第四十九話 廻想
決戦前夜。クオンたちのもとから帰ってきたレイヤは、すぐにヨーコの様子を確認しにいく。ノックをしても返事は無く、音を立てずにゆっくりとドアを開ける。
入ってみるとそこには、ベッドの上で静かに吐息をこぼしながら眠るヨーコの姿があった。夢でも見ているのだろうか、微かに微笑みを浮かべている。とても愛らしい姿に、レイヤはそっと少女の頭を撫でた。
するとヨーコは、まるで撫でられていることに気付いているかのように嬉しそうな反応を見せた。油断していたのもあるが、あまりにも可愛い妹分の姿に思わずレイヤは笑みをこぼしたのだった。
「……ん?」
ふと、家の戸が叩かれる音がする。こんな夜更けに誰だろうと眉を顰めながら階段を降り、玄関にへと立つ。警戒心を抱きながらも扉を開くと、予想外の相手が立っていた。
「や、お邪魔してもいいかな?」
「……お茶飲みに来たわけじゃないよな」
「んー、案外そうかもよ?」
「どういう意味だ」
悪戯っぽく笑いながら白を切る紫髪の少女。入れられたばかりのお茶を飲み、火傷したのか可愛く舌を出しながら涙目になっている師匠の姿を見ながら、レイヤは深くため息をついた。
「師匠であるこの私が来てくれたんだぞ?もっと嬉しそうにしたらどうなんだい?」
「俺は明日に備えて早く寝たかったんだ。早く用件を話してくれないか」
「君の顔を見に来た」
「は?それだけ?」
「そうだよ!それだけだよ!悪い!?」
もはややけになって逆ギレまでしだしたドラシルに、レイヤもたじたじになっていた。だが、そんなこと程度だったことにも少し嬉しいと思った自分もいた。些細なことではあっても、自分を気にかけてくれる存在がいることが、レイヤにとって何より嬉しかった。こんなこと、口に出そうものなら顔から火が吹くほど恥ずかしいが。
「……なーんだ。あんなこと言った割には、君も存外嬉しそうな顔じゃないか」
「なっ……!!!」
────口に出ずとも、表情には出ていたようだった。
「……それにしても、今日は随分と緊張してるね。まだ不安でもあるのかい?」
「いや、うん。まあ、そんなとこ」
否。否である。緊張しているのはそんなことではない。レイヤの緊張の要因は、目の前の彼女にあるのだ。
ドラシルは普段から黒のレースとフリルがふんだんに施された、ガーリー溢れるゴシックなワンピースを身にまとっている。彼女の妖艶な雰囲気とベストマッチしていて、思わず見惚れてしまいそうになるほどよく似合っているのだ。
だが、今の彼女は違う。普段の黒とは相反する清楚な白のレースネグリジェに身を包んでいるのである。それも、シースルー生地の大胆に胸元を開いたデザインのものだった。そこから透き通って見える下着がなんともアダルトチックで。レイヤがよそよそしいのは、目のやり場に困るようなそれが原因なのである。
「な、なんだよ」
「…………いやいや、私の心配も杞憂だったようだ。君はちゃんと男の子なんだね」
「いやそれどういう意味だよ」
「私のこの格好。君には刺激が強すぎたかな?」
何もかも見透かしているように、ドラシルは上目遣いでこちらを覗いてくる。見事に図星を突かれたレイヤは、もはやぐうの音も出ずに俯いて沈黙の手段をとるしかなかった。
「あはは、君は可愛いね。そういう素直なところが君の良いところだよ」
「からかいたいだけなら帰ってくれ!俺はもう寝る!」
「そう言わずに。もうちょっと、ね?」
そう言ってドラシルは椅子から立ち上がると、レイヤのもとへと歩み寄ってくる。何を、と身構えたが数秒遅かった。ふわりと、心地よく柔らかい感触に埋もれる。布越しに伝わってくる温もりと鼓動、これらの状況下で何が起こっているのか、理解したと同時に自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じる。そして、熱くなった思考が冷めると共に慌てて埋めた顔を上げる。
「む、ぐ。おい!急になんだってこんな、こと……」
見上げた先に映る視界。彼女の透き通った白い肌を伝うのは涙。目を閉じ、零れ落ちる瀑布は気にも止めずに、ドラシルは喜びを噛み締めるように静寂の笑みを浮かべていた。
「お願い。もう少し、このままで……」
どうして泣いているのか、レイヤには分からなかった。ただ、このまま放っておくのはいけないと思った。今、自分にできることはあまりにも少なすぎる。でもそれが、彼女にとってどれだけの価値になるのかは、知る由もない。
そっと、レイヤは彼女を抱き締めた。
「お、来たか。待ってたぞ、レイヤ」
「遅せぇぞレイヤ!早くこっちに来いよー!」
緊張と高揚感を胸に抱きながら、足早に皆の元へ駆ける。此度における戦闘訓練の行われる会場には、声をかけてきたルベリアとルウチス、第一戦士隊の皆が揃っていた。見れば、第二戦士隊の一同も既に集まっているようだった。
「よっ!あんまり遅いから寝坊したかと思ったぜ!」
「こんな時に寝坊するほど、間抜けじゃないっての」
元気な掛け声と共に軽く肩を叩いてきたのはレイヴだ。友人たちの顔を見ると、不思議と緊張も解けたような気がしてくる。そんな彼らに勇気を貰い、レイヤの決意はみなぎった。
「第一戦士隊、第二戦士隊の諸君、まずはおはよう。さて、今日は待ち侘びた合同での戦闘訓練である。皆、万全を期して来たであろうな?今日というこの日、全力を以て挑むがいい!」
明るいブロンドカラーの長髪を揺らし、高らかと生徒達に言葉を投げかける女性。彼女こそが、第二戦士隊の担任であるミルファ・ネインである。美しい顔立ちに加え、大人の気品溢れる魅力を兼ね備えた、女子生徒の憧れだという評判が校内に知れ渡るほどの人気を持つとまで言われている教師のひとりだ。両眼は普段から閉じていて物腰が柔らかな印象だが、スパルタを彷彿とさせるような生徒には厳しい一面が多々あるという。
「それでは、今日の合同による戦闘訓練の説明は私から行わせて貰う」
隣に立っていたレイヤたち第一戦士隊の担任教師、ラクア・ロイアスが生徒たちの前に出る。
「まず、この戦闘訓練を行う目的はただ一つ。君たち戦士らの成長だ。知っている者も多いだろうが以前、悪魔たちによる東国アマノツキ襲撃事件が起きている。近年、悪魔側の勢力も我々天使を脅かすほどまでに拡大されている。これ以上の犠牲を出さないために、私たち戦士が強く在らなければならない。そのためにも君たちの成長が必要不可欠だ。此度の戦闘訓練、互いに高みを目指し有意義な時間となるよう奮闘して欲しい」
ラクアの言葉に、各々が戦士としての在り方を再認識する。こうして立っている者は皆、戦場に駆り出される兵士なのだ。その事実に未だ恐怖はある。だが、怖気付いていてはいる場合ではない。悪魔の脅威から、罪なき人々を守るという使命があるのだ。それを今、ここにいる全員が心で理解した。
「次に、戦闘訓練の形式を説明をする。見ての通り、この戦闘演技空間ファントムでの実習だ。第一戦士隊、第二戦士隊に分かれての試合形式で行う。実習内容としては城下街、廃墟街、山岳、森林、大草原の五つの区画に隠された天霊結晶珠の回収。数は全部で十二個、これを多く回収出来た戦士隊が勝利となる。これは戦闘訓練であり、どのような妨害行為も許されるが、殺傷行為は断じて許さん。同じ悪魔に立ち向かう戦士同士、精進することを意識しておけ。試合時間は三時間。なお、試合中の気絶、意識喪失した場合は棄権と見なし退場となり、救護室へと転送されることになっている。開始地点は第一戦士隊が森林エリア、第二戦士隊は廃墟街エリアとなる。これより一時間後に試合を開始、それまでの間一時解散とする。では、健闘を祈る」
戦闘演技空間ファントム。様々な地形をネルアの魔術により、現実と似てつかないほどにまで再現することのできる仮想空間。ヴァルファリアのもつ広大な土地を余すことなく使った最大級の訓練場として設立している。
此度の戦闘訓練では五つのエリアに分かれて作成されており、北の方角に山岳エリア、反対の南の方角には大草原エリア、東の方角は森林エリア、西の方角では廃墟街エリア、それらに囲まれるようにして中央には城下街エリアが隣接している。
現場での臨機応変な対応が望まれることとなり、中には得手不得手のある場所も存在する。即ち、誰にとっても自らが切り札となりうる可能性があるということだ。それをいかに見抜けることができるかが、この戦闘訓練の本質と言えるのである。
「まずは情報を整理しよう。五つの区画に対して、天霊結晶珠は十二個。それに対して俺たちは十五人だ。今回のファントムの地形と試合形式から見るに、いかに自分の得意分野を見出せるかが鍵になってくるんじゃないかと俺は考える」
ルベリアの考察をレイヤたち第一戦士隊の皆は静聴する。試合開始までに残された時間は一時間、それまでに作戦を練らなければならない。今は第一戦士隊総員で意見を出し合っているところだった。
「となると、近接戦闘向きのやつは大草原は避けた方がいいんじゃないか?相手が遠距離戦の得意なやつが来られたら不利だと思うぞ」
ルベリアの言葉の後、少し考え込んだ素振りを見せたかと思った矢先、すぐに意見を述べたのは第一戦士隊の一人、アグナ・バルクン。彼とはあまり接触が無いものの、常に落ち着いた余裕のある雰囲気で物事に接する様子をよく目にしていた。
「確かにな……。大草原の区画だと最低限でも一人は遠距離戦のできるやつがいねぇとなぁ。ま、俺はどこでも戦えるけどな!シャルテも一緒に組むか?」
そう言って自慢げに親指を立てるのはグウィン・アルマイルだ。第一戦士隊の中でも屈指の実力者であると評価されているとか。神斧での特訓中、上手く扱えずに困っていたところを彼に助けられたこともある。レイヤにとっては頼れる兄貴分といったところだ。
「そこでどうして私の名前が上がるのか不思議でたまらないなぁ?ねぇ、グウィン?」
「……おいルウチス。ほら、相手してやれよ」
「しれっと俺に擦り付けようとしてんじゃねぇよ!!シャルテも女の子何だからあんまり大きな声でパワー系とか言うなよ!傷付くだろ!」
「うん、二人ともとりあえず一発殴られよっか」
恐ろしいほどの笑顔で、二人の頭にげんこつを叩き混んだのは先ほど名の上がったシャルテ・ケーディだ。その姉のような包容力と面倒見の良さから第一戦士隊の皆は勿論、他の戦士隊の生徒や教師からも信頼が厚いとのこと。
「……まぁ、正直なところ真正面から敵とまともにやり合えるのは私とグウィン。それと、ゼルバルトくらいじゃないかな」
「……俺で良ければ好きにしてくれ。盾ぐらいにはなれるさ」
静かな声音の主であるゼルバルト・レオフォーン。体つきが良く高身長、目つきの鋭さも相まって一見強面の印象が強く、レイヤは話しかけることを躊躇していたのだが、ある偶然より会話をする機会があり、それからは互いに声をかけられる仲にもなった。
この後も第一戦士隊中でたくさんの意見が飛び交い続けた。そして、ようやく決定した編成はこうだ。
【城下街エリア】
ユンファ・シャイメス
ルウチス・アイル
グウィン・アルマイル
【廃墟街エリア】
コーズ・パルウェナー
マムル・ラナトーン
フェリシア
【山岳エリア】
ルベリア・ティーゼン
レイヴ・ルリュード
ララン・ユスピース
【大草原エリア】
ゼルバルト・レオフォーン
シャルテ・ケーディ
アグナ・バルクン
【森林エリア】
夜宵 怜夜
ミュース・ティスケス
ラフログ・リリスタム
試合開始までの時間も残り僅かとなり、各戦士隊はそれぞれの開始地点に集まっていた。
「ミュース、ラフログ。二人の足は引っ張らないように努力する。……でも、万が一俺に何かあったら二人は気に────」
「気にするな、って言うつもりだろ。悪いがそれは無理な話だ」
「レイヤの気持ちもわかる。でも、私らは仲間を見捨てたりするほど薄情じゃない。仲間の命救えないで、他人の命が救えるかっての。だからレイヤは、気にせず私らに背中を預けときなよ。私だって、レイヤには期待してるんだからさ」
不安な顔つきでミュースとラフログに声をかけたレイヤだったが、今はただ唖然とした表情で立ち尽くしていた。思いもよらない二人の反応に思わず言葉を失う。
「それに心配するほどレイヤは足手まといなんかじゃねえよ。レイヤが頑張ってるのは皆知ってる、だからもっと胸を張っていいんだぜ」
「……私はラフログが優しい言葉も吐けるんだなってことに驚いてるわ」
「ハッ、お前こそ普段は荒っぽいのにレイヤの前じゃ随分と大人しいじゃねえか」
二人が睨み合いをしている最中、レイヤは込み上げてくる様々な感情を抑える。今その時ではない。これは、最後に取っておくべきだとレイヤは思ったのだ。
「ラフログ、ミュース。絶対に勝とう」
「おう」
「ええ」
そして、始まりを告げる鐘の音と共に門が開く。
「第一戦士隊、────行くぞ!!!」
ルベリアの力強い掛け声を合図に、第一戦士隊は戦いの場へと駆けた。




