第十九話 神との契り
クオンとの協定を結んだレイヤは、白いテラスチェアに腰掛け、浜辺の向こうに広がる瑠璃色の海を眺めていた。
「……ここ、ほんとにクオンが作った空間なんだよな?」
「そうよ。ここの空間だけならどんな場所にだって変えられるわよ。そんなことより、紅茶冷めちゃうわよ。口に合わなかった?」
「そういう訳じゃないんだけど……。俺を今から、帰してくれないか。クオンの心遣いには感謝してる。けど、今すぐにでもみんなの所に戻りたいんだ。アイツがみんなを襲う可能性だってある。あんな奴を野放しには出来ない。俺が、止めないと」
あの狂気が皆の元に届けば、それは地獄そのものに変わり果てるであろう。相手が悪魔である以上、決して油断は禁物であることは誰よりもレイヤの身体が知っている。傷は無くとも、その髄までにもあの狂気が覚え染み付いている。────届かせてはならない。それだけが、レイヤにとって命を張る理由になった。
「レイヤの気持ちもよーくわかるけど、今こうして居せてるのは意味があってのことよ。言ったでしょ、レイヤの力になるって。さ、手を私に差し出して」
そう言うとクオンはレイヤの指と自分の指を絡めさせた。あまりにも唐突で、大胆な行動にレイヤの顔には動揺が生まれ、それに気づいたクオンも頬を赤に染め慌てふためくと共に、跳ねた髪をぴょんぴょんと上下に動かしていた。どういう原理なのか。
「ち、違うの!これは必要なことなの!もう!調子狂うじゃない!えーと、えーと、ば、ばかぁ!」
「悪いの俺…………!?」
「いいから!……えっとね、まず手元に魔力を集中させて。これから私が、あなたに力を受け渡す。──『忌死廻生』の力をね」
「りす、たーと……?」
「そう。私の時を操る力を使って、あなたが命を落とした瞬間、あなたの魔力に働きかけて命を落とす前に戻す」
「そんなこと、出来るのか…………!?」
「まあ、時を司る神なんだし、これくらいはね。けど、私の力でもせいぜい五回が限界。さすがの私も世界の抑止力には逆らえないから。ただ、勘違いだけはしないで。絶対に自分の命を粗末に扱わないで。これだけは絶対に、絶対よ」
強く念を押すクオンの願いを、胸の奥にしまう。クオンのそれは、無論レイヤを案じてのこともあるが、第一にレイヤの過去を知ってのことだった。レイヤの悲壮なる人生、それは見るもの全ての心を無惨に傷付けるほどの悲しみに溢れていた。だからクオンは、戦士としての道を選んだレイヤに願うのだ。
────せめて人並みには、幸せになって欲しいと。
「……それじゃあ、行くわよ」
重なり合う手の平、体中を巡る魔力を手元に集中させる。目を瞑り、全身の力を発散させる。その直後、体中に電撃を浴びたような衝撃に襲われた。手元に集中させた魔力を通り、全身に力の波が迸る。胸部に疼きを覚え、魔力が膨れ上がるのを感じる。そして、自身の魔力と迸る力の波がひとつに混ざり合う。
「よし、これで大丈夫。無事に受け取ったみたいね」
閉じた瞳を開け、身体の無事を確認する。胸の辺りに違和感を感じ、上着を脱ぎそれを目にする。そこにはなんと、赤い紋章が浮かび上がっていたのである。
「それは時空印。それがあなたの身体と魔力に働きかけて、私の力が発動するようになっているわ。それに、多少は魔力量も増えているはずよ。そもそも、人ほどの魔力の器で私の力を受け止めきるなんて不可能だから。その時空印は魔力のバックアップとしての機能もあるから、少しぐらいなら無茶しても大丈夫だと思うけど、ほどほどにね」
「……クオンって本当に神様だったんだな」
「なっ!?それってどーいう意味よ!?今までなんだと思ってたのよー!?」
「いや、あまりにも普通の女の子って感じしかしなくて」
「な、な、な、な、何を言って……!?」
「でも、クオンには本当に感謝してる。今だってクオンに会えてなかったら、こうして喋ることだって出来なかったし、後悔だけだったと思う。だから、ありがとう」
「……みゅわぁ」
「みゅ……?え、今なんて?」
「な、な、なんでもない!!なんでもなーーい!!」
「…………それじゃあ、頼む」
「ええ、ここを通れば元の世界にへと戻れるわ」
何もない空にぽっかりと穴が開き、その先には道が続いている。
「あ、言い忘れてたけど、私の存在は他の天使には言わないでね。私一応、神だからさ」
「……わかった。じゃあ、俺は行く。またな」
クオンに別れを告げ、暗闇に続く道にへと足を進める。躊躇はしてられない。ここで立ち止まっていては先には進めない。そう言い聞かせながらレイヤは進む。
「─────レイヤ」
背後から呟くような声が投げかけられる。クオンは照れを懸命に隠しながら、レイヤの顔を真っ直ぐに見つめる。作られた空間に吹くはずがない風が、クオンの銀髪を巻き上げる。蒼く優美な双眸が露わになる。
「また、来てくれる…………?」
「────当然だ」
そう言うと、再び暗がりへと足を運ぶ。しかし、その足も直ぐに止まる。クオンは不思議そうな表情を浮かべ、こちらを見つめている。
言い忘れていたことが一つ。それは─────、
「─────紅茶、美味かった。また飲みに来る」
声が、聞こえる。視界は暗く自身が眠っていることに気付く。瞼が重く開くことが叶わない。声は鳴り止まず絶えることなく聞こえてくる。
「────お嬢様。これらを行えば起きない男の人はいません。ごにょごにょ………………」
「─────ほ、ほんとにこれをやれば起きてくれるの?」
「ええ、間違いなく」
眠りから覚め、朧気な意識も回復する。ふと、小さな感触が身体に伝わる。何かが跨っているような不思議な感覚を覚える。閉ざされていた瞳が開かれ、世界が映し出される。
「───起きて、お兄ぃ、ちゃん……?朝だよー?でいいのかな。……んん?あ、起きた!ほんとに起きたよ!!」
──────────再開の朝を迎えた。




