表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
12/53

狐火の章11 伝説の妓女

新章に向けて、読み易いように改行等手直しをしております。


宜しければご覧下さい。

 狐火の章11 伝説の妓女



「紅白二枝と言いましてね。旦那は、昔、うちに梅を冠した妓女が居たのはご存知ですか」

「……あー……。聞いた事があるような……」


 何処かの妓女が、伝説の名妓がどうのと言っていた気がするが、武早が普段遊ぶのはもっと安価な界隈で、花王街はこれまで縁の無かった世界である。記憶は心許無い。


「ちょうど狐火の本家が騒がしかった頃、嫋やかな容姿と鉄火な気性で牡丹楼を仕切った妓女がおりました。彼女は二つ名を白梅と申しまして、今は当方の楼主をしております」

「って事は紅白二枝だから……」

「ええ。三十……数年程前でしょうか、紅梅(こうばい)って二つ名の、白梅以上の名妓が居たんですよ」


 白梅の再来、否、それ以上と謳われた妓女は、秀麗な容姿に該博な知識、白梅に勝る伝法肌な一方で、洒脱で愛嬌も有る不思議な魅力の女であったと言う。

 一の姫の座を占めたのは僅か五年でありながら「芸は売っても色は売らず」を貫き通し、彼女の美貌・知識・気性の三拍子には、他州のみならず他国からも贔屓が付き、牡丹楼には連日大行列が出来た。

 今の牡丹楼の格式を都一にまで引き上げた、伝説の人物である。

 ある日突然引退を宣言、贔屓客一人一人に完璧な挨拶をした後、忽然と姿を消した、謎だらけの女でもある。


「本名さえ不明です。紅梅の名も始めは白梅に肖って、白梅だって所謂源氏名ですもの」

「でも素敵でしょう。牡丹に梅なんて」


 梅は花の魁。冬の寒さを耐え忍び、春に一番に咲く花だ。

 転じて、見世で一番の美女を花魁と呼ぶ所もある。

 牡丹は百花の王。その(しろ)()()()()()()が住まうのである。

 始めに白梅と名付けた客は、随分と粋な御仁だった様だ。


「でも三十年前なら、楼主は知ってる筈だよね」

「そのオババが、姐さんを紅と呼びますので」

「まさか紅梅の娘じゃないよな」


 時間的な可能性は有るが。


「さぁて。オババの口振りじゃ、そういう風ではない様でございますけどねぇ。それより」


 清りは、ずい、と身を乗り出した。


「取引の条件増やしても構わないと仰いましたね、旦那。ねえ、百良。何にしようかねぇ」


 武早の顔が引き攣ったのは言うまでもない。


「折角だから、姐さんだけじゃなく、あたし等にも忠義を誓ってもらおうか」

「それも良い考えだけれど、清り、今焦って決めなくても良いんじゃなくて? 姐さんに逆らわないのならば、あたくし達と道は同じだもの。邪魔になる事はもう無いのだから」


 本人を目の前に、怖い会話が繰り広げられる。

 結局、もっと良い条件を思い付くまで保留、となったが、早まった気がする武早だ。


 そこへ、すらり、と心地好い音を立てて唐紙が滑り、汗と埃を流してさっぱりとした紅子が戻って来た。

 湯上りの上気した頰と髪を上げた項に血が上り、匂い立つ様な色気が有る。

 見惚れて、ぽー、となった武早に、しかし向けられた眼差しと言葉は、真冬の上空より冷たかった。


「何だ、まだ居たのかい」

「酷いなあ、それ」

「疾っくの昔に、この娘達に追い出されてると思ってたんでね」


 その言い様に違和感を覚えた武早の表情で、紅子も自らの失言に気付いたか、盛大に顔を顰めた。

 だが、片頰を引き上げ小鼻に皺を寄せた表情さえも、小さな薔薇が咲いた様で美しい。


「さっさと帰んな。厳戒態勢にある紅黒が妓楼から出勤したんじゃ、常識を疑われるだろう」


 全くその通りなのだが。


「大丈夫。俺が女の家から出勤するのは何時もの事だから」

「……」


 もっと直截に言わないと通じないのか、と紅子は額を押さえた。

 何処まで問題児だ。


「姐さん、大丈夫ですよ。二度と姐さんの邪魔はしないと、先程お約束頂きましたから」


 清りの言葉に武早は「女との約束は破んないよー」と頷いたが、生憎紅子は超が付く現実主義者だった。

 じろ、と大層迫力の有る眼差しで睨むと、信用出来ない、と両断する。


「誓え。此処で見聞きした事は、誰にも……親兄弟にも、仲間にも口外しないと」

「大和にも?」

「誰にも、だ。誓うなら、手を出しな」


 深く考えず差し出した武早の右手を、紅子が両手で包む。

 その春笋の美しさと柔らかさにまたも武早が陶然となった間に、それは起こった。


 添える様に軽く触れていただけの筈なのに、紅子が「夜光」と短く呟いた瞬間、武早の親指に激痛が走ったのだ。


「痛っっ」


 反射的に手を引き抜くと、親指の腹に在ったのは危険な程赤くぷっくりとした、血の玉。


「……何した」

「呪い」

「呪い!?」


 今も紅子の手に肌を刺す様な物は見当たらない。

 恐る恐る訊ねたのにあっさりとんでもない事を返され、武早の声は裏返った。


「誓いを破ったら、妖があんたを喰い殺すよ」


 呪いの化け物は、武早の血の味と匂いを覚えた。

 破約と同時に呪いが発動し、化け物が何処までも追って、その咽喉笛を噛み切るだろう。


 死の宣告の様に言われた武早は、冗談である事を切に願って牡丹楼の二枚看板を見たが、揃いも揃って右斜め上に目を逸らされてしまった。

 葛音がこの場に居たなら、競争相手同士なのに何処まで仲が良いんだと嘆息しただろうが、呪われた者にとっては、その息の合い様が真実味を裏付ける様で恐ろしい。


「え、解けるよねこの呪い!?」

「さあ」

「さあ!? さあは流石に酷くない!?」

「口外しなければ済む話じゃないか。ほら、もう帰っとくれ。わたしは眠りたいんだよ」


 紅子が狼狽する色男の襟首を引っ摑んで、裏口まで引き摺ってゆく。喚かれると不味い、と清りがその口を押さえて付き添った。


 騒動が一過、賑やかな一時が幻の様に静謐を取り戻した室内に在るのは、牡丹楼の権勢を示す豪奢な調度の数々と、繁栄を体現する現一の姫。


 牡丹楼の客は、此処に天女が居ると言う。

 天にも昇る心地になれると。

 一の姫の声はその天女の歌声、或いは、天女が奏でる弦楽とも称される。

 美声を、鈴を転がす様、と形容する事があるが、牡丹楼の一の姫の鈴は、人の手では決して作り出せぬ、蒼天の最も澄んだ部分を薄く切り取り、精緻に、慎重に、天界の名工が心血を注いで組み合わせた様な、妙なる音でなければならなかった。

 代々――紅梅の頃から。


「……聞いていましたね」


 憧れ、尊敬する目標。

 自らの手で願いを叶える為に、近付きたい人。

 百合と絶賛されて尚、まだ足りぬ、もう少し、を繰り返す一の姫が、他に誰も居ない部屋でもその美声を惜しまず零すと、はい、と隠し扉の向こうから小さな声が返った。

 それは、百合どころか茉莉花にもならぬ、紛れも無い人間の声。


「……清りは願いの殆どを、既に叶えました」


 悲惨――或いは過酷な娘時代だった清りの願いは、鬼の様な両親から弟妹を救い出し、真っ当な道を歩ませ、一人でも身を立てられる様にする事。

 一番上の弟は隣国の米問屋に奉公し、今では立派な手代。

 五番目と六番目は男の双子で、揃って他州の官吏になった。

 一番下の妹はもう直ぐ十七。三番目の妹とさる貴族の屋敷に奉公し、二人ともそこから嫁に出してもらえる事になっている。

 姉弟妹(きょうだい)八人全員が、親とは縁を切った。

 今度は弟妹の帰る家が必要だと、清りはその為に労を惜しまない。

 弟妹の為。それが清りの生きる目的。


「……あなたは、どうするのですか」


 今度は、答えは無かった。




  ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖




 さて、裏の裏口から鞠の様にぺいっ、と抛り出された武早は、朝焼けの家路を辿りながら、矢張りめげずに首を捻っていた。


「百合姫は、確か二十三歳だから、売られてから助けられるまで多めに見て……十四歳で、九年前。清りねーさんが十六で売られて……一年後位に助けられたとして、もう直ぐ二十六の筈だから、八、九年前、とすると……」


 計算が弾き出したのは、非常識な結論。


「赤紫ちゃん、幾つの時から何やってんだ!?」






お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ