第五十四話 冷たい熱
「────ほぉら、起きて。……ええと。あ、そうそう。レイヤくん」
聞き慣れた女性の声と共に、体を揺さぶられる感覚がある。身体の痛みは癒えていないのは当然ながら、胸の疼きもあった。ずっと眠った状態からの覚醒だからだろうか、目を開くことが難しい。今、自分が横たわっていること、どのような状況に置かれているか、理解できている。
「ねえねえ、起きなよヤヨイ レイヤくん。起きなさいってばぁ」
再び自分の名前を呼ぶ女性の声が聴こえる。柔らかく、どこかあどけなさを感じる声音なのはさっき知っている。呼びかけの声に応じるために、レイヤはひどく重たい瞼をこじ開けて、再び外の世界を映し出す。
「やっと起きてくれた。おはよう、レイヤくん。目を覚ましてすぐに綺麗なお姉さんと十秒以上も見つめ合った感想は?」
「……死んだんだ。俺は、また」
「……何を言ってるのかさっぱりね。悩殺しちゃったかしら」
変わることのないメロウの問いかけに、またしても命を落とし、再びこの世界へと回帰したことをレイヤは、苦渋を飲み干すかのように理解した。
◆
「────悪魔たちの狙いは、学園長?」
レイヤは先の記憶を頼りに、口早にメロウに悪魔たちの企みを説明していた。レイヤの死に際に耳にした台詞、あの言葉をそのままの意味に捉えるならば、──あれはネルアに向けての怒りだ。レイヤの知る限り、あの悪魔は必ずネルアを殺しにくる。であれば、それは必ず阻止せねばならない。
「はい。今からでも学園長室に急げば間に合うはずです」
「うーん。でもさぁ、確信に繋がる根拠はあるの?レイヤくんを信じてないわけじゃないんだけど……ほら、あまりにも話が急すぎて、ね?」
レイヤが一番に危惧していたこと、それが今に起きていた事態だ。当然ながら、この話の信憑性を疑われてもしょうがなかった。なにしろ、レイヤにはこれを信じさせることは不可能だ。というのも、メロウを説得させるには、クオンの存在を明かすことが大前提だからだ。彼女の力なくして、この情報を手に入れることなど出来やしない。ましてや、────この場に立つことさえも。
「…………」
クオンの助力があったことをメロウに告発すれば、事実であることは証明できる。しかし、それはクオンとの約束を破ることになる。それだけは何としてでも避けたいレイヤだが、その他に思いつく手段がない。
「……まあ、でも。君を学園長のところに連れて行くことは命じられてたことだし。とりあえず、君を信じてみることにするわ」
「信じてくれるんですか……?」
「話に信憑性は無いけれど、この状況下じゃ有り得ないってことは無いでしょ?それに、生徒の言葉を教師が信じてやらないでどうすんのって話よ」
弱々と尋ねるレイヤに、メロウは当然と言わんばかりに、その豊満な胸を張って言い切る。唖然とし、内側から震えるレイヤに、メロウはただ不思議そうに首を傾げていた。よもや、手詰まりに陥っていた事態があちらから収束するとは思ってもおらず、レイヤは力んでいた肩の力をそっと脱力させる。
「先生、早く行きましょう。さ、早く俺をおんぶしてください」
「妙に手際が良いいわねこの子」
これで、間に合う。きっと、間に合うはずなのだ。
「あら、随分とお早い到着でしたね」
強く開け放たれた扉の音にも動じず、穏やかな様子でこちらに眼差しを向けるのは、窓から学園の様子を眺めていたネルアだった。
「学園長、ご無事ですか」
「……?ええ、私は特に問題ありませんよ。それよりもメロウ、よく私の命令を成し遂げてくれましたね。偉いですよメロウ」
「は、はい。……ありがとうございます」
メロウの問いかけに一瞬疑問符を浮かべたが、すぐにそれは無くなった。ネルアはそんなことお構い無しと言わんばかりに、メロウのもとへと近寄り、笑顔で褒め称えると同時にメロウの頭を優しく撫でる。されるがままに頭を撫でられているメロウは、恥ずかしさに赤面しているものの満更でもない表情だ。
「あの、学園長。そろそろ……」
「あらいけない、今は悠長に可愛がっている場合ではなかったわね」
背中に抱いているレイヤにまじまじと見られることに限界を感じたのか、メロウが耐えきれずにネルアに申し立てる。ハッと我に返ったネルアはおずおずと後ろに下がると、こほんと一つ咳払いをしたところで、先程とは一変してこちらに真剣な表情を向ける。
「では、本題に入り……」
「────ネルア学園長。ひとつ、伝えたいことがあります」
思わぬ言葉の遮りに、ネルアは瞬きをする。メロウの背中からゆっくりと離れ、ふらつきながらネルアの前へと出たのは、ネルアの言葉を遮った張本人であるレイヤだった。
「ネルア学園長、これは──」
「────メロウ」
レイヤが事の真実を語ろうとした瞬間、次はネルアがレイヤの言葉を遮るように、メロウの名を呼んだ。予想だにしない行動にレイヤは小さく息を呑む。咄嗟に呼ばれたメロウは動揺しつつもネルアに返事を返す。
「現在、ファントムにて第一戦士隊、第二戦士隊が悪魔と交戦中です。そちらにはドラシルたちも向かわせてあります、貴女もそちらに加勢して頂けますか」
「了解致しました。では、お先に失礼します。……それじゃあね、レイヤくん」
メロウは小声でレイヤに別れを告げると、深く一礼した後に部屋を出た。
「ごめんなさいね、お話を止めさせてしまって。でも、こうさせてくれたおかげであの子には嘘をつかずに済んだわ。それじゃあ、聞かせてくれるかしら」
無意識に口を噤まれたレイヤは、忘れかけていた事を再び脳裏で構築させ、言葉にする。
「ネルア学園長。先に言いますけど、信じてもらえないかもしれない。それでも俺は、これをあなたに伝えなきゃいけないと思った。だから、伝えます」
いざ本人に伝えようとするも、この事実が彼女の心にどれだけの不安と恐怖を募らせるかと思うと、今一歩勇気が足らず踏み出せない。だが、伝えないということは────彼女を見殺しにするのも同然だということだ。
一度死を味わい、ここまで来た理由を思いだせ。自分がどうしてここにいるかの理由を。
「ここに悪魔が来ます。悪魔たちの狙いはあなたなんです、────ネルア学園長」
自分の口にした言葉が、後から自分自身に響き渡る。不安でいっぱいなのはネルア本人であるはずなのに、レイヤ自身はこの場に留まることが居ても立っても居られない。一刻も早く逃げ出したい。
恐る恐る、ネルアの顔を窺う。きっと不安に駆られ、恐怖へと陥っているはず────、
「ええ、知っています」
今、何を言ったのか。ネルアの口にした言葉が、わからなかった。その言葉を鵜呑みにすることが出来ずに、反芻し理解することも叶わない。
しかし、そんな様子のレイヤを見るや、普段通りの穏やかな表情を見せている。
「むしろ私は、あなたがそれを知っていることに驚いていますよ。ああ、それもあなたの内に秘めたその力によるものなのでしょうが……それについてもお尋ねしたかったのですが、今はそんな暇もないようですね」
彼女の口ぶりは、いかにもこちらを見透かしているようだった。何もかも、手のひらで踊らされているような、彼女に誑かされているような、そんな感覚を味わっている。
ネルアは、自身が悪魔に狙われていることが分かっていた上で、あのような惨劇にまみえたというのだろうか。考えれば考えるほど、思考がまとまらない。
「それじゃあ、どうして……」
「──来てしまったようですね」
ぽつりと溢れ出たレイヤの声は届くことなく、それは強い衝撃の波と共に現れる。壁が崩れ、瓦礫となって散乱する。そして、瓦礫を除けてこちらを見下し、睨みつけながら男が降りてくる。白髪の頭に、黒く禍々しい双角が伸びており、深く蒼色に染まった瞳は恐ろしいほどの鋭い眼光を放っていた。
「────まるで、死の到来を待ち望んでいるかのような様だな」
「あら、久方ぶりね────サタン。随分と余裕がないように見えるけど?」
ネルアに名を呼ばれ、忌々しげに睨みを利かせ、此度の襲撃の首謀者である悪魔────サタンはこちらに殺意の念を向けた。
そんなレイヤは、ただただ恐怖で、動くことが出来なかった。目の前で失われる命があるというのに、足が竦んで前に進まない。
死ぬ。ネルアが死ぬ。自分の目の前で死ぬ。戦士としての使命も果たさず、ただ目の前の死を眺めゆくだけで。レイヤには何も出来ない。
「っ……ぁ…………!」
(動け!動け!動け!動け!なんの、ために!俺はここにいる!?目の前で人が死ぬんだぞ!?ネルア学園長が死ぬんだぞ!?止められるのは今、俺しかいないんだぞ!?)
「────三秒。あなたを逃がすための時間を作ります」
不意にネルアより投げかけられた言葉。それを理解するよりも前に、事象はレイヤの身に起こる。
「…………ぇ?」
淡い蛍光がレイヤを包む。
「────生きなさい」
その言葉を最後に、レイヤはその場から音もなく消え去った。
消える間際、最後にレイヤの目に映ったのは、腹を抉られ吐血しながらも、その優しい笑顔を守り抜いた彼女の最期だった。
◇
────とある日の記憶。
放課後。レイヤはドラシルとの鍛錬を終えた後、忘れ物を取りに教室のある校舎へと向かった。すぐに目当てのものを手に取り、帰ろうとしていたとき、レイヤは背後から声をかけられる。
「こんな時間まで特訓だなんて、精が出ますね」
その声の主はレイヤにとっては以外な相手で、少し緊張を覚える相手でもあった。そんな気持ちを抱きながらも、声の方へ振り返り、平然を装いながら声をかける。
「そう言ってくれると、ちょっと嬉しいです。ネルア学園長はどうしてここに?」
「私はただここの廊下を通っていただけでしたが、偶然あなたを見かけたもので。つい声をかけてしまいました」
ネルアは柔和な笑みをこぼしながら、楽しそうに言葉を交わす。そんなネルアの様子に、レイヤは思わずばつが悪そうに苦笑いする。この学園に来たばかりの時に初めて会った以来、何も接点が無かったために、人との付き合いがあまり得意では無いレイヤにとっては、少し苦手な相手であった。
「────そうだわ。少し付き合ってくださる?」
そうして断る勇気もないレイヤは、ネルアについて行くことしか出来なかった。
「さぁさ!座って!座って!すぐにお茶を出すわね!」
「は、はい……」
夕暮れに静まり返っていた学園長室は、主が帰ってきた途端に明るく、騒がしくなり、その主であるネルアは鼻歌まじりにお茶の準備に忙しなく取りかかっていた。当のレイヤはというと、陽気なネルアの波に気圧されて萎縮しており、完全アウェイな状態であった。自分から緊張を解こうとするあまり、余計に全身に力が入って表情は固く強ばってしまっていた。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ。もっと気を楽にしなさいな。はい、緑茶とどら焼きね」
「い、いただきます」
緑茶とどら焼きが出てきたことに少し驚いたが、レイヤにどうしてと伺う余裕もなく、熱々の緑茶が注がれた湯飲みを口まで運ぶ。乾ききった喉は潤い、茶葉の旨み、ほのかな甘みが口の中で広がり、なんとものどごしが心地よい。ほっと一息をついたレイヤは、不思議なことに自然とネルアに対しての緊張感は解け、落ち着いていた。
「いいわよねぇ緑茶。私の住んでいた国には無かったから、初めて飲んだ時は感動したのを思い出すわぁ」
「ネルア学園長の住んでいた国は、どんな国だったんですか?」
「…………そうねぇ。私が住んでいた所は山だったからねぇ。自然が豊かで、山から眺める街並みも綺麗で。本当に、本当に私はあの国を愛していたわ」
「……あの。今日はどうして俺を?」
レイヤはすぐに顔を俯かせ、別の話題をネルアに振った。出過ぎた真似をしてしまったと、ひとりで気まずくなる。というのも、レイヤの先程の問いかけに、ネルアの瞳が微かに揺らいだのだ。刹那に垣間見えた、彼女の奥底にしまっていた悲しみの感情が顕になっていたのである。開いてはいけない、見てはいけない世界に、レイヤは触れてしまったと後悔する。
「レイヤくんは優しいのねぇ。私のことは気にしなくてもいいのよ。今日はただ、あなたとお話がしたくて呼んだだけなんだから」
申し訳なささで押し潰されていたレイヤだったが、ネルアの飄々としたあっけらかんな様子に、レイヤの心配も杞憂に終わる。だが、ネルアが次に言い放つ言葉に、レイヤは耳を疑った。
「地球から来たもの同士、仲良くしたいだけよ」
天界に来てからおおよそ半年という月日が過ぎた。その半年間で一度たりとも、誰の口からもレイヤの住んでいた地球に関する話題は出てこなかった。レイヤ自身、話さなかったからと言えばそれで片付けられてしまう話なのだが。それがたった今、ネルアによって覆されたのである。
それも、自分と同郷であるという衝撃の事実も告白されて。
「えっ……!?それって──」
「レイヤくんは言わずとも日本よね。私にも日本人の友人がいたから、名前を聞いた時はすぐにわかったわ。……いやぁ、本当に長生きはしてみるものねぇ」
ネルアは感慨深そうに頷く。そんな様子を唖然と眺めながら、レイヤは驚きで開いた口が閉まらない。
「この天界に来て、色んなことを経験してきたけど。まさか、人と巡り会えるなんて思いもしなかったわ。ましてや、まだうら若い男の子に会うなんてねぇ」
昔を懐かしむように、何より嬉々として語るネルア。
「私はここの最高責任者として、教師として生徒たちを導くことが私の役目。レイヤくんだけを特別扱いしたらいけないってことは分かってるんだけど、どうにもねぇ。……本当に、嬉しかったのよ。もう一度、同じ人間と会えたことが」
ぽつぽつと零すように語るネルアの言葉を聞き、レイヤは沈黙の選択をする。それも、言霊に秘められた彼女の感情が伝流してくるのだ。なんとも形容しがたい、されどもどこか心の奥底で温もりを感じるような。目の前に座っているネルアの表情は、穏やかの一言であった。
「だからせめて、応援くらいはさせて頂戴ね。若い子を支えてやるのが、年長者のお役目でもあるんだから」
◆
夢幻から覚め、乾き切った目を開く。独り、レイヤは悪魔の堕ちた戦場へ向かう門の前で、伏せていた体を起こす。
「────っ、クソっ、クソっ、クソっ……!」
罵詈雑言を繰り返し吐きながら、拳を地面に叩きつける。歯ぎしりし、言葉にならない叫びが辺りに響く。
「また俺は、助けられた。俺が、助けなきゃいけないのにっ、助けるために俺がいるのにっ、また、俺だけが助けられたっ……!!」
弱い自分を変えるために、懸命に努力を重ねてきた。あの日の誓いを全うするために、ここまで歩んできた。
変われたと思っていた。これだけの研鑽を積んできたのだから、きっと変われていると思い込んでいた。
────その結果が、これだ。
「……なにも、変わってねぇじゃねえか」
もう、何度目だろうか。自らの無力さに打ち拉がれ、嘆き、恨み、絶望するのは。
この世界へ来てレイヤは、ただひたすらにこれを繰り返している。
繰り返し、繰り返し。何も救えないまま、時だけが無情にも過ぎ去るのみ。
「──────────ぁ」
ふと、ひとつの思惑が脳を過り。その瞬間、全身の力が一気に抜けた。それに、激情していたことも忘れた挙句、何も感じなくなっていた。
「────」
虚空から取り出したのは、ドラシルから譲り受けた神剣を象った無名の剣。
「────────ゔ」
一切の躊躇いもなかった。内から熱いものが溢れ、命を終えた。




