誕生日2
「まあ! なんて素敵なのかしら」
おばあちゃんには、牡丹色と黄色に染まった絞りの浴衣生地。今日もピシッと着物を着こなしているおばあちゃん。迷った時に思いついたのは、やっぱり和のものだった。
「あら……ちょっと待って? この色、この柄……」
おばあちゃんは手に持ったスマホケースをまじまじと見つめた。
「ねえ、陽菜。これって、もしかして陽菜の手作りなのかしら?」
スマホケースから目をあげると、おばあちゃんは今度はまじまじとわたしの顔を見た。
「あ、そうなの。ごめんね、おばあちゃんのは古布を使ったの。あの、……前に虫に食われちゃったから浴衣としては着られないけど、生地としては良いものだからって、手芸用にいただいたでしょう? あれを使ったの」
わたしが言い訳めいた言葉を言っている間に、なぜか場がどよめいた。
「え、何!? これ、ハルちゃんの手作り!? マジで!?」
お兄ちゃんとお互いのケースを見せ合っていた晃太くんは、お兄ちゃんの手から自分のを取り返すと、まじまじとケースを見つめた。
「すごいわね、陽菜ちゃん! まさか手作りだなんて思いもしなかったわ」
お義父さまにケースを変えてもらっている最中だったお義母さまは、付けかけのケースにそっと手を触れた。
ケースをしっかり見る前に手紙を読んでいたおじいちゃんも、慌ててケースを手に取った。
「あのね。とっても簡単なのよ? それにプラスチックのケース部分は買ったものだし」
「いや、手作りには見えないぞ。すごいな、陽菜」
パパは早速使い始めたケースをそっと撫でながら、「ありがとう、大事にするよ」と言ってくれた。
「私のも着物生地かい?」
「うん。ちょっと渋すぎたかな?」
おじいちゃんには、紺地の絣を使った。ちょっと色が渋かったので、留め具を少し明るい色にして、裏地は明るめの黄色で仕上げた。紺と黄色のコントラストがなかなか綺麗だと思う。私の好きな組み合わせ。
「いや、これはシックと言うんだろう。とても素敵だよ。ありがとう、陽菜。大事に使わせてもらうよ」
優しいおじいちゃんの表情に心が和む。
「ありがとうな。俺も大切に使うよ」
お兄ちゃんにはチェックっぽく四角が並んだモザイク柄。青が基調だけど、黄色から赤や紫まで、色んな色が使われている。それが絶妙なバランスでまとまりを見せているのが気に入って使った。裏地は深緑。
お義父さまは、ケースが手作りと聞いてから、手の上でくるくる回しながら360度観察をしている。
「すごいな、陽菜ちゃん。これ、売れるだろ?」
「ま、まさか! そんな大層なものじゃないです」
「いや、大層なものだよ。ありがとう。私も大切に使わせてもらうよ」
お義父さまが魅力的な笑顔を浮かべて、わたしをじっと見るものだから、恥ずかしくなって頰が上気する。視線は逸らせないままにどうしようと思っていると、背中からカナに抱きしめられた。
「親父、ハルにちょっかいかけるの禁止ね?」
「ただ、礼を言っていただけだろ」
「だったら、ハルはこんな赤くならないし、身体もこんな風にこわばらない」
そう言いながら、カナはわたしの隣に移動して抱き寄せてられ……ながら、カナの顔が近づいてくる。それから、おもむろに唇にキスが……。
びっくりして何もできない間に、カナは満足げな笑みを浮かべて、顔を離した。
徐々に今、自分がどこにいるのかを思い出す。
「カ、カナ!?」
いくら結婚しても、さすがにこれは! カーッと顔が熱くなる。慌ててカナから距離を取って唇を押さえると、カナは満面の笑顔で告げた。
「ハル、ありがとう。オレの分まであるとは思ってなかったから、すごく嬉しかった。オレも大切に使わせてもらうね」
カナは流石にそれ以上のスキンシップはしてこなかった。だから、私も動揺しつつも、何もなかったかのように答える。
「う、ううん。大体、プラスチックケースはカナに買ってもらったんだし……、あ!」
「どした?」
「あ、あの」
「ん?」
カナから目を逸らして、みんなの方を見る。
「あのね、わたしからのプレゼントって言ったけど、カナと2人からなの」
「ん? オレ、何も手伝ってないよ?」
隣でカナが不思議そうな顔をする。だけど、わたしはそのまま続けた。みんなも何が始まるのか、ちょっと不思議そう。
「ケースはカナ、でしょう?」
「誰が何の機種か調べて、ケースをネットで取り寄せただけじゃん」
「でも、だって、カナったらお代金、もらってくれないんだもん」
「そりゃ、愛しい妻が、いつもお世話になっている人たちにお礼をしたいって言ったら、オレだって一緒に何かしたいよな?」
「……そんなこと、」
と続けようとした言葉は、ママの声に掻き消えた。
「あー、熱い熱い。も、2人の熱でケーキが溶けちゃうわよ」
ママの言葉に、みんな、大笑い。一部では膝を叩いて爆笑してる人もいる。
「ケーキ、溶けないし!」
と笑い続ける晃太くん。ヒドイ。隣のお兄ちゃんも笑いながらわたしたちの方を見た。
「さ、食べよ食べよ」
にやにやこちらを見ながらの、からかい混じりのママの言葉に、とうとう耐えられなくなって、わたしは振り返って真っ赤な顔を後ろにいたカナの胸に押し付けた。
だけど、そんなわたしを笑い飛ばすママや微笑ましく見守ってくれるみんなのおかげで、なぜかしんみりしていた空気はすっかり飛び去り、室内は一気に活気付いた。そのまま、そこここで話の輪ができる。
いつもありがとうとお礼を渡して、場が暗くなるのは本末転倒だもんね。
まあ…いっか。
ため息まじりに小さく呟いて、カナの胸から顔を離す。
カナがにこりと甘く笑い、そっと髪を撫でてくれた。
「ハル、本当にありがとう」
カナが右手を上げると、そこにはわたしのプレゼントしたスマホケース。
「大事に使うね」
カナのケースは渋めの水色に白い線画の葉っぱ模様。裏地は濃い青。
「うん。私の方こそありがとう」
使ってもらえるなら、それが一番嬉しい。
それから、カナに促されて席に着き、わたしたちもケーキに手をつけた。イチゴたっぷりのお義母さまのケーキは、今日もとても美味しかった。
「ハルちゃん、何かリクエストある?」
ケーキを食べ終わって、沙代さんたちがテーブルを片付ける中、晃太くんがふらりとわたしの方に歩いてきた。
「……リクエスト?」
わたしが小首を傾げると、晃太くんはにこっと笑った。
「ピアノ、よかったら今弾くよ。もちろん、うちに移動してでもいいんだけど」
「え? 弾いてくれるの!?」
スマホケースと一緒に渡した手紙には、いつか、またピアノを聴かせてねと書いた。晃太くんは、いつかじゃなく、今日この場で聴かせてくれるらしい。
晃太くんはピアノがとても上手だ。小さな頃から習っていて、中学生の頃からは、音大の教授の愛弟子でもある。
音大を目指すのかと思ったら、杜蔵の経営学部に進学するものだから、逆に驚いた。でも、そう、晃太くんはお義父さまの跡取りだものね。
「スマホケースのお礼に、俺が弾けるものなら何でも弾くよ。ああ、そうは言っても全部は暗譜してないから、楽譜がないのは厳しいかな」
朗らかな笑顔に、棚に置かれていた楽譜が何だったか思い起こす。
5つ上の晃太くん。小さい頃、晃太くんのピアノに憧れて、わたしも一度ピアノを習ったことがある。パパが張り切って、とてもいいピアノを用意してくれたのだけど、わたしの体力が足りず、結局、ピアノのレッスンは一ヶ月足らずで止めてしまった。
誰も弾くことのないピアノは、今でも年に一度の調律だけは欠かさずされていて、壁の飾りとなっている。楽譜も、当初パパが色々用意したようで、隣の飾り棚で使われることなくしまいっぱなし。
晃太くんにつられて、わたしも立ち上がり、ピアノの前に移動する。
晃太くんはピアノのふたを開けると、ポーンポーンと数音鳴らした。
「やっぱいい音! スタインウェイのアップライトとか、贅沢だよな〜。おじさん、もしハルちゃんがピアノ続けてたら、絶対にグランドも用意したよね?」
「そうかな?」
スタインウェイがいいピアノらしいくらいの知識しかないわたしには、嬉しそうに語る晃太くんの言葉の意味は半分くらいしか理解できなかった。
「晃太くんのピアノはグランドピアノだよね?」
カナのお家には、晃太くん用のピアノの部屋がある。それとは別に、居間にはアップライトピアノ。
練習に夢中になると、昼夜関係なしに弾き続けるその音に、お義母さまが参ってしまい、防音のピアノ室を作ったと言う。曲の練習ならまだしも、曲にすらなっていない運指の練習なんかを何時間もされるとたまらないらしい。
今でこそ、そこまで弾き込むこともないみたいだけど、中高生の頃は本当に、毎日4時間とか5時間も練習していたと聞いた。
その凄まじい練習時間を聞いただけで、わたしにはピアノは無理だとため息しか出ない。そんなに練習する人はそういないと聞いても、4時間どころか、毎日30分も無理だったのだから、やっぱりピアノは無理だったんだ。そう思うと、弾いてもらえない我が家のピアノが気の毒になってしまう。
「確かに俺のはグランドだけど、このアップライトのが音はいいかも」
まさかと言いたいけど、ピアノの音の聴き分けはわたしには出来ない。晃太くんがそう言うなら、もしかしたらそう言うこともあるのかも知れない。
「で、何がいい?」
「えっとね、じゃあ、子犬のワルツ!」
わたしの言葉に、晃太くんはくすりと笑った。
「ハルちゃん、好きだよね」
「うん。ショパン好き」
「変わらないなぁ」
そう言って笑いながら、晃太くんは飾り棚を開けて楽譜を物色。
ザっと中を確認した後、椅子に座ってすっとピアノに向き直った。
トントンと肩を叩かれて振り向くと、カナが椅子を用意してくれていた。勧められるままに座った瞬間、広がるキラキラ輝く音の洪水。
気がつくと誰も喋ってなどいなくて、わたしは特等席で楽しげに跳ね正確に鍵盤を捉える指先を観て、そこから紡ぎ出される音楽を聴き、ピアノのすぐ隣で全身を音楽に包み込まれるという最高の時を過ごした。