狐火の章16 紅子
新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。
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狐火の章16 紅子
師元町と弥栄町の間に細く挟まれた南立町の古着屋、さく屋に六名の賊が押し入ったのは、良月十二日夜の事である。
賊は、隣家と離れている事からさく屋に目を付け、強引にも鎧戸を蹴破って侵入、騒ぎで起き出した住み込みの女中一名に斬り掛かったが致命傷には至らず、寧ろ女中の悲鳴で目覚めた家人の必死の抵抗に遭い、引き上げ時を迷っているところを駆け付けた紅子と武早によって捕縛された。
早い発見と消火で死者は出ず、さく屋の者も全員斬られはしたが生命に別状は無く、店も半焼で済んだのが不幸中の幸いと言えよう。
賊は六名とも擬きとは無関係の破落戸達で、清竹をきりきり舞させる擬きに快哉を叫んでいた愚か者だった。
清り達が摑んでいた情報通りの、己の行動の意味も知らぬ、擬きに感化された大馬鹿者。三番煎じの擬き擬きである。
彼等は調べの中、擬きに憧憬し「擬きを称える派手な狼煙を上げてやろう」としたが、流石に殺人までは思い切れなかったと白状した。
しかし、さく屋の者達を気絶させた儘で放火し、焼き殺そうとしたのだから、罪の重さは擬きにも劣らず、寧ろ無自覚な残虐性は本家にも擬きにも匹敵する。模倣犯便乗犯の方が捜査を混乱させる分、性質が悪いと言えた。
「殺人は未遂でも、強盗には変わりない。火付けも重罪。奴等の死罪は確実だろうね」
さく屋の件から一夜明けて、牡丹楼紅子の部屋である。
時刻は既に夕刻。三番煎じの愚行の後始末と報告会議等を終え、功労者の二十六組は、夜警に備えて早めの帰宅を許されたのだ。模倣犯の登場で、民は一層神経を尖らせている。夜警を休む訳にはいかなかった。
「……そんな怖い顔をおしでないよ」
服を改めず、前髪を軽く耳に掛けただけの格好で脇息に寄り掛かった紅子は、部屋の中央に座した武早を宥める様に言った。
正直、事態を有耶無耶にする為に信条を曲げて酒肴を勧めたいところだったが、これからまた夜の警邏がある。皆の前に在るのは精神の鎮静効果のある甘やかな茶だけで、それも武早の器は一口も手を付けられずに、冷めてしまっていた。
「色男が台無しですよ、旦那」
控える清りも、深刻さを感じてか常より声が硬い。
夕刻ともなれば、妓女は客を迎える支度に余念が無い筈だが、紅子の側近を自負する清りとしては、どんなに居心地が悪くなろうとも、ここで退出する訳にはいかないのだった。
「百良はどうした?」
「もう直ぐ来ますよ。今は例のお客が」
「ぼんぼんかい」
「いえ、頭巾の方です」
短い会話だけで、ああ、と頷いた紅子は、余計な詮索を封じる為に更に口を開いた。
「たとえ牡丹楼でも、妓楼通いを隠したい客は居る。それでも迎えるのが牡丹楼なのさ」
その言い様に、武早を取り巻く空気が、ふ、と和んだ。聞いた事がある、と胡坐を掻く。
「望めば『互いが秘匿すれば父子で同じ妓女の客になっても分からない』だっけ?」
そうそれ、と笑んだ紅子は、だが直ぐに表情を曇らせた。話の糸口が摑めないのだ。
頭をぽりぽりと掻く紅子に、意外にも武早が助け舟を出した。俺が知りたいのは、と指を折る。
「質問は取り敢えず二つ。一、先刻の影みたいなのの正体。二、赤紫ちゃんの歳」
「歳?」
「そう。女性に訊くものではない筈の、歳」
矢張り、と紅子は清りを睨む。二人の昔話から当然生じるこれを懸念していたのだ。
清りが悄気る。言い出したのは百良だが、清りは止めなかった。浅慮を恥じている様である。
「……二つの問いねぇ」
紅子は苦笑する。これまでの経緯からすれば必然なのか、それとも女に関する嗅覚の為せる業か、それは見事に核心に迫る問いで。
「……先刻の影はね、夜光、と言う」
夜光、と低い声が呟く。
第三者の声がその名を呼ぶのを、紅子は不思議な想いで聞いた。
「そう。わたしの中に居る……妖さ」
目を剥いた武早に、今も居るよ、と繊手を翳してみせる。
心持ち身を引いた武早を嗤う様に、室内に落ちた薄い影がざわざわと揺れた。
夜光。
この体を奪おうとした化け物。聖域に封じられていた猛き魔。
しかし、この生命を救ってくれた存在。
今の力を、くれたもの。
紅子の眼差しに懐古が滲み、望郷が溢れる。
見詰めるのは優しい過去。
そして、全てが終わり、堕ちて生まれ変わったあの日。
「大昔、妖退治に長けた先祖が、大妖を封じてね。其処を聖地とし、子孫であるわたしの一族が代々守っていたのさ。わたしは巫女の能力に優れていて、これでも聖女を務めていたんだよ」
今はもう、地図にも載らぬ果ての土地。穏やかに流れた静謐な時間。
だがそれは、神殿の宝物に目が眩んだ賊の襲撃に、呆気無く葬られた。
そして神殿の崩壊に因り復活した、魔。
助けて欲しいか、と妖が持ち掛けた取引。
「わたしはその取引に――乗った」
何が起きるのかも、知らず。
今なら――魔女となった今なら、解る。
聖女とは、巫女の能力に特に優れた者。
万一の時――魔の封印が解かれてしまう時、巫女の力を以て、その身に魔を封じる事が出来る者。
人の形をした、新たな封印。
だからこそ、母達は末妹である自分を逃がした。
魔を解き放たぬ為「聖女」を生かした。
果たして、神殿に眠ると言われていた宝物とは、聖女か、それとも、魔を指していたのか。
意識を取り戻して直ぐの赤い世界は血に汚れていたからだったけれど、知らず紅く変わった双眸は、契約の証か、堕落の証拠か。
「……母君達は、ただ姐さんに生きていて欲しかっただけだと、あたくしは思います」
哀しい過去を語る時、牡丹楼の豪奢さは更に哀しい。
けれど、空虚な華美が必要なのだ。
悲哀と苦痛を呑み込んで、繁栄の華は咲くのだから。
紅子の過去を糧に色を深め、唐紙が滑る。
切ない風情で咲いた、百合が一輪。
「……さあて。どうだろうね」
それは母達に訊いてみなければ分からぬ事。
だが確実なのは、もし姉達の誰かが聖女であり、そして逆の立場だったら、自分も間違いなく聖女を一番に逃がしただろうと言う事だ。
百良と清りが、哀しそうに面を伏せた。
「夜光ってのはわたしが付けた名前さ。今はわたしと共存関係にあると言っていい。妖には時間の制限が有って無い様なもんだから、わたしまで恐ろしく長生きになっちまってね」
それが、辻褄の合わぬ年齢の答え。
武早は知らず詰めていた息を大きく吐き出した。以前の違和感の正体に、漸く思い至ったのだ。
あの時紅子は「狐火からだって助けられたのに」と言った。普通なら「擬き」だろうに。「狐火」では本家の時代に紅子が生きていた事になる。それに引っ掛かったのだ。
「家族の仇は疾っくに骨になっちまってるけれど、せめてあの時盗まれ散逸しちまった神殿の宝物だけは取り戻したくてね。長命を良い事に世界中を巡っている間に」
「彼方此方で人助け、か」
武早の茶化した物言いに、そう、と紅子も僅かに笑みを零す。懐古で去来した想い。
本当に、色々な事があった。
大勢に出逢った。
牡丹楼は、その出逢いの象徴の場所。
「百合姫達を娘呼ばわりする訳だ。でもさ、どうして警吏に? 盗品の情報目当てかな」
「それも勿論有るけれど、駄目元とは思っているよ。……敢えて言うなら、この力を有効に使える方法を、他に思い付かなかったのさ」
正義の味方を気取る気は無い。けれど、巡り会った者達――世の不条理に泣く女達を、少しでも減らしたいと思ったのは事実。
「わたしに出来る事は、生命を助けて、その後ほんの少しの力を貸す事だけ。生き長らえた後をどうするかは、本人が決める事さ」
助けて、何でも彼でも世話を焼くのは、相手の為にならない。寧ろ独りで立ち、前に進む力を削ぐだろう。それを救うとは言わない。
不老長生に近い時の中で他者への過干渉に配慮し、僅かな助勢で効果を上げるには、警吏の立場に縛られる方が都合が良かったのだ。
「それでもよく警吏になれたもんだよ。時宜が良かったにしても……あれ?」
三年前、当時の清竹長の思い付き……発案が無ければ、今も女性警吏は存在しなかっただろうと言われている。それ程の男社会なのだ。
武早は単純にそういう時代になったのかな、と思ったのだが、何故か三人が揃って斜め上を見たのに、嫌な予感を呼び起こされた。
「…………。……赤紫ちゃん、ひょっとして」
「わたしじゃないよ百良と清りがね」
紅子が言い訳がましく手を振れば、おほほほほ、と凄まじく態とらしく百良が笑う。
「殿方を言いなりにさせるのが、あたくし達の真骨頂でございますから」
つまり。
「仕組んだのか!?」
二人は、はい、と素直に頷いた。
現在は引退した当時の責任者を骨抜きにし、「お題目なんてどうでもいいじゃございませんの」と女性警吏を認めさせると同時に、高官達に手を回し有りもしない縁故をでっち上げ、画策した通り、見事警吏紅子を誕生させた――裏で糸を引いていたのが自分達だと白状したのだ。
因みに、立江が清竹長の座を得る為に、高官達に金銭を散撒いた現場もこの牡丹楼、目撃者も言うまでも無くこの二人である。
「……そこまでやるか」
敬愛する紅子の為なら世の仕組みだって変えてしまうとは。牡丹楼の紅子至上主義はいい加減理解していた武早も呆れ果てた。
「じゃ逆に訊くけど、紅黒の採用基準は?」
「春と秋に採用試験を行ってるけど、他に欠員が出る度順次補充してるよ。怪我が多い職場だから入れ替わりも激しいんだ。試験内容は一言で言えば体力測定だな。長距離走、土嚢運び……縄上りもしたな。火事場泥棒に化けられると困るから、簡単な素姓身辺調査も併せて行われる。縁故とか紹介もあるけど、体力が基準に達しなければ採用はされないよ」
ふうん、と何事かを考え込んだ紅子に、武早が遠慮がちに声を掛ける。
「ねえ、赤紫ちゃん。やっぱり大和に話……」
「夜光」
「わーっ、待った! だって大和って、すっごく良い奴なんだよ」
「男の言う良い奴が、女にも良いとは限らない」
中々含蓄の有る台詞に妓女二人が拍手する。
大和と言えば、と紅子は武早を凝視した。
「……あんた、男は好きかい?」
武早は、は? と、目を丸くし、次に質問の意味を悟って、ぶるる、と体を震わせた。
「止めてくれるかな気色悪い! 確かに俺達仲は良いけど、そういう意味じゃなくて!」
「……だよねぇ」
これだけの女好きが男色を隠す擬態とは到底思えないので、そっちの焼き餅の可能性は無いだろう。しかし、だとすると、あんな視線を向けられる心当たりが思い付かないのだ。
――……可能性が有るとすれば。
ちらりと向けられた視線に妹分達が無言で頷く。武早は気付かなかった様だった。
「さ、お二方。今宵も警邏で大変でござんしょう。たんと夕餉を召し上がって下さいまし」
話は終わり、と清りが景気良く手を打つと、小女達がわらわらと夕餉の膳を運んで来たが。
「……何で武早の分まで有るのさ」
「今日だけ。特別ですよ」
喧嘩していないが仲直りの印と言われ、紅子は仏頂面で、武早が喜色満面で箸を取る。
万事調子の良い武早は酒が無いのを残念がり、美女の給仕で食事を済ませた二人は、太陽が城壁の下に落ちた都を弥栄町へと急いだ。
だがこの夜も、何事も無くは終わらなかった。
起こったのは前代未聞、急転直下の大事件。
正式な取調べと裁きまでの間、罪人が留置される大牢で、擬き擬きの六人が急死したのだ。
毒殺であった。
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天に刃向かう月
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