がり、対して、縄を打たれた者達が、糸が切れた様に頽れる。
――敬船様。
八津吉が敬愛して已まぬ敬船は、上司への愛想や世辞も部下への過剰な叱責も口にせず、ひたすら己の職責を全うする寡黙な男だった。
今回の経緯と予想される顚末を打ち明けた時「それで擬きが潰えるのならば」と頷き、率先して各所に今宵の仕掛けの根回しをしてくれたのも敬船だった。――自分の馘首の為に。
桐水の長の席に就いたのも、立江の様な手段の結果ではなく、寡黙に、着実に、積み上げてきた実績の末の順当な異動に由るものだった。
立江は勘違いをしている様だが――実は紅子の指示通りに八津吉が誘導したのだが――裏切り者の件は、敬船の経歴上、然程の汚点とはならないのだ。立場上、引責辞任の形を取るのは、それこそが桐水長の役目だからに他ならぬ。
兎に角、今宵で狐火の火は完全に消し止められた。民が怯える事もなくなる。
敬船の想いにも、応えられる。
老体の胸を満たした想いと共に、八津吉は捕り方と紅黒の憎しみと怒りに満ちた視線を向けられている、賊の首魁を見遣った。
紅子の予想通りの若い男だった。武早と同じ位。縄と怪我が無ければ、典夜町で屯している破落戸と大差無い。
しかし、それ等与太者と決定的に違うのは、目の濁りだった。
八津吉は、即座にその所以を見抜いた。
――人殺しの目だ。
四件の凶行が蝕んだ、精神の現れ。
「火消しの頭ぁ。出来ればオレが死刑になる前に教えて欲しい事があんだよ」
首領はふてぶてしい態度を崩さない。負け犬の遠吠えだろうと言わせてやったが。
「飼い犬に手を咬まれる気持ちってなぁ、どんなもんだろうなぁ」
「手前……!」
八津吉は顳顬の辺りが切れるかと思った。
こいつは承知してやがったのだ。
裏切り者の素姓を。
首領はげたげたと狂った音程で嘲笑いながら、周囲の紅黒に汚い唾を飛ばす。
「お前等も、オレが牢に居る間に是非とも教えてくれよ! 仲間に裏切られた感想をよ!」
ざわ、と走った動揺は波紋の様で。
「頭! こいつが言ってんのはまさか」
「例の毒殺犯が紅黒に居……!」
「落ち着け!」
八津吉の大喝に、しん、と沈黙が落ちた。
「そっちは今、武早が追ってる!」
紅黒は、はっと息を呑んだ。
八津吉の息子同然の武早がこの場に居ない意味を、悟ったのだ。
「……何だつまらねぇ。知ってやがったのか」
動揺と無知を嘲笑って、溜飲を下げる心算だったのか。
まあな、と八津吉は身を屈めた。
「俺にも、来世か冥途で会ったら教えてくれよ」
揃えた首領の目線で、見据える。
こいつに解らせるには、一つしかない。
「生きた儘、火炙りになる気持ちって奴を、よ」
一瞬、首領から表情が抜けた。
「……火刑? 嘘だろ」
「何で嘘だ? 手前がした事じゃねぇか」
「そんな……おい!」
首領から余裕が剥がれ落ちた。最早一顧だにする価値も無かった。みっともなく喚く賊徒を捕り方が引っ立てると、紅黒が誰に命じられた訳でもなく八津吉の周囲に集まる。
「頭。火炙りの刑ってのは……」
本当に訊きたいのはそれではないだろう。そう察しても、八津吉に答えられる事は限られていた。
だから、さあな、と嘯いてみせる。
「でも、簡単に殺して堪るかってぇのが、民と上の総意だ。相応のお裁きが下るだろうさ」
信じ合い、助け合ってきた紅黒達。否、今でも自分はその心算だけれど。
此処に居るのは紅子が同行させた仲間。言い換えれば。
今、この場に居ない者の誰かが。
――武早。済まねぇ。
本来、片を付けるのは自分の役目。
嫌な役を押し付けてしまった若者に、今は堂々と詫びる事も出来ないのが尚悔しい。無念でならない。
済まん、済まんと胸の内で繰り返す。
拳を握る。
――紅黒の誰もが、擬き舞台の配役を、幕が下りるまで知らない方が良いのさ。
それが紅子の意向。
絡繰を知る者は限界まで減らす。恐ろしく切れる裏切り者を引っ掛ける仕掛けは、単純である程良いのだと。
――武早は、この仕掛けの要だよ。
約束通り盲従しろ、と。
だが、言われる儘に使われて、あの武早の天性の陽気さに陰りが生じていたら。
心に傷を負ってしまったら。
――……紅子がそんな非道をする訳がないと、解っているけれど。
「……野郎共! 引き上げるぞ!」
殊更威勢良く号令した。
応える声の中に、常とは異なり、欠けた何人かを思い浮かべる。
――武早。頼んだ。
今は祈るしか、出来なかった。
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