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星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
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狐火の章12 決意

新章に向けて、読み易いように、改行等手直しをしております。


宜しければご覧下さい。

 狐火の章12 決意



 光と闇は対を成し、或いは表裏であり、一方で対極に位置する。


 これは天象普遍の真理であると声高に訴える事でも、自明の理だと今更思い至る事でもなく、己の前後に、物の左右に、人の心理にさえ在る万象の事。


 ただ、人は闇を厭う一方で、光を直視は出来ない。どんなに求め手を伸ばしても、光に近付ける程、人は清くないのだ。

 強烈な光輝は、全てを白日の下に曝け出す。

 清いと信じている己の醜い部分を突き付ける。

 無自覚だった醜さを暴かれる。

 故に、本能で闇を恐れる様に、強過ぎる光も、人はまた、恐れるのである。

 闇を恐れる反面、闇に惹かれ堕ちる事がある様に、光を求め、同時に光を憎む者も存在するのだ。


 万人が光輝を直視出来ぬ。

 人を闇か光かに分けるのは、光の眩さに顔を背けた時、何処を見るのか。

 光を恐れ、闇に逃げるか。

 それとも目を逸らして尚、光の世界に焦がれるのか。

 直視出来ぬ光は毒だ。

 眩さに惹かれ、近付きたいと憧憬の想いを強くし、それでも叶わなかった時、その想いは憎悪に変わる。

 闇に堕ちる。

 これを歪みとするか、人の業とするか。

 人の心理に、物の左右に在る、光と闇。

 物事の光と影。

 表裏にして対極。

 人が造った都という枠の中にも在る二面。富を象徴する二大路と典夜町に対するのは、南の貧民街。或いは、枠から弾かれた周辺。盛衰の縮図である。


 間近で続く二百年の繁栄の影で、何時しか廃れた農村。使われなくなった農道は完全に草に没し、疾うの昔に村自体が地図からも消えた。

 それから幾星霜、吹けば飛ぶ様な茅屋に火が灯ったのは何十年も前で、暫く後に消えた火が、また、灯り始めたのは最近の事。

 その内の一軒、外観からの予想より存外手入れの届いた農家の座敷で、早くも火の入った囲炉裏の傍で一人が、か、と猪口を置いた。


「俺達の事を嗅ぎ回ってる奴が居る?」


 ここ数日外の様子を調べに出ていた一人が、そう耳打ちしたのだ。

 そりゃ居るだろう、と答えると、相手は清竹じゃねぇと頭を振った。


「――女?」


 矢鱈と女達の口の端に上るのだと。


「……念の為だ。あの方にお知らせしろ」




  ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖




 非常厳戒態勢での夜警。一時の事だからと無理に敷かれた態勢は、発案者の希望程、芳しい成果も評価も上げられなかった。

 夜警で民の防犯意識を一層高め、狐火擬きへの圧力にもする。追い詰められた化け狐は、直ぐに大きな尻尾を出すだろう、との上層部の読みの甘さを露呈させただけだったのである。


「まあ、そうだろうね」


 必死に愚直に夜警を務める者の中で、紅子は己の務めを完璧に果たしつつも、当初からの冷ややかな見解を崩さなかった。

 確かに、民の防犯防火意識は高まったが、初秋の涼しい夜、夏の疲れを癒す為の大事な時間、民は僅かな音にさえ飛び起きる緊張を連夜強いられているのだ。

 町を歩けば、民の不安と苛立ちが細かい埃の様に、或いは一向に事態を打開出来ぬ官への怒りが、黒や赤褐色の糸で出鱈目な柄を織る様に、飛び交い、又は、折り畳まれ積み上がってゆくのが目に見える様だった。


 その空気に触発されたのだろう、些細な原因で刃傷沙汰にまで及ぶ事件が例年の二割り増し、先からの戯け者達の被害も、香具師の兄さん達のお蔭で増えこそしていないが減りもしていない。

 都全体に、黒く尖った網が縦横無尽に張り巡らされている様だ。この網に触れると人々は不安を掻き立てられ、不満を募らせ、不平の捌け口を暴力に求めがちになるのである。


 この異様な緊張は民だけに留まらず、冷静でなければならぬ清竹内も、連日の激務で険悪な空気に支配されていた。

 軽微な失態にも、必要以上の叱責と罵声が浴びせられる。楽天的な武早に依ると、桐水は然程ではないらしいが。


「赤紫ちゃん、最近何調べてるのかな」


 その武早は相変わらず執拗に(しつこく)付き纏う。

 実は百良達が昔話をしたと聞いた紅子には、ある懸念が有った。

「呪い」で釘を刺した為、他人に相談はしないだろうが、ただでさえ狐火擬きに頭を悩まされているのに、この上別件で嗅ぎ回られるのは鬱陶しくて御免被りたい。


「見ての通り、本家の資料を当たってるのさ」


 書庫である。

 武早と二人だけの時は、紅子の口調はかなりぞんざいになる。取り繕う必要が無いからだ。


「だから、何を、調べてるのかな」

「有り得ない共通点。有る筈の無い事実」


 素っ気無い返答にも武早はめげない。少し考えてから、あれかな、と明るい声で言った。


「狐火擬きが本家の関係者説? 手口は全く同じだからな。でも今の口振りじゃ、共通点が有って欲しくなさそうだけど……。そう言や、初めて会った時も、違うとか言ってたな」


 あの時は邪魔が入っちゃったからなあ、と笑う武早に、紅子は溜息を吐いた。

 逸せたと思ったのに、女に関する記憶力は良い男だ。


「わたしは今でも違うと思っているけれど、少し、考えを修正したのさ」

「と、言うと……あ、その前に、犯人像は?」


 後継者でないなら、残る可能性は。


「狐火の事なんざ何も知らぬ者、恐らく若い、が始めた蛮行、さ」

「それが修正されると?」

「正統な流れを汲む後継者では、ない」

「? あ、それ、擬きの狐火落とし胤説?」


 紅子は素で瞬いた。


「知ってんのかい」

「結構な噂だからね」


 牡丹楼が動けば、従う女達が都中で動く。女の動きに敏い武早の耳に入る可能性は高くもなるだろう。それとも噂の伝播が早いのか。


「でもそれかなり大きな修正じゃないかな」

「……これは、何故今になって擬きが動いたか、と言う観点からの事なんだけどね」


 正統であろうとなかろうと、本家の関係者なら、何十年も沈黙する必要は無いのだ。


「跡継ぎが立派になるまで待ってたとか」

「息子なら不惑、或いは、知命ってとこだろ。こう言う表現は嫌だが、若い方が殺し盛りとしては当て嵌まる。現に栄屋をご覧」

「じゃあ、孫」

「歳としては合うが、襲名しない理由が無い」


 だから、何故今この時なのかなんだよ、と紅子は言葉に力を籠めた。

 始めは馬鹿者が起こした単なる強盗。それに途中から本家の関係者が加わり、五十一年前をなぞり始めたのではないのか。

 一件目に過去の幻影を見て。

 尊敬する先祖の影に、接近した。


「本家と擬きの決定的違いは、犯行声明の有無と、噂に立脚する引き込み役の存在だろ?」


 擬きに内通者(ひきこみやく)は絶対に無い。仮に栄屋は招待客に紛れていたとしても、他は可能性皆無だ。

 もし居たなら、仲間ごと殺した事になる。だとすれば他店に潜入している者が、殺されて堪るかと、疾うの昔に清竹に駆け込んでいるだろう。


「でも、真似しなきゃ駄目な訳じゃないし」

「だから、正統ではない、と言うのさ」


 ここで誤魔化せるかと思ったが、武早の勘と理解力は想定を上回った。


「成程。亜流だからこそ、狐火に付随する諸事を踏襲しないと、二代目とは認められないのか」


 そう。認められないのだ。――誰に?

 世間に。

 世間と――()()()


「だから、本家の方の可能性を追ってるのさ」


 逃走経路は。東西南北四つの城門は夜は閉門し、脇の屯所には十名前後が必ず詰める。城壁は乗り越えられる高さではない。最悪の想定は、抱関全員が金品で買収されていたかどうか。

 殺戮の後城外に逃げず、朝の開門時、商人や外に働きに出る職人等に成り済まし、大勢に紛れて脱出したのだとしたら、それまで何処に身を潜めていたのか。

 大量の金の運搬方法は。

 盗品を捌く販路は。

 拠点は。


「それ等諸々を全部潰していけば、擬きの方に繫がる道が見えてくるかもしれないだろ」

「……。凄く気の遠くなる作業だね」

「今のところ、他に方法が無い」


 労を惜しむ事は許されない。

 きっぱりと言い切った紅子の凛々しい横顔に、武早は惚れ直したなぁと宣った。


「やっぱり赤紫ちゃんは正義の味方だね」

「……何だい、そりゃ」

「聞いたよー。下働きの於りんちゃんは誘拐されたのを、三階の()みさんは親子で諸国を行商中に、土地のやくざと揉めたのを助けられて、恩返しに牡丹楼に来たんだって。凄いね、赤紫ちゃん。世界中を巡って人助けなんて。よくそんな危機一髪の場面に遭遇したよね」


 武早の口調に揶揄の色は無い。素直な賞賛と感心だったが、紅子は前髪で顔を隠した。


「……偶々だよ」

「偶々って確率じゃないよ」

「本当に偶然さ。……だから全員は救えない」


 何時何処で人が助けを求めるか、察せたなら。


「狐火からだって、助けられたのに……」


 武早が聞き込んだ者の中には、厨房で働く年配の女も居た。彼女は海を越えた別大陸から、遥々恩返しにやって来ていたのだ。

 幾つの時の事なのか明かしてはくれず、彼女は牡丹楼では楼主に次ぐ最古参。隣近所の見世や料亭でも、彼女が牡丹楼に来た頃を知る者は居なかった。()()()()()()()()()()()()()()

 下手をしたら、幼児の紅子が悪人共を叩きのめしていた事になるのだ。

 しかし武早は、この件を深く追求する心算は無かった。

 それこそ紅子が恩人の娘と言う可能性も有るからだ。それに、今、武早は、更に別の事に引っ掛かりを覚えたのである。

 今の紅子の言葉の、どれかに。

 古書の匂いに武早の疑問と不意に沈んだ紅子の想いが混じり、過去(きろく)の上に降り積もる。

 何に違和感を抱いたのか、突き止めようにも古紙が放つ独特の匂いが漠然とした感覚を更に掻き回し、明確な言葉になる前に、まるでしっかり閉じていた指の間から水が滴る様に頭からするりと抜け出してしまう。

 それでも往生際悪く違和感の残滓を追う様に空を薙いだ青灰色の双眸が、違和感の根源である書庫の事実上の司書で留まった。

 何を考えているのだろうと、急に声を陰らせた華奢な肩の線を辿る。

 紅子は前髪で顔を隠すのではなく、他を必要とせぬ強さで、己の全てを隠している様に、武早は思う。

 信用するのは牡丹楼の者だけ。それでも全てを知る者は数少ないのだろう。ひょっとしたら、楼主ですら、素姓を知らないのではないか。

 不意に胸が大きく鳴って、おいおい止してくれよ、と武早は僅かに狼狽した。


 冗談じゃないぞ、こんな感情。


 謎そっちのけで己の胸に手を当てた武早は、紅子が更に俯き髪を落とし、肩を縮こめたのに気付いた。

 同時に廊下に盛大な足音がして。


「……やっぱり此処だったか」


 今度は幾分静かに戸が開けられる。


「あれ、大和。此処に何の用だよ」

「……それは本来俺の台詞だよな」

「俺? 俺は勿論赤紫ちゃんの手伝い」

「……手伝って頂いた覚えは有りませんが、書庫の掃除もわたしの仕事ですので。ついでに、本家狐火の資料も洗い直せる様に整理を」


 武早の発言を受け動いた濃緑の瞳を避ける様に下を向いた儘、紅子は精一杯の小声で答えた。

 視界の端に、武早がよーやるなー、と間抜け面を曝しているのを捉えて絶望する。それで露見たらどうしてくれよう。

 しかし、露見はしなかったが、緊張で強張らせた振りの体を、掛け値無しで刹那硬くしなければならなかった。

 それは、本当に僅かな一瞬。

 濃緑の槍が、恐ろしい鋭さで紅子の全身を突き刺したのだ。

 演技が露見た風ではなかった。気の合う同輩の目下意中の娘を、間違いがない様に検分してやろう、と言うのでもなかった。

 下衆な感情も一切無い。

 喩えるなら探る様な、初めて会った時と同じ……値踏みか。

 だが、底に、重く滾る様な害意――否、敵意が籠められていたのである。

 それは瞬きよりも短い時の事で、緋と濃緑の鉾が激しく交わり、黒絹の様な髪を切り散らす事にはならなかったけれど。


「で? 本当にお前何の用だよ」


 一人能天気な発言に嘆息一つ。大和は武早の首根っこを摑むと引き摺り出した。


「溜まってる報告書を全部出せって(かしら)の仰せでな。大体お前が此処に居ても、紫竹のの邪魔になるだけだろうが。お前こそ何の用だよ」

「紫竹()()って変だぞ」

「お前少し黙ってろ。悪いな紫竹の」

「いえ。武早様の首には縄を推奨致します」

「わー、赤紫ちゃんてば過激ー」

「だからお前少し黙ってろって」


 誰の目にも漫才でしかない遣り取りで二人が桐水に戻ると、紅子は改めて、本家狐火の資料を自分の卓に積み上げた。

 武早に言われるまでもない。気の遠くなる様な迀遠な作業。だが他に手掛かりが無い。仕方が無いのではない。これが今自分に出来る事だ。それも独りではない。自分には力を貸してくれる女達が大勢居る。これ以上不幸な女を出さない事。それは畢竟、彼女達を護る事でもあるから。


 よし、と気合を入れ直し、紅子は膨大な資料に取り掛かった。

 見落としてはならじと急く気を抑えて、文面を丹念に辿る。今こうしている間にも、都中の情報が牡丹楼に集まり、各局で精査してくれている筈だ。その労に報いたいとも思う。妹分に負けられないとも思う。

 一刻も早く、猛火で焼き付いた死者の無念を、慟哭を、絶望を、瞋恚を、暗いばかりの凄惨な夜から解き放ってやりたい。

 自分には、それを可能とする力が有る。

 無論、清竹が、桐水が、民が。常人でも力を併せれば、矢張り叶う事なのだけれど。


 でも、人の裁きには、必ず何処かに()()が在るのだ。

 どう仕様も無い悪人に対しても、赦す事で、悪人だけでなく自分も救われようとする部分が生じるのだ。――無意識に。


 大切な人を奪われた者が、下手人に極刑を望む事がある。

 一方で、下手人を殺しても、殺された家族は戻ってこないと言う者もいる。

 どうしても怒りを抑え切れず、司法に依らず自らの手で復讐しようとした遺族に、第三者が、そんな事をしても殺された者は喜ばない、と言う事もある。


 でも、本当にそうだろうか。


 殺された本人の声を聞いた訳でもないのに。

 本当に被害者が復讐を望んでいないと言えるのか。

 冥府で下手人が殺されるのを、今か今かと待ち構えているかもしれないのに。

 私刑であろうとなかろうと、下手人が生命を終えた瞬間に快哉を叫ぶかもしれないのに。

 一番の無念は殺された者。その想いを、死者の声を聞けぬ生者が忖度して良いのだろうか。

 遺族が下手人に復讐すれば、同じ所まで堕ちてしまう事になる。だから復讐は悪なのか。違うだろう。人が人を裁いて生命を奪う事に、人は絶対の正義を見付けられず躊躇うのだ。

 だから赦しが在るのだ。

 けれど、赦しの在る裁きで、死者の無念が本当に晴れるのか。

 だから、自分がやるのだ。

 自分を生殺与奪の権を握る神等と、思い上がっているのではない。

 力に酔っているのでもない。自分にだって死者の声は聞こえぬ。


 でも、解る。


 不条理に生命を奪われた者の怒りと。

 遺された者の悲しみと、絶望と、憎悪は。


 解るから。


「……伊達に死に掛けた訳じゃない、か」


 あの時死んでいれば良かったとは思わない。

 自分にはまだこんなにもやる事が有るから。


――しかし。


 清竹と桐水の熱意、紅子の努力、女達の想い、民の願い。全てを嘲笑うかの如く。


 月を改め良月七日深夜。

 蔵浚いを終えたばかりの母江町(もえちょう)骨董屋丁楽(ていらく)に火の手が上がった。


 四件目である。






お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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