狐火の章24 終星 ――願い、或いは祈り、或いは救い―― ――深淵――
新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。
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狐火の章24 終 星 ――願い、或いは祈り、或いは救い――
――深淵――
物心が付いた頃から既に、自分には家族と呼べる者が居なかった。
傍に居たのは一切の温かみが欠落した老爺だけで、昔、自分の祖父に世話になったと言う老爺が、義務で面倒を見ているだけだと言う事は、幼心にも良く解った。
それでも、放置されるばかりの身を多少は憐れに思ったのか、時折話してくれた祖父と両親の事を、自分は一言も漏らさず聞き取り、脳裏に深く彫り付けた。
それに依ると、妾腹の父は祖父と折り合いが悪く、早くに家を飛び出し、旅先で手を付けた女に子供を産ませて直ぐ、酒で死んだらしい。
嬰児を抱えて路頭に迷う事になった母は、生前の夫から朧げな話を聞いていた義理の父を頼り、祖父に子を押し付けるや、これまた直ぐに遁走したそうだ。
厄介者の息子に厄介なものを押し付けられたと始末に困った祖父は、以前色々と面倒を見た老爺に、自分と、ある程度纏まった額の金子を預けて好きにしろと言ったと、老爺は語った。
実際、祖父から便りや何かの品が届いた事は一度も無く、老爺もまた自分の成長を祖父に報告する事も無かった様だ。
祖父の家族も、自分の存在は知っていたが、全く無視された。
――……俺は此処に居るのに。
祖父が遠国で亡くなった事も、老爺から聞かされただけで終わった。
それでも一度だけ、老爺が手紙を見せてくれた事がある。
内容は、伯父、つまり父の腹違いの兄が、跡継ぎを儲けぬ儘、定めぬ儘息を引き取り、一家が離散したというものだった。
――跡継ぎを儲けぬ儘。
それが最後の便りだった。
老爺はもう此処に居る義理は無くなったと、その手紙を残して姿を消した。
――跡継ぎを定めぬ儘。
自分が此処に居る事を、祖父も伯父も知っていたのに。
認められていなかったのだと、痛感した。
認知だのと言う話ではない。存在を、血族を、居ないものとして――否、彼等にとっては本当に居なかったのだと、思い知らされたのだ。
――自分は此処に居るのに。
最初にそう呟いたのは、幾つの頃だったか。
――血が絶えた訳でもないのに。
時折老爺がぽつりぽつりと漏らした断片的な話を繫げて、知った事。
動機が、憧憬だったのか、顧みられなかった不満――怒りだったのか、今となってはもう思い出せない。
ただ、認められないのなら、と思ったのは炎を見た時だったとは、思う。
探そうと、思ったのだ。
認められる世界を。
――何を?
自分を。
――誰に?
誰……誰かに――世界に。
――世界に認められる世界?
世界が――自分を。
自分が――世界を。
自分が――自分を?
認められるのは、瑕疵の無い……世界。
探して……探して、見付からなかったのは、世界か、自分か。
望んだものは。
欲したものは。
求めたものは。
――何故、受け入れられなかったのか。
瑕疵。
欠点。
汚点。
不具合。
それは、どちらに――自分に?
認められる為には、完璧でなければならず。
だから、それは、認められなかった――。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖
其処は、夜よりも尚昏い、奈落の如き黒だった。
砂でも岩でも木でもない何かを踏み、砂礫に変えてゆく軽い足音が、黒い世界に孤独に落ちる。その渇いた音は哀しい位不規則で、前後に戻り、左右に迷う。
失った何かを――何を失ったのかを、一歩毎に突き付けられているのだと知る者には、足音の稚い程の軽さが、一層哀れだった。
薄雲の多い夜だった。
綿の塊を薄く裂いた様な、或いは、密に張られた蜘蛛の巣が執拗に絡む様な霞んだ雲が、細い月に何処までも追い縋る。
自らの尖った先でそれ等を切り裂き振り切ろうとするのは、弧を張る二十三夜月。
遥か高みで音も無く繰り広げられる、月と雲の攻防。
時折地上に落ちるのは、束の間の月の勝利か、雲が衝かれた一瞬の隙か。
細い銀光が明滅するのは、戦いの余波。
だが、それは、剣花ではなく。
「――泣いているね」
既に呼気は、夜目にもくっきりと白い。潜んでいるのが露見ぬ様にと息を殺す指示でも、思わず紅子はそう呟いた。
ああ、と頷く武早の顔に満ちた痛ましさも、刹那の銀光に閃く。
「――美代……」
八津吉一世一代の猿芝居から、一日後の夜である。
紅子は台本の台詞通り、美代に箕松屋の跡地を訪わせ、擬き一味を誘き出す作戦を立てたのだ。
遮る物の無くなった焼け跡の周囲を、近隣の庭先や路地の物陰に身を潜めて、紫竹捕り方と武早大和を含む紅黒の応援組が取り囲む。
捕縛作戦の立案者八津吉は別隊を率いて城外に出ており、箕松屋隊の指揮を任されたのは立案の事情に明るいとされる武早だった。
傍に、実際の捕り物には参加しない紅子が居る為には、美代の保護者役を名目とした。
「人前に夜光を出す訳にはいかないからね」
紅黒の応援組は、今宵の出動の直前に集められた数名である。
紅黒内で間際まで伏せられたのは無論、裏切り者が、擬きに罠だと注進に走る隙を与えぬ為だ。
武早は複雑な想いで、暗闇の奥に居るであろう仲間達を見遣った。
果たして自分は、此処に擬きに来てほしいのだろうか。
涙を堪えて敷地内を彷徨う、小さな小さな人影を想う。
本当に美代を始末する為に、擬きが動くのか。
あの憐れな少女を、殺しに来るか。
来ないでくれと思うのは、裏切り者の存在をまだ完全には信じていないからか。
それとも、捕らえた擬きから裏切り者の正体を知らされるのが、恐ろしいからか。
信頼が崩れ去る時が、恐ろしいからか。
願いか、恐れか。
しかし、武早は結論を出すより早く、現実に直面しなければならなかった。
主よ、と姿無き闇色の声が呼び。
「――来た…………!」
夜陰に潜んでも、紅子の紅の双眸が、爛、と輝いたのが分かった。
「……数は」
武早は夜光を抱える紅子程、夜目が利かぬ。
「……四人、だね。南大辻方向からこっちへ」
決まりだ、と呟く。
この時分に竹桐路を北上する用等、普通は無い。それでも言い逃れ出来ぬ様にと、八津吉にはぎりぎりまで待機を厳命されていた。
捕縛の時宜は、武早が笛で合図する。誤報を防ぐとの理由で、箕松屋隊の全員から、呼子の笛は取り上げてあった。
武早は笛を口許に運ぶ。紅子の実況だけが頼りだ。
「女の子一人殺すのに四人も動くとは……」
「浪人風……四人とも敷地の角で立ち止まっ……野郎! 問答無用で抜刀しやがった!」
緊迫した怒声に名を呼ばれるのを待たず、武早は怒りを込めて笛を甲高く吹き鳴らした。
美代は唯一の救いだ。
この悲惨な一連の事件の。
火を消し止められず歯噛みした紅黒の。
何の手掛かりも得られず、むざむざと賊に凶行を続けさせてしまった紫竹の。
誰が殺させるものか!
「美代! お逃げ!」
周囲から次々に捕り方が飛び出す。提灯が掲げられ、手に白刃を握る男達を取り囲む。
密かに滑り出た夜光が、美代と男達の間に割り込み、少女の体を押し遣った。
つんのめる様に胸に飛び込んで来た美代を、紅子が抱き止める。
『生かすのは一人で障りなかろう』
他には居らぬぞ、と夜光に囁かれ、ぎょっとなった武早に、紅子が力強く頷く。
「こっちに被害を出さない事を最優先に。背後関係は最悪八津吉に期待すれば良いさ。見たところ、あの四人相当な腕だよ」
頷き返した武早も躍り出た。
「凶賊狐火擬きの一味だな! 神妙に縛に付け! 刃向かえば斬る!」
武早の大音声を合図に、捕り方が一斉に抜刀する。
きん、と不穏な音が月光と交わった。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
天に刃向かう月
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