第五話 震えた手、数多の目
「──え、これから入る仲間たちに挨拶しに行く?」
突然のドラシルの提案に、レイヤに緊張が走る。
「そうそう。この後、生徒たちの朝礼があってね。先にこれから君がお世話になる仲間たち、第一戦士隊の皆に挨拶を済ませておこうと思ってね」
「戦士を育てるって言っても、学校らしいことはちゃんとやるんだな……」
俯き、肩を落とす。というのも、レイヤは人付き合いがあまり得意ではない。俗に言うコミュ障、とまではいかないが幼少からの名残りなのか、好んで人とは接しなかった。日本にいた頃は、周りの友人に恵まれていたというのもあり、人付き合いには苦労することなく、心底救われていた。
だがしかし、人前に立って話すというのは、レイヤにとって難易度の高いことであった。相手は恐らく多数、ましてや人間ではない天使である。いきなり高難度の壁が立ち塞がったという感じである。
「ふむ。レイヤは人付き合いがあまり得意ではない、のかな?」
「……まあ、当たり。苦手だし、ちょっと怖い」
「心配はいらないよ。第一戦士隊の皆は心優しい子たちばかりだ。……初めての人間に興味津々だ、ということは担任から聞いているが」
「取って食われたりしないよな?」
「……そこまで怖がる?」
◆
不安と緊張で手足を震わせたレイヤを、ドラシルは引っ張るように連れ出した二人は部屋を後にし、第一戦士隊の教室へと向かう。
「こんな時間にお前が書斎室から出ているとは珍しいな」
不意に、背後から声がかかる。一切の気配もなかったために、レイヤは驚きで振り返る。
そこには、艶めいた灰色の長髪を後ろに纏めた髪型に、レイヤの着ている制服と酷似した黒を基調とした衣装。瑠璃色の瞳に、凛々しい目付きでこちらを見据えた男が立っていた。見た目は二十代前半ぐらいだろうか、まだ若々しい感じも残っているように感じた。
「気配を消して歩くのやめなって言わなかった?だから生徒たちに挨拶されないんだよ」
「気を抜いてしまうと、どうにも癖でな。……ところで、隣の青年がそうなのか?」
「そ、私の愛弟子だよ。レイヤ、紹介しよう。彼が第一戦士隊の担任を任されている、ラクア・ロイアスだ」
ドラシルの紹介を受け、ラクアはレイヤの方に視線を向けると、白い手袋をした左手を差し出した。レイヤは一瞬、頭に疑問符が浮かび上がったが、咄嗟に握手を求められていると慌てて手を伸ばし、握手を交わす。
「ラクア・ロイアスだ。これからは君を指導をしていく身だが、人間の身でありながらも、戦場に立つ覚悟をしてくれたこと、深く敬意に値する。不安なことばかりで今は余裕がないかもしれないが、何かあればすぐに私を頼ってくれ。必ず、力になってみせよう」
「や、夜宵怜夜です。えっと、これからよろしくお願いします」
「ああ。よろしく頼む」
ラクアとはここで初対面であるにも関わらず、既にレイヤは彼に頼もしさを抱いていた。不安な表情を見せていたのを気にしてか、励ますように言葉を送ってくれたラクアのおかげで、レイヤの緊張と不安も緩やかに解けていった。
「では、これからは私が責任を持って預からせてもらう。それで構わないな」
「異論はないとも。レイヤをよろしく頼むよ」
◆
ドラシルと別れた後、レイヤとラクアは第一戦士隊の教室へと向かっていた。長く続く廊下をひたすら歩く。ぼんやりと、ラクアの背を眺めていた時だった。
「……アレは少し性格に問題があるが、心配する必要は無い。教え導く者としては、誰よりも彼女は優れている。必ず、力になってくれるだろう」
「そう、なんですね。少し以外です。あの人、そんなにすごい人だったんですね。その、あんまりすごいって思うようなところは見なかったものですから。……むしろ、変な人って感じが徐ろにというか」
「……まさかとは思うが、変なことはされなかっただろうな?」
「…………されてないです。多分」
「よし。後で入念に叱っておく」
ラクアとの会話で垣間見えたのは、ドラシルとの親しい間柄を思わせるような口ぶりだった。それも単なる友情ではなく、長い付き合いの果てに結ばれた固い絆のようなものであった。
「……ドラシルとは、仲が良いんですか」
「腐れ縁のようなものだ。アレには苦労させられているよ、まったく」
苦笑し、ラクアは微妙な表情を浮かべた。しかし、それは迷惑極まりないと嫌っている様子はなく、くだらない悪戯に着き回されながらも、友情を感じさせるものがあった。
ラクアとの談笑も束の間、ついにレイヤたちは教室の扉の前へとたどり着いた。
思いのほか大きな扉であることに驚いたが、とにかく緊張で足の震えが止まらない。手にはじんわりと汗が滲み、自分でも分かってしまうほどに表情が硬くなっていた。
「お、おい、大丈夫か……?」
「だ、大丈夫、です。多分……」
ラクアの後に続き、レイヤは竦んだ足で教室へと踏み入る。目視できるだけでも、数十人もの人間、ではなく。天使たちが綺麗に並べられた椅子に座り、待ち侘びたかのような目線をレイヤに向ける。多勢の注目を集めながら、レイヤは教壇に立つラクアの隣に並び立つ。
「皆、静かに。昨日より話をしていた、この第一戦士隊の仲間として入隊してきた転入生を紹介する。ではレイヤ、自己紹介を」
深く息を吸う。まずは自身の呼吸を整え、落ち着かせる。次に、これまでの道中で考えてきた選りすぐりの言葉を、素早く簡潔にまとめる。言葉たちが並べられ、文章として確立される。脳内再生及び、脳内シュミレーションによる演算は言うまでもなく完璧の仕上がりだ。今こそ、『自己紹介』という名の任務遂行が果たされる時───
「や、夜宵、れ、怜夜ですっ。え、えっと、そ、その、あの、よ、よろしく、お願いしまっ、しますっ!」
「……み、皆も仲良くするように」
しかし、そんな時が来ることは断じてなかった。
「レイヤは一番右側の後ろの席、レイヴの隣の席に座ってくれ」
ひしひしと視線が向けられるのを感じながら、とぼとぼとラクアの指示通りに、後ろに空いた自らの座る席へ向かう。
そこには、窓辺から射し込んだ光がその席へと導くように輝いていて。同じくして輝くその席の隣には、紺く輝く髪に、黄色く瞬く光が宿った瞳でこちらを見つめる青年がひとり。
「───オレはレイヴ・ルリュード。よろしくな」
青年はレイヤにだけ聞こえるような声で名乗り、射し込んだ光よりも眩しい笑顔を見せた。




