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星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
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狐火の章10 花の過去

新章に向けて、読み易いように、改行等の手直しをしております。


宜しければご覧下さい。


 狐火の章10 花の過去



「これでも結構頭を使ったんだよ。赤紫ちゃんてば、露骨に俺の事避けてるし、聞き出そうにも、紫竹の誰も赤紫ちゃんの事詳しく知らないし。住所とか家族構成とか、だーれもね」


 紅子の部屋である。

 部屋の主は、断じて武早を上げたくはなかったのだが、生憎繁盛している牡丹楼に空きは無く、あの儘裏口で立ち話をしたのでは、一晩を気に入りの妓女と過ごし、これから帰路に就く客の世話で忙しい裏方の邪魔になる事この上ない。

 オババの寄付きで良いじゃないかとの紅子の抵抗も、客に見られて悪目立ちするとの全員の言の前に空しく散ったのだった。


「収穫無しで帰ろうとした時、ちょうど目の前を、先に出た筈の赤紫ちゃんが歩いてたら、これこそ千載一遇の大好機って奴だと思うでしょ。なのに折角付いてったら、花王街の辺りで鎌鼬騒動が在って見失っちゃったんだよね」


 後を尾けたら変質者だと言い返す気力も無い紅子に代わり、武早の相手をするのは百良である。

 そろそろ百良の客も起き出すだろうに、退室する気配は欠片も無い。

 しかし、にこやかな応対でも目の底で何かが光る。

 都一の格式を誇る牡丹楼の一の姫の同席に浮かれる武早は、その辺りに全く気付いていない様だ。


「まさかこんな所に家が在るとは思ってないから、遊郭に何の用かなーって気になってさ。でも素直に訊いても答えてくれないだろうから、雇ったんだよね、子供達を」


 自分が動いたのでは、直ぐに紅子に露見(ばれ)ると悟った武早は、翌日、態々貧民街に出向いて小遣い稼ぎに目の無い子供を、しかも、複数名雇って連携で尾行に成功したのだと得々と語り、紅子は頭痛を堪える様に額を押さえた掌の影で、己の迀闊さを激しく呪った。

 気付いていたのに見過ごした。

 この時間帯、たとえ宿無しの浮浪児でも、子供が彼方此方に居るのを訝しむべきだったのに。

 夜光には自分を見張る不審人物、特に昨夜の尾行者(たけはや)を警戒する様に命じてあった為、子供達からの報告を受けるべく別の通りで待機していた()()()()()()()()と判断されたのだ。

 しかし、期待に背くにしても、正反対に突き抜けてくれる男である。


「あーら、結構()い男じゃござんせんか」


 失礼しますよ、と中の許可を待たず一方的に唐紙を滑らせた清りが、言葉とは裏腹の、かなり毒と棘の有る口調で言った。

 態々階下へ回ったのは、隠し扉を知られぬ為の配慮である。


「……清り。お客は」

「勿論、お帰り頂きました」


 紅子に招かれざる客が来たと聞いて、寝惚け眼の客を叩き起こして追い出したらしい。

 気だるさを武早への怒りで客と一緒に追い出した清りは、妙な迫力で元凶を検分した。


「目玉を繰り抜くのがちょいと惜しいねぇ」

「……。えーと、何の話かな」


 新たな美女の乱入に「こりゃ極楽」と脂下がった武早だが、婀娜っぽい美女に間近で迫られる図なのに、何を察したか、微妙に腰が引けている。

 紅子は本当に頭痛がしてきた。


「ところで、さっきから気になってたんだけど、何で赤紫ちゃんが、姐さん、な訳?」

「五月蠅い」


 階下でもこの部屋でも、皆が紅子を姐さんと呼ぶのをしっかり聞かれてしまったのだ。

 極北の氷よりも凍て付いた眼差しで睨んだのに、どうやら武早はめげる事を知らぬらしい。


「赤紫ちゃん、ご家族は?」

「わたしはあんたの家族構成に興味無いよ」

「……いや、俺が訊いてるんだけど」

「わたしだけ素姓を話すのは不公平だが、あんたの事は興味無い。故にわたしも言わない」


 紅子的見事な三段論法である。

 取り付く島を見付けようと踠く武早を無視して、紅子はひとっ風呂浴びてくる、と立ち上がった。


「あら姐さん、それじゃお背中を……」

「それより、こいつをもてなすなと全員に伝えな。わたしが席を外してる間、こいつが妙な真似しないよう、しっかり見張っておいで」


 握り飯一つ、茶の一杯だって振舞うのは惜しい。


 本人の前で命じた紅子を見送り、()()()はそれぞれの思惑を隠して顔を見合わせた。


「もてなさなければ良いんですわよね」


 だよねぇ、との同意を得て、百良が慣れた手付きで淹れた茶は、二人分。

 一杯を同輩へ、一杯は自分に、仲良く咽喉を潤す。紅子に逆らう気等毛程も無いのだ。

 ちょっと期待していた武早は此見よがしに肩を落としたが、妓女がそんなものに心を動かされる訳が無い。


「さて、武早様。姐さんの後を尾けてまで、一体何をなさりたいんですの?」


 湯飲み茶碗を両手で包み、小首を傾げる姿は何処ぞの姫君の様に愛らしい。

 だが顔は笑顔でも目が笑っていない。

 返答如何では、この場で茶に毒でも混ぜて飲ませてやりそうな気配である。

 何って、と武早は頭を掻いた。


「好みの女が居たら、声を掛けるのは男の基本でしょ。相手が逃げたら追いたくなるし、訳有りだったら知りたくなるもんじゃないの?」

「姐さんを見初めた辺りは、見る目が有ると褒めてあげますよ。でもね、自分と姐さんを見比べて御覧なさいな。遠くから眺めているだけにしといた方が幸せって事もあるんですよ」

「見比べる、ねぇ……」


 不釣り合い、分不相応と暗に言われた訳だ。


「だから何で姐さんなのかな。敬称だよね」

「ええ、そりゃあ尊敬してますとも」

「当然ですわ」


 型の違う美女二人は力強く頷く。


「だからさ、その尊敬の理由は? 赤紫ちゃんの歳で姉芸妓の筈は無いし」

()()()()、紅黒の旦那。今、姉さんが仰いましたでしょ。『五月蠅い』ってさ」


 言葉遊びは妓女の得意技。清りは怒らせる心算(つもり)で、ひら、と手を振り堂々巡りを揶揄したが、百良が笑わぬ目の儘、意外な事を言い出した。


「幾つかお約束頂けるのでしたら、あたくし達の身の上話を致しましょう。如何(いかが)?」

「百良!?」

「へえ。どんな約束?」


 目を剥く清りを繊手で抑え、百良は続ける。


「今より、姐さんの邪魔は決してなさらぬ事。姐さんに逆らわぬ事。余計な詮索はなさらぬ事。仮に、それが姉さんの為だとお考えになられたとしても、勝手な行動はなさらぬ事。万一の時は身命を賭して姐さんを護る事」

「……三猿になれってか」


 動かざる訊かざる背かざる、だ。しかもかなり過激なお猿さんである。

 万一の時は身命を賭せとは、無償で紅子に殉じろ、と同義だ。


「お出来にならないのでしたら、今直ぐ此処を出て、牡丹楼の事はお忘れ下さいまし」

「……その場合、向っ腹立てた俺が、赤紫ちゃんの事周囲に吹聴するとは考えないのかな」

「まあ、いやだ。面白い事を仰る。……紅黒一人の戯言なんぞ、()()()()()()()()()()


 く、と百良が唇の端を持ち上げた。

 可憐な白百合が一瞬、その時だけ鬼百合に変わる。

 強い百合の香りが殺気を含んで武早に絡み付き、「どうにでもなる」の意味を悟った武早は、知らず、唾を呑んだ。

「どうにでも出来る」のだ。百良と清りと……そして紅子には。

 意図を察した清りも艶然とそれに倣う。


「そもそも、清竹の使()()()()が、牡丹楼の最上階で姫以上の振る舞いだなんて、誰も信じやしませんね。お(つむ)を疑われるのが落ちですよ」


 逡巡は暫く。

 結局、武早は「違いない」と肩を竦める事で条件を受け入れた。


 紅子に興味が有る。事態への好奇心も。

 けれど、それ等が勝ったと言うより、売られた喧嘩を買う気に()()()()()のだ。

 その自覚が有った上で、この二人が何故これ程紅子を慕うのか知りたかったのである。

 流石牡丹楼の姫、と独り言ちた。

 男を動かすのはお手の物らしい。

 一方、取引を持ち掛けた方は、どう話したものかと言葉に苦慮している様だった。

 それでも、やがて蕾の様な唇が、物語を紡ぎ始めた。


「……あたくしの父は、とある国で結構な地位に就いておりましたの。どの様な仕事をしていたのか詳しくは存じません。女子供の知る事ではない、との風潮の地でしたので」


 今思えば、知っておくべきだったのだが。


「暮らしはとても裕福でしたわ。大きな屋敷に大勢人を雇って。何故、そんな豪勢な生活が出来るのか。どうやって財を築いたのか。父が清廉潔白な人物だったとは、あたくしも思っておりません。きっと彼方此方で多くの恨みを買っていた事でしょう。逆に、一切後ろ暗いところが無いのであれば、却ってそういう連中に憎まれていたでしょうね。ええ、そうですわ、武早様。あたくしが十三歳の時です」


 良家の子女が、何故今、遊郭に居るのか。武早の無言の問いに、語り部は簡潔に答えた。


「賊に襲われましたの。あたくし以外の全員が殺されましたわ。それは無残な最期で」


 幸福な生活の終焉は、唐突だった。


「単なる強盗目的の賊だったのか、それとも父を……一族を敵視する何者かが雇った凶手だったのか。それは申し上げません。語っても仕方の無い事ですから」


 今でも思い出す――否、忘れた事は無い。


 多くの燭台と鏡で煌びやかに客を迎えていた階段は、毛足の長い絨毯でも吸い切れぬ量の鮮血に因り、折れ曲がった赤い滝と化した。

 流水階段の源は、踊り場と上階に山と詰まれた物言わぬ使用人達。

 壷や棚は言うに及ばず、文箱まで引っ繰り返され、貴金属に限らぬ金目の物は根刮ぎ奪われた。

 賊が火を放ったのか、燭台の炎が何かに引火したのか、目の前で全てが炎に沈んでゆく。

 賊共が、戦果を誇示する様に奪った物をひけらかす。

 代々受け継ぎ、母が大事にしていた宝石類が、炎に炙られ不釣り合いな程きらきらと輝いて。


 どれ程呪ったろう――自分を。


 せめて一太刀、一矢なりと、報いる事も出来ぬ無力な自分を。


 どれ程嘆いたろう。己の弱さを。


 だから、自分は――望んだのだ。


 生きる目的が欲しいと。


 既に聞いた話なのか、清りが顔を背けた。


「あたくしだけ助かったのは……。ねぇ、武早様。あたくし、綺麗でございましょう?」

「は? あ、ああ。美人さんだよ」


 不意に訊ねられた武早が、面食らいながらも答えると、大輪の百合の様な笑顔が返った。


「幼い頃から評判の美少女でしたのよ。だからですわ。賊の首領に言われましたの。殺すには惜しい。上玉だから高く売れるって」


 武早は思わず腰を浮かし、だが、為す術無くまた腰を下ろした。


「……人身売買は違法だろ」

「耀青国では、ね。ですから先に申し上げましたでしょう。とある国だと」

「お幸せに育ったんですねぇ、旦那は」

「……まさか買ったのは牡丹楼じゃないよな」

「妓楼に売ったんじゃ、二束三文で買い叩かれるのが落ちですよ。奴隷市場の競りでも、この娘はこれこれの出でって血統書付けでもしない限り、単なる奴隷、労働力でやっぱり高値は付きません。でも本当の素姓じゃ賊が何をしたか露見て、流石にそれは不味いでしょうよ」


 呆れた清りが解説してくれたが、妙に詳し過ぎる。

 瞬いた武早に、清りはまた、ひら、と手を振り、百良に続きを促した。


「ですから、人身売買にも、表に出せぬ者を売る裏市場と言うものが在るのですわ。そこであたくしを買ったのは、好色変態下衆爺でしたの」


 最早武早は言葉も無い。

 目を見開くばかりの男に、妓女は、ほほほ、と優雅に笑ってみせた。


「勿論、誰が長居なんて致しましょう。逃げ出しましたけれど、知らぬ土地で追われて二進も三進も行かなくなり、あんな地獄に連れ戻されるならいっそ、と、思い極めたところを救って下さったのが、姐さんでしたの」


 命の恩人で、そして泣くしか出来なかった小娘に、人を動かす方法と力をくれた人。

 どうして感謝せずに、尊敬せずにいられようか。

 ならば百良に劣らぬ忠誠心を見せる清りにも、こんな過去が有ったのだろうか。


「あたしの場合は、よくある借金の形って奴ですよ。珍しくもござんせん」


 しかし、清りは親に泣く泣く売られたのではなく、実の親自らが、殺しても構わぬと札を付けて奴隷市場に売ったのだと言う。


「何だよそれ!?」

「よくある話でございましょ。実の親子でも相性と言うか、反りが合わないってのは」


 清りの家は、貧しい農家の子沢山の典型で、長女清りの下に七人の弟妹が居た。

 しかし、本来ならば労働力として頼りにされる清りを、両親は虐待し続けたのだと言う。


「どっかの偉いさんが言ったそうですよ。人生の不幸とは、親を選べない事、子を選べない事、生涯の伴侶は選べても、その親は選べない事だって。至言じゃござんせんか」


 自分に落ち度が有ったという類の話ではない、と清りは思う。何分物心付く前からの事なので、定かではないのだが。

 元々少ない食事を、清りだけが更に減らされて、二日に一度、態と泥に落とされた麦飯を啜って食べる様な状態だった。

 栄養が足りず、十歳なのに七歳の弟より小さく、異常に痩せ細った体に、更に両親は暴力を加えた。

 十五まで生きたのが奇跡だと、清りは我が事ながら思う。

 一番上の弟がこっそりと自分の食事を分けてくれて、それが心の支えだったか。育ち盛りで一口だって惜しい筈なのに。

 弟妹にはそれ程酷い折檻は無かったが、それでも清りを庇ったと知れると、勢いで吹っ飛ぶ程頰を張られたから、姉弟でもあまり仲良くした記憶も無いのだけれど。

 十六の頃、借金の形に売られて、弟妹とは生き別れた。


「でもねぇ、十六の娘盛りの筈が、貧相な十歳位にしか見えないんですよ。自分の名前さえ読み書き出来ませんしね。小間使いにもなりゃしないんじゃ、まともな買い手は付きません。……あたしはあたしの地獄を見たんです。女の地獄と男のそれは、全然違うんですよ、旦那」


 そして、紅子に助けられた。


「……相性だ反りだって問題じゃないだろ」

「さぁて、何が悪かったんでございましょうねぇ。姐さんは、親の資格の無い者が親になる事は全員の不幸だ、って仰ってましたけど」


 全員。子と――そして親自身も。


牡丹楼(うち)の女は皆、色々な地獄から姐さんに助けられてるんですよ。でも別に、恩を盾に妓女になれと言われた訳じゃござんせん。自分がどうしたいのかよく考えて、これが一番手っ取り早かったってだけの事でして」

「何をしたかったのかな」

「それをお知りになりたいなら、取引の条件を増やさなきゃなりませんねぇ」


 おっと、と、武早は降参の証に両手を上げた。

 うふふ、と清りは幸せそうに笑う。


「姐さんは、弱きを助け強きを挫くのは自分の柄じゃないなんて仰いますけどね、実際なさる事は、正義の味方そのものなんですよ」

 少なくとも、牡丹楼の女にとっては。

 だから姐さんと慕われる。

 尊敬される。

 恩に報いる為でなくても、紅子の為に、己の何かを犠牲にしても構わない程尽くそうと思う。


「オババ……うちの楼主は姐さんを天性の女誑し、間違いなく魔性の女だと言ってますよ」

「あれだけの気風の良さですもの。殿方に生まれていたら、一時代を築かれたでしょうね」


 男を手玉に取る妓女をここまで傾倒させるとは、確かに誑し込み具合が魔性である。


「じゃあ、条件増やしても良いからもう一つ。階下で赤紫ちゃんの事『(べに)姐さん』って呼んでたけど、紅は牡丹楼だけの愛称かな?」


 書庫では凄まじく嫌な顔をされたのだが。

 美女は何かを確認する様に顔を見合わせた。




お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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