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デマイズ・オブ・ワールド  作者: 雨兎
第三章 邂逅
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第五十七話 再廻




「じい、さん」



波の音に掻き消されながらも、レイヤは喉から振り絞るように、こちらに向けた険しい眼差しの送り主の名を呼ぶ。


廃人の掠れた呼びかけに対し、神は沈黙を保っている。その場から微塵も動くことなく、ただ眼前に転がっている廃人を見つめていた。


か弱い少女のように啜り泣くクオンの隣で、黒く閉ざされた空虚な瞳でぼんやりと見上げるレイヤ。瞳に光明は無く、目の下には窶れたように隈ができており、かつての姿は見る影もない。



「……ああ、クオンじゃなくてもいい。じいさんでもいい。誰でもいい。早く、早く俺を殺してくれ。俺を終わらせてくれ」



まるで、映画に出てくるような屍生人のように、レイヤは砂浜を這うようにヘファイストスの元へと近づき、縋り、懇願するように彼の足にしがみつく。


この時、ヘファイストスは噛み締めるように──失望というものを味わった。



なんとも、嘆かわしきことだった。

自らが弟子の落ちぶれた姿には言葉もない。

彼には、希望すら抱いていた。

この世界を導く、光となるやもしれぬと。

形容しがたい喪失感が胸を貫く。

レイヤに対する失望に、等に感情は冷めきっていた。この者にくれてやる情など微塵もないと。


神であるが故に、人間を見捨てることなど容易なことだ。


だがしかし、それは逆も然り。


神であるが故に、人間を易々と見限ることはできない。ましてや、師弟の絆が深く結ばれた者を切り捨てるなど、ヘファイストスにはできなかった。


暗闇へと落ちた者に、手を差し伸べることこそが神の本質なのだと。目の前に彷徨える人間がいるというのに、救わずしてなにが神と言えようか。必ず救い出してみせると心に誓い、ヘファイストスはゆっくりと口を開く。




「わしはこれまで、数多の人間をこの目で見てきた。あらゆる時代、あらゆる大陸。善であれ、悪であれ、多種多様に溢れた人間たちを見てきた。そんな人間たちの中でも、お前さんには、特別なものを感じておったんじゃ」









──今更、何を。


目の前の老人は、何を悠長に語り始めているのか。今の自分に、一体何を聞かせようというのか。


至極、どうでもいい。


何もかもが嫌で仕方がないのに。今この時、呼吸していることさえも煩わしいというのに。

この空間に、自分という存在が留まっていることに苛立っているというのに。

こうして自ら思考が浮かび上がってくることに、気が狂いそうになっているというのに。



「最初にお前さんと会った時のこと、覚えておるか?紹介したい人間がおる、なんてクオンが言った時にはぶちのめすことしか考えておらんかったが……お前さんを一目見た瞬間に、その考えは一気になくなったどころか、嬉しかった。この時代に──こんなにも善性に溢れた人間が存在していたことが、何より本当に嬉しかったんじゃ」



──気持ちが、悪い。


目の前の老人は、何を血迷ったのか。こんな自分に、善性を感じていたとでもいうのか。


御託にしか聴こえないそれは、おぞましいとまで感じていた。訴えかけているつもりなのだろうか。訴えかけて、何になるというのか。今更、届くとでも思っているのか。


疾うに希望など、焼却されてしまったというのに。



「……レイヤよ。今のお前さんは、大切なものを見失おうとしておる。心が折られたとしても、自暴自棄になってはならぬ。今ならまだ間に合──」




「何がだよ」







今までにない、明瞭とした声が神の言葉を遮った。

その声音には、この場の誰もがはっきりと分かるような、意思が込もっていた。


顔を上げて、虚ろな目をこちらに向けて。

唇は震えて、目には涙を浮かべて。

溢れ出た感情は、静かな悲しみではなく。

もっと別のなにか、激情に近しいもので。



「──もう遅いんだよ、何もかも!!」



()()──レイヤは怒りを顕にし、声が裏返りながらも叫声をあげた。



「今更俺が生き返って学園に戻ったところで、何ができるって言うんだよ!?犬死にして、またみんなを殺すだけだ!」



憤懣をぶつけるように、手の砂を握り締め、ヘファイストスに向けて怒声を浴びせる。

戦慄き、呂律さえままならない声で、吼える。胸の内が張り裂けるほどの激情が、飛沫を上げる。


どれほどに悔いたとしても、どんなに抗ったとしても、何も変わらない。



いや、変わらなかった。



この地へと降り立ったあの日から、幾度となく挫折を繰り返し。それでも立ち上がって、微々たるものでありながらも、着々と前へ前へと進み。死に物狂いで障壁を超えたと思えば、すぐに次の障壁が聳え立ち。あまりの絶望に打ちのめされそうになっても、立ち止まることなく突き進み。


守りたいと誓った存在のために、駆けた。



それでも、守れなかった。



悪魔の見せた、あの時の表情が。

悪魔が聴かせた、あの時の声が。



思い出す度に、守れなかったという己の無力さを駆り立て、大切な者たちを失った喪失感に胸が締め付けられる。


「俺は弱い、弱いんだよ! いくら努力しても、どれだけ頑張ったとしても、何も変わってない! その結果がこれなんだよ! みんなに応えたくて、認められたくて、一生懸命頑張ったんだ! 必死になってやったんだよ!……ああ、そうさ。弱いままのくせに、良いところ見せたくて、応えようと頑張ってる自分に酔ってたんだ。そのせいで、俺は何ひとつ守れやしなかった。俺のせいで、みんなを死なせた」



溜まった心の澱みを吐き出して、レイヤは唇を噛む。悔やんでも、恨んでも、何に至っても満たされることが無い。この胸の内に溜まった蟠りが消えることは無い。ただひたすらに、罪悪感と自己嫌悪が増していくばかりで。


荒々しく息を上げて、乱雑に言葉を羅列させて。自らの言葉で、自らの愚かさを再認識して。


どんなに努力を重ねたところで、結果が残らなければ意味が無い。


ここは、そういう世界だ。


つまり、自分に生きている価値はないのだ。



「なにが戦士だ、聞いて呆れる。自分の命すらろくに守れないくせに、誰かに救われてばっかりのくせに、驕りが過ぎるにも程があるって話だ。弱くて、惨めで、情なくて。ここまで救いようのない人間もいないだろうさ。俺みたいな人間は、さっさと死んだ方がいいに決まってる。……俺は、生き返るべきじゃなかったんだよ」



止まらない自己嫌悪に吐き気がする。こうして、呼吸できていることに不快感を覚える。自分という存在が、未だ健在だという耐え難い事実に死にたくなる。


──今を思えば、()()()()()()()()()()()()()()

生き返った原因も、目的も。

なにひとつわからないまま、生き恥を晒していた。


もういい。

誰でもいい。

贅沢は言わない。

慈悲なんかいらない。

方法などどうでもいい。

お願いだから、さっさと殺してくれ。





「──お前さんは、なにもわかっておらぬ」





ヘファイストスの声が耳で響くと同時に、目の奥で火花が散った。



「ぶ────」



豪腕から繰り出された殴打が、レイヤの顔面を捉え、衝撃を生む。痛快に吹き飛ばされたレイヤは、無様に砂浜を跳ね転がる。

鼻血をぼたぼたと垂らしながら、よろよろと膝をつくレイヤのもとへ、砂を踏みにじるように音を立てながら、ヘファイストスが近づいてくる。



「少しは目が覚めたか、馬鹿者」



勢いよくレイヤのぼろぼろに傷付いた制服の胸ぐらを掴み、尚も流血が止まらないレイヤの顔を睨みつける。

当の本人であるレイヤは、諸に直撃をもらったために、殴られた余波が治まることを知らず、視界はおろか思考までもおぼつかない。かろうじて、ヘファイストスの声が遠のいて聴こえてはいたが。



「わしはお前さんがクッソ弱いことも、女々しくて頼りないことも、戦士とは思えんほどに泣き虫なことも、見てるだけで可哀想なくらい知っておるわ。わしだけじゃない。クオンも、お前さんのもう一人の師匠や、仲間たちだって気付いておるだろうな」



口からこぼれるように、次々と見透かされていることを告げられる。



「……そしてお前さんが、幾度となく絶望を味わってきたことも、わしとクオンは知っておる」



重く、低い声音で告げられた彼の言葉には、それの悲惨さを物語っていた。

言の葉に秘めた静けさの中には怒りがある。だが、それだけではなかった。さめざめとした、言い表すことのできない哀愁が込められていたのだ。


ひとりの人間に課せられてしまった運命。

それはあまりにも残酷で、無慈悲なもので。

苦難に虐げられ、幾度となく絶望するその様は、全ての者の心を抉る。


それが、たとえ神であっても。



「何もかもに絶望したお前さんが、死を望むのもわかる。あらゆるものから解放され、環へと戻るのもひとつの終わり方じゃ。ここで終いにすることもできる。……しかしなレイヤ、お前さんは──()()()()()のことは考えたことはあるか?」















ヘファイストスの言葉を聴いた瞬間、目の前が真っ白になった。






◇◆







空も、地も、境界も。視界に入るものは全てが白く。区別がつかないほどに白く。

何もない空間に、ぼんやりと佇んでいる。


自分は今、なにを幻ているのだろうか。


ふと、陽炎のように揺らめく霞のような何かが、ふたつ。まるで、なにかをこちらに訴えかけているような、そんな気がしたのも束の間。

ふたつの霞はゆっくりとこちらに近づき、目の前で止まると、その姿をみるみると変貌させる。


やがてかかっていた霧が晴れ、二人が姿を現し──







────これまでに、どれだけ会いたいと願ったか。

見果てぬ夢であろうとも、何度願っただろうか。















心より愛した二人の家族が、手を握ってくれていた。









◆◇










「……ぁ、ああ。あっ、あぁ。う、うぅっ」



気づけば、目には滂沱の涙で溢れかえっていた。


なにかを幻た気がしてならないが、なにも思い出せない。現に、泣いている理由もわからない。ヘファイストスの言葉を耳にした後のことが、はっきりと思い出せない。


わからないことだらけなのに、どうしてこんなにも涙が止まらないのだろうか。


きゅうっと胸が苦しくて、悲しくて、切なくて。感情の波が押し寄せてきて、止まらない。制御の効かない感情の渦に巻き込まれて、為す術もなく大泣きを晒す。



「お前さんが誰かの死を嘆くように、お前さんの死を嘆く者たちはたくさんおる。そんな者たちの想いまでも踏みにじってまで、お前さんはまだ死にたいと思うのか?」




そこには、大切な人たちがいた。

戦士隊の皆。先生。妹に、敬愛する師たち。


幸せに満ちた表情で、皆が笑っていた。曇りなき笑顔で、満ち溢れていた。




──そう、大切な人たちがいる。









「……く、ない。死にたく、ない……よ」






悲しい思いを、したくない。

これ以上、なにも失いたくない。



レイヤの、心からの本音だった。






「……クオンや、こやつを許してやってはくれぬか」



一時の間が空いた後、ヘファイストスはその場でへたり込む少女に呼びかける。


緩やかに吹き込んだ潮風が、長く伸びた少女の前髪を攫うように靡かせ、潤んだ紫水晶の双眸が顕となる。

その瞳に映った先──項垂れ、蹲っている青年の姿があった。声を上げて泣きじゃくり、ひどく顔を汚したその様は、まるで小さな子供のようだった。


少女は物音立てずに静かに立ち上がり、その場で砂をはらうと、そっと寄り添うように青年の傍へと腰を下ろした。

少女の存在に気付き、顔を上げる青年。

青年の普段から凛々しく整った顔つきは、今や瀑布の涙に濡れ、とても見せられるようなものではなかった。

お互いに赤く腫らした目で見つめ合い、視線が交錯する。耐え難い羞恥と罪悪感に、青年は時折目線を外すのに対し、少女はひたすらに青年を見つめていた。


「お、俺──」


「──ねえ、レイヤ。私と契約を交わした時のこと、覚えてる?」


視線を交わしながらの沈黙に、青年──レイヤは耐えきれず、もじもじと何かを言い出そうとしたのを遮るように、少女──クオンは問うた。


その紫の瞳は真っ直ぐにレイヤを捉え、離さない。彼と向き合うために、決して目を離さない。


彼女の手によって命を救われたあの日。

神である彼女との契約を交わし、『忌死廻生(リスタート)』の力を授かった。レイヤの助けたいという切なる願いに、クオンは神として応えた。


だが、レイヤは彼女の想いを蔑ろにした。

その権能を利用し、自らの命を絶った。


当然の報いを、受けるはずなのだ。



「私はあなたに生きて欲しくて、力を渡したの。戦士だからって、死んでいい理由になんてならない。誰よりも優しいあなたに、私は笑って幸せに生きて欲しい。あなたにはその資格があるもの」


────しかし、女神である彼女は涙ながらに微笑んだ。


その笑みは、レイヤの凍てついた心を溶かすような温もりに溢れ、全てを包み込む慈愛で満ちていて。


怒りを顕にすることも無く、罵詈雑言を浴びせることも無く、ただ彼女は微笑んだ。



「辛いことも、悲しいことも。レイヤに起こる不幸なこと全部、私も一緒に背負うから。だからね、これは私のわがままだけど……どうかあなたの隣に、居させてください。あなたを傍で、見守らせてください。……私、好きな人にはとことん尽くすタイプなの」






静止した時の中で、レイヤは途方のない夢に浸かっていた。



自分は、独りでしかいられない。誰にも頼ることなく、独りで解決しなければならない。独りで、全てを背負うべきなのだと。そうであるべきなのだと、自らに枷をつけていた。そうでなければならないと、自らを呪っていた。



それが今、彼女の言葉で跡形もなく消え去った。泡沫の彼方へと失くなり、止まった時が動き出し始める。



「お、俺は……クオンを、じいさんを、みんなを見限って、逃げようとした。自分だけ……楽になろうとした。それに、弱くて、卑怯で、情けなくて……それで、それでっ……」


「うん。知ってる」



レイヤの止まらない涙と自己嫌悪に、クオンは優しく宥めるように頭を撫でる。


これ以上泣きたくなんかないのに、彼女の言葉が耳の奥で木霊する度に、涙が止まらなくなる。自らの不甲斐なさもある。しかし、それよりも遥かに凌駕するほどの彼女の温もりが、レイヤの目頭を熱くさせていた。



「……まったく。女の前でこれだけ泣き喚く男も珍しいもんじゃ」


「ふふ。ほんと、泣き虫さんなんだから」



やれやれと息をつくヘファイストスに、クオンは涙を拭いながら小さく笑い噴き出す。



「俺で……俺なんかで、本当にいいのか……?」


「ええ、そう。あなたじゃなきゃ嫌なの。……もう、こんなこと言わせないでよ」





──これからだ。


ああ、そうだ。

これから、自分はようやく歩み出せる。

独りではない、かけがえのない仲間たちと共に。


ようやく始まる、異邦の地での物語。

超常が蔓延るこの異世界での、人間による物語が。


終焉にはまだ早い。


灯火が潰えぬ限り、終わることは無い。



「……ごめん、クオン。俺はもう、自分から逃げない。君を泣かせたりなんかしない。弱くて嫌いな自分も好きになれるように頑張るよ。それから……その、もっとかっこいいところを見せれるようにも」


「ありのままのあなたでいいのよ。無理にカッコつけなくても、レイヤのかっこいいところはよく知ってるもの」


お互いに笑顔を見せ、レイヤは戻ってきたことを再認識する。


「……話は済んだかの。じじいをすっぽかしてイチャつきよって。調子のいいやつじゃ」


「……じいさんにも悪いことをした。じいさんの気持ちも考えずに、あんなひどいことを……本当にごめん」


「わかっておればよい。あとは冥界よりも深ぁく反省することじゃ。その過ちをもう二度と繰り返すことのないよう、心に刻んでおけ。よいな?」


「うん……うんっ」



ヘファイストスの大きな手がレイヤの頭を覆いかぶさり、豪快にわしゃわしゃと髪を撫で回す。再び込み上げてくるものがあったが、何とか意地で引っ込めた。


情けない姿を、そう何度も見せるわけにはいかない。そう思って顔を上げた瞬間──












「──ようやく会えたな、妹よ」












瞬き雷光と共に、神々が降臨を果たした。









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