第三十六話 悪誕
明日は何をして遊ぼう。
明日はどんなご飯が出てくるだろう。
明日は何を、何を、何を、何を、何を。
フェリシアは、毎日が幸せでいっぱいだった。たくさん遊んで、たくさんおいしいものを食べて、たくさん笑って。一日が過ぎるのが早すぎると感じるほどに、フェリシアは幸せに満ち溢れていた。
お母さんもいて、お父さんもいて。
家族がそばに居てくれることが、どんなに幸せなことであるか。
これが幸せなんだと、幼くしてフェリシアは感じていた。
「んぅ……………ん」
隣に眠る母の存在を確かめるように手を伸ばす。それは無意識のうちにやるようになっていた。安堵を求めてなのか、それとも何か別の─────、
「お母、さん………………?」
伸ばした手は母親の体に触れることは無く、微かに温もりの残るベッドシーツの感触が伝わった。寝室を見渡すも、母親の姿はなかった。
「お母さん、どこ…………?」
と、寝室の扉から一条の光が差し込んでいるのにフェリシアは気付く。きょろきょろと見回しながらドアノブに手をかける。この向こうにきっとお父さんもお母さんもいる、そう信じて扉を開ける。
「お母さん……………?」
そこには忙しなく荷物を詰めるミラの姿があった。どうして、と疑問があったのはその行動ではない。
ずっと笑ってくれていた母親の顔に涙が露になっていたことだった。
「フェリシア…………。ん、あぁ、これは気にしないで。ちょっと目にごみが入っちゃったのよ」
「お母さん、どこかに行っちゃうの?」
「………………フェリシア。今からお母さんが話す事を真剣に聞いて欲しいの」
「…………………………………うん」
「───今からここを出て、どこか遠い場所へ行く」
言葉を咀嚼し、意味を理解しようとするも出来なかった。自身が理解は出来なくとも、その小さな体は理解出来たかのように震え出した。
「どう、して……………?」
「もう、ここには居られなくなったの」
「どうして!?どうして行かなきゃいけないの!?」
「…………………………………………………」
「…………………お母さん、どうして?」
フェリシアの純粋無垢の澄んだ瞳が、ミラの抑えていた感情を爆発させ、悲しみの瀑布を生んだ。
「…………っ、ごめん、ごめんね。フェリシア、あなたはなにも、なにも悪いことなんかないのに」
「お、母さん………………」
泣きじゃくるミラは、ぎゅっとフェリシアを抱き寄せる。その悲痛な泣き声がフェリシアの心に深い悲しみを与えた。
「何………………!?」
突然、外から振動と共に轟音が響いた。恐怖のあまりフェリシアはミラの胸元へと顔を埋める。
「……フェリシア。ここを離れるわよ」
母親に手を引かれフェリシアは家の裏口から外に出る。振り返ると煙を上げる村が目に入った。幸せの時を過ごした我が家が、だんだんと遠ざかる。瞳から溢れる涙を拭うとフェリシアはその光景に別れを告げるように背を向けた。
しばらくして、二人はあの公園にへと身を寄せていた。どうしてこうなったのか分からないまま、二人は見えない恐怖に怯えながらただ身を隠すことしか出来なかった。
「ねぇ、お母さん。お父さんはどこにいるの?」
先程から姿の見えない父親にフェリシアはずっと不安を覚えていた。そんな不安を母親への問いにへと変える。が、ミラは俯いた表情で黙り込んでいる。
「………………フェリシア、お父さんは───────」
と、ミラの言葉を遮ったのは凄まじいほどの爆発音だった。村の方角から聴こえたそれは一気に二人の不安を募らせると共に張り詰めた緊張感が走る。フェリシアは堪らずミラに縋るように抱き寄る。ミラに頭を撫でられながらも、フェリシアはただただ不安と恐怖でいっぱいだった。
「きゃあっ………………!?」
木陰から突然、こちらに歩み寄ってくる物音がした。フェリシアは思わず目を瞑り顔をミラの体に覆い隠す。ミラはフェリシアを庇うようにして自らを盾にする。音はどんどん近付き、距離が縮まっていく。さらに、音の方を見ると人影がこちらに向かってきているのが見えた。間もなく、木陰から出てきた人影は月光に照らされ、その醜態を晒した。
「お父、さん………………………!?」
──────月の光を浴び血を鮮やかに照らした父親、リュエルがふらふらとこちらに歩み寄っていたのだ。
「あなた、その怪我……………!!?」
「……本当に迷惑かけちゃったな」
それはもう見るからに酷い有様だった。頭からは血が流れ、片腕はだらりと垂れ下がっている。肌には火傷、腹部には裂傷があり満身創痍であった。
「お父さん、なんで……………………………?」
「ごめんな、フェリシア。お前には本当に悪い思いをさせたな。本当に、ごめん」
「違う!どうして、どうしてお父さんはこんなに傷だらけなの………!?もう、わかんないことばっかりだよ!どうしてこんなことになっちゃったの!?」
フェリシアの心の叫びが、二人の心を痛めつける。それは悪意からでは無い、真実ゆえの痛みだった。フェリシアは涙ぐみながらもリュエルを見つめる。リュエルはしゃがみこむとフェリシアの頬にそっと手を添えた。
「いいか、フェリシア。お前は─────────────」
リュエルの背後、豪火球が迫っているのが見えた。
着弾し、業火が暴走する。
「…………………………お、お父さんっ!!!」
リュエルは咄嗟に負傷した腕を行使し、障壁を呼び出し火球の直撃を防いだ。だがしかし、腕は耐え切れず根元からちぎれていた。リュエルは火球の飛んできた先、奥から迫りよる集団を睨みつけた。
「…………………俺の家族は、絶対に殺させねぇぞ。天使共!!!」
「リュエル。お前の足掻きに付き合っている暇は無い。さっさと娘を寄越せ」
集団を率い、リュエルに言葉を投げかける男。マデル・メナス。村の長であり、とても頼れる存在───────だった。しかし、今は敵対心を剥け出しにし殺気に満ちていた。
「どうしてです、村長!?こんなひどいことを、どうしてなのですか!?」
「ミラ、君は悪くない。全てはこの男が悪いんだ。その娘を渡せばまた君はこちら側に帰れる」
「嫌です!!この子は私たちの子です!!渡すことなんて出来ません!!」
ミラはフェリシアを抱きかかえて必死に叫ぶ。するとマデルの表情は変わり鋭い目付きでミラを睨みつける。
「……………救いの手を払い除けるか。ならばその男と一緒に死んでもらうしかないなぁ」
「村長…………いや、マデル!お前が敵意を剥けるなら俺も全力で殺しにかかるぞ」
「ふむ。では、やってみろ」
マデルは再び、特大の火球を作り出すとリュエル目掛けて発射した。リュエルは神槍を召喚し手に携えると火球の元へと跳んだ。迫る火球をリュエルは槍の一振りでかき消しそのままマデルへと突撃した。マデルは何の抵抗もせずに襲いかかるリュエルを眺めている。
殺った、と。確信したその時だ。
「もう少し、だったな」
マデルが呟いたと同時、幾つもの光の矢がリュエルの体を貫いた。
「お父さぁあん───────っっっ!!!!!!!!」
「よくやったぞ、皆。今日は村の皆全員で祝杯だ」
「あぁ………………あなた、そんな……………………………」
「さぁ、ミラ。君も分かっているだろう?その子は生きるに値しない────忌み子なんだってことを」
絶望にうちひがれ、悲しみがミラの心を壊す。それでもミラはフェリシアを渡さんと悲痛な泣き声を上げながら叫ぶ。
「この子は、フェリシアは私たちの大切な子です!!忌み子なんかじゃありません!!渡すだなんて絶対にしません!!母親が自分の子供を…手放すことをすると思うんですか!!!」
「そうか………。では、諸共逝くがいい」
マデルが手を伸ばすと、村の住民たちは一斉に矢を放った。こちらに飛び交ってくる無数の矢。ここで死んでしまうのかと、フェリシアは泣きながら思った。
──────そう、母親の慈愛に満ちた微笑みを見るまでは。
「え…………………………………………………………?」
生温かい鮮血が迸り、フェリシアの視界を紅に染める。見上げた先には背と腹を穿たれ血塗られた母親の姿があった。
「ごめん、ね。守って、あげられなく、て……………………………」
その言葉を最後に、倒れた母親が動くことはなかった。
どう、して。どうして、どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
「嫌ぁああああぁああああぁああああぁああああぁああああぁああああぁああああぁああああぁああああ!!!!!!!」
それから、フェリシアは村に監禁され奴隷のような仕打ちを受けた。毎日、毎日、地獄のような日々を送り、心と体は削られる一方で。フェリシアの人生は一夜にして悪夢へと変わり果てた。
「さぁ、来い。もたもたするな」
手枷から伸びる鎖を引かれ、フェリシアは毎夜村の男たちに地下室へと連れられる。──────そこで行なわれているのは残酷なものばかりだった。
「ぃ、痛い………。お願い、やめて…………………」
「ハッ、こいつの体、何度痛めつけても再生するんだもんなぁ。面白くて止めれねぇよ」
「忌み子が……………人に頼む態度かそれが!!お願いしますだろうがぁっ!!」
「きゃあっ……………………!!お、お願い、します。やめ、やめてください」
「あぁ?誰が止めるかよっ!」
毎晩、暴力を受ける度にフェリシアの心と体は死んでゆく。泣き叫ぶことさえも許されず、ただ心身だけが崩れていく。
「次はこれなんかどうだ?絶対おもしれぇぞ?」
男が取り出したのは鋭利な両刃の剣だった。その両刃は何かを暗示するかのようにフェリシアを映し出していた。嫌々と首を横に振るも男はにたつきながら近寄ってくる。涙を流し、止めるようにと懇願する。だが、男はそれを無視し剣を振りかざした。もう駄目だと諦めた時、振りかざされた剣が音を立てて落下した。
「─────こんなにも幼い少女を傷付けて、何が楽しいのか教えてくれないかい?」
「なっ…………!?誰だてめぇ!」
男の手を握り締め、白髪の男は聞いた。もう一人の男が白髪の男に殴りかかる。しかし、呆気なく避けられると白髪の男は殴りかかってきた男の顔に手をかざすと男は眠るかのように倒れ込んだ。
「なっ!?お前、こいつに何をしやがった!」
「うん、君も眠ってて貰おうか」
先程の男と同じように顔に手をかざすと男は意識を失いその場に倒れた。
「あ、あなたは、誰……………………?」
「そうだね、───────悪夢のような存在とでも言うべきなのかな?」




