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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
番外編3 結婚記念日
42/42

結婚記念日2

 結局、お庭でランチタイムを過ごしただけで、その日は終わってしまった。

 何故って、昼食の後、わたしが疲れて眠ってしまったから。

「ごめんね。どっこも行けなかったね」

「ん? 庭でピクニックランチしたじゃん」

 夕飯を食べながら謝ると、こともなげにカナは言う。

 お庭でのランチは楽しかった。

 外出先ではなく、家の敷地内といっても家の人がいる訳でもない落ち着いた場所。誰の視線を気にすることもなくカナと二人でたくさんおしゃべりもできたし、沙代さんが用意してくれた食事はとても美味しかった。

 最後に食べたのは、カナのお誕生日祝いと結婚一周年のお祝いを兼ねた小ぶりだけどフルーツのたくさん乗ったケーキ。

 ろうそくは二人で相談して、数字の1と9、それからハートの形のものを刺した。

 ろうそくを吹き消すのは、二人一緒に。カナのお誕生日に、ケーキのろうそくを吹き消すなんて初めてで、何だかとても変な感じがした。

 二人だけのささやかなお祝いだったけど、本当に楽しかった。

 カナの提案でセルフタイマーで記念撮影もしたし、スマホで自撮りというのもした。

「でも……デート、したかったな」

 思わず漏れたそんな言葉に、カナは相好をくずした。

「明日も明後日も、家に帰るまで、まだ十日以上あるんだから、また体調の良い日に行こう」

 言われて、こくりと頷く。

 昨日から、食事の時くらいは起きていられるようにはなった。でも、今、わたしが食べているのは卵がゆで、カナとは別メニュー。朝は寝ている内に飲まされたゼリー飲料だし(しかも覚えていない)、結局、今日しっかり摂れた食事はお昼ご飯だけだった。

 こんな状態で無理したら、明日はまた起きられなくなる。

「ハルはどこか行きたいところ、ある?」

「んー。……教会、行きたいなぁ」

 そうして、神様に無事、結婚一周年を迎えられたと報告したい。

「後、小さい頃に遊びに行った湖のある公園とか」

「行ったね〜! 懐かしい」

「それから、なんて言う名前だっけ? 古い洋館とかあったよね?」

「あるある。本当にデートコースだな」

 そう言われると、恥ずかしくなる。

 でも、日々の生活にいっぱいいっぱいで、わたしたちはろくにデートもしていない。しかも気軽に旅行に行ける身体でもないから、新婚旅行すら行っていなくて……。

 せめて、いつもの別荘とは言え、雰囲気くらい味わいたいなって。

「……イヤ?」

「まさか!」

 カナはわたしが何を言っても、大抵は嬉しそうに聞いてくれるから、逆に心配になる。

「ハルと一緒に行けるなら、オレはどこでもすっごく幸せ」

 今日も、とろけるような笑顔でカナは言う。

「あ、誤解しないでね。どこでもいいって言うんじゃなくて、ハルと一緒に見る景色は、どんなものでもオレにとっては最高の宝物って意味だからね?」

 恥ずかしくなるようなストレートなカナの言葉。でも、何でかな。今日は素直に受け取ることができた。

「ありがとう」

 にこりと笑うと、カナも幸せそうに笑い返してくれた。

「お嬢様、お食事はもうおしまいですか? デザートにします?」

 沙代さんに言われて器を見ると、小ぶりなお椀に卵がゆが半分くらい残っていた。

「ハル、無理しないでいいからね。食べれるだけね?」

「うん。……後少しだけ食べようかな」

 動いていないからお腹は空かない。だけど、食べなきゃ栄養が足りないのも本当。少しでも食べるようにしていかなきゃ、夏休みの後半もベッドで過ごすことになりかねない。

「頑張るね」

 思わず言うと、

「頑張らなくて良いから」

 とカナが笑った。



   ☆   ☆   ☆



 お風呂も済ませて、後は寝るだけと言う夜の寝室。

 あ、そうだ。

 大切なことを忘れていた。

 クローゼットにカナへのプレゼントを取りに行くと、カナもくっついてきた。そんなところも去年と同じで、何だかおかしくなる。

「カナ、……遅くなったけど、プレゼント。改めまして、お誕生日おめでとう」

 去年も今年も、結婚式や結婚記念日に気を取られて、渡すのが夜になってしまった。

 結婚も大切な記念日だけど、今日はそれよりもっと大切な、カナの生まれた日。来年はカナのお誕生日をしっかり祝おうとわたしは心に誓う。

 深緑のシックな紙に包まれた小ぶりな箱を手渡すと、

「わ、ありがとう」

 まるでプレゼントの存在なんて考えてもいなかったと言う感じのカナ。こんなところまで去年と同じだった。

「何だろう? 開けていい?」

「もちろん」

 頷くと、嬉しそうにカナが包み紙を開く。

 今年のプレゼントは腕時計にした。

 最近はスマホがあるからって腕時計をしない人もいるみたいだけど、カナは必ず着けている。今、使っている腕時計はお義父さまとお義母さまから高校の入学祝いに頂いたものだと思う。だから、今あるので充分に事足りているのは知っていた。

 だけど、もう一つくらいあっても良いよね? そう思って、カナが道場に行く日にパパに付き合ってもらって選びに行った。

「ダイバーズウォッチだよね? カッコいい! ありがとう、ハル!」

 ベゼルもベルトも黒のダイバーズウォッチ。カナは海に潜る趣味はないけど、海の中で見るという特性上、とても丈夫で視認性が良いと聞いて、これを選んだ。

「着けてみてもいい?」

「もちろん!」

 気に入ってもらえるか心配だったけど、カナが嬉しそうに箱から腕時計を出す姿を見てホッとする。

 パパが言っていた「陽菜からのプレゼントだったら、百均の腕時計でも喜ぶよ」という言葉は、聞かなかったことにする。

 もちろん百均ではないけど、そんなに高いものでもない。ダイバーズウォッチの中ではシンプルなデザインがカナに似合いそうで選んだ時計。

「どう?」

 初めての腕時計を迷うことなく器用にスッと腕に着けると、カナは満面の笑顔でわたしに見せてくれた。

「うん。似合ってる」

「ありがとう。大事にするね」

 そう言ったカナの笑顔が近づいてきて、額にキスが落とされる。

 しばらく、左腕を右に左に軽く動かしながら新しい腕時計を眺めていたカナは、ふと何かを思い出したように動きを止めた。

「どうしたの?」

 不思議に思って声をかけると、

「……赤いリボン」

 とカナがぽそりと呟いた。

「え?」

「あ、いや、手首に巻くもの繋がりで、去年のハルからのプレゼントを思い出しちゃって」

 ……ん? 赤いリボン?

 去年のプレゼントは、キーホルダーだったはず。

 別荘から帰ると一緒に住むことになるわたしの家(今はわたしたちの家)の鍵を付けて渡した。その後、カナは免許を取ったから、車の鍵も付けてくれて……。

「あれ、ホント、嬉しかったなぁ~」

 カナがまたふわっととろけそうな笑顔を見せた。

 リボン? ……赤いリボン?

「……あ」

 脳裏に浮かんだのは、一年前のこの日、この場所でふわりと宙を舞ったワインレッドのシフォン生地のリボン。



 カナからプロポーズされて煮詰まっていたあの頃、田尻さんに誘ってもらって、休みの日に話を聞いてもらうために田尻さんの家まで行った。

 そこで具合を悪くして、田尻さんには救急車を呼ぼうかとまで言わせてしまった。いっぱい心配もかけたし迷惑もかけた。

 だから、しーちゃんにすら内緒にしていたのに、田尻さんにだけはお詫びも兼ねてカナとの結婚が決まったと報告しに行ったんだ。



 その日は家族が家にいるからと、田尻さんの部屋に通された。

 意外にも、と言ったら怒られそうだけど、とても女の子らしいお部屋だった。

「おめでとう!」

 満面の笑顔で、何の裏もない笑顔で言われて、何だかとてもくすぐったかった。

 だって、高校に入ってすぐの春、田尻さんはカナが大好きで、カナのことを好き過ぎて、わたしにカナから離れるようにと言った。

 そんな田尻さんが、今は、わたしとカナの早すぎる結婚を何の含みもなく祝ってくれる。

「ありがとう」

 とても自然に、その言葉が飛び出した。

「ね、結婚するって、どんな気持ち?」

 田尻さんはからかうように、面白そうな笑顔を浮かべて、わたしを見つめる。

「……え? あの、なんて言うか……まだ、実感がなくて」

 そう言うと、田尻さんはクスクス笑った。

「ね、牧村さん、叶太くんとはまだキスまで?」

 突然の言葉にわたしの思考は止まる。

「え、もしかして、キスもまだとか、さすがにないよね?」

 わたしの反応に、田尻さんが逆に驚いていぶかし気な顔をした。

「だって、結婚するんだよね? 8月に」

「……えっと、あの、……はい」

 そう。後一ヶ月半もすると、わたしはカナと結婚する。

 キスは付き合い始めてしばらく後から。

 大人のキスは、プロポーズを受け入れた日が最初。

 そして、その先はきっと結婚した後に……。

 まだ何も起こっていないのに、カナが上げた結婚したい理由を思い浮かべてしまい、一瞬で首まで真っ赤になる。

 田尻さんは深い話は何もしていないのに、そんな事を想像してしまった自分が恥ずかしくて仕方なかった。 

「わ、可愛いっ」

 田尻さんは真っ赤になって俯いてしまったわたしを面白そうに覗き込む。

「ね、キスの続きは、結婚してから?」

 ワクワクとかウキウキとか、そんな言葉が似合いそうな楽し気な声。

 だけど、わたしは、こういう話にはまったく免疫がなくて……。

 羞恥心から思わず涙ぐむと、田尻さんは慌てて、

「ごめんごめん! 泣かないで、牧村さん!」

 とわたしの肩に手を置いた。

 ああ、ダメだ。

 前に田尻さんのお家にお邪魔した時も、わたしが突然泣き出して、それから具合が悪くなって、とてもたくさん迷惑をかけた。

「あの……大丈夫」

 涙目で顔を上げると、田尻さんが目に見えてホッとした。

「しっかし、高3で彼氏がいて、あそこまで溺愛されてて、どうしてこうも純真なままでいられるかなー」

「ご、ごめんなさい」

「あーもう、だから、そんな簡単に謝らないの。別に牧村さんが悪いんじゃないじゃんね?」

「でも」

「そんなの人それぞれだし、それだけ叶太くんが牧村さんを大切にしてたって事でしょ?」

「そう……かな?」

「そうそう。あ、でも、叶太くん、この後、大変だね」

 田尻さんはまた面白そうに笑う。

「……なにが?」

「ん? だって、こんな可愛くて無垢なハルちゃんに、どうやって手を出すの」

「……え?」

「ああ、でも、さすがに結婚して奥さんになったら、遠慮なしに行くのかな?」

 ……え、遠慮なしに行くって? どこに?

 ううん。何となくは分かってる。でも、何となくしか分かっていないお話で、期待と不安だったら、不安の方が勝っているお話で……。

「牧村さん、怖い?」

 わたしにとっては、こういう話を友だちとする事自体が初めてで、恥ずかしくてたまらない。だけど、真っ直ぐな田尻さんの目を見ていると、ごまかしたりはできなかった。

「………うん」

「だよねー。初めては、大変だって言うし」

 や、やっぱり、そうなんだよね?

 引っ込んだ涙が、今度は羞恥心ではなく恐怖で浮かびそうになる。

「でも大丈夫! みんな通る道なんだから」

 田尻さんが笑顔で「ファイトッ!」と拳を握ってみせてくれた。

「う……うん」

 その満面の笑みにつられて、わたしも引きつった笑顔を浮かべる。

 ……田尻さん、すごい。

 怖いけど、ものすごく怖いんだけど、少しだけ心の準備ができた気がする。

 そう。考えないようにするより、ちゃんと考えておいた方が良い気がするもの。

 恥ずかしいし心拍数が上がってしまうくらいインパクトがあるのだけど、ぐいぐい踏み込んでくる会話はどこか心地よく感じられた。

「あ、そうだ。牧村さんさ、自分から飛び込んでいくと良いんじゃない?」

 不意に、良い事を思い付いたとでも言いたげに、田尻さんがぐいと身を乗り出した。

「……自分から?」

「そう。叶太くん、きっと喜ぶよー」

「……え……っと、あの……」

 田尻さんの言わんとすることが分からずに、小首を傾げると、

「だって、叶太くんだってきっと、どうしたものか迷ってると思うんだよね」

 ……なのかな?

「だから、……そう、お誕生日プレゼントにって、『ハルちゃん』をプレゼントすると良いよ!」

 田尻さんはパチンと両手を合わせると、ニッコリと満面の笑顔でそう言った。



 その後、誘われるままに、田尻さんの家の近所にあるという大きな手芸店に行って、幅広のリボンを買った。

 ワインレッドのシフォン生地のリボンを……。

 そうして、わたしをプレゼント……って、ヤダ、もう!

 一瞬で全身が上気するのが分かった。

 カナは、そんなわたしをとても嬉しそうに見ていた。そうして、

「今年はないの、リボン?」

 と言うと、真新しい腕時計をはめたその手を真っ赤に染まったわたしの頬に当て、わたしの目をじっと覗き込んだ。

 ドクンドクンと心臓の鼓動が速くなる。

 思わず、胸に手を当ててハアッと息を吐くと、カナはハッと我に返って、慌てて言う。

「ごめん! 冗談だから!」

「……あ、ううん。大丈夫」

 一気に心配性に戻ってしまったカナに笑顔を見せる。

「大好き。……愛してるよ、カナ」

 そのまま、わたしはカナの胸に額を押し付けた。

 次の瞬間、カナにそっと抱きしめられる。

「オレも。愛してるよ、ハル」

 カナの背中に腕を回しギュッと力を入れると、カナも少し力を入れて抱きしめてくれた。

 少しの間、そのまま抱き合っていた。

 あたたかい。

 お風呂上がりのカナは昼間より、もっとあたたかかった。

 そのぬくもりが不意に離れたと思うと、寂しいと思う間もなく、頬にキス。

「寝ようか?」

「……ん」

 カナに促されて、ベッドに横になる。

「今日は、こっちで一緒に寝てもいい?」

「うん」

 答えると、カナは嬉しそうにわたしの隣に潜り込む。それから思い出したように、腕時計を外すと手を伸ばしてサイドテーブルに置いた。

 もうすぐ結婚記念日は終わる。カナのお誕生日もおしまい。

 思っていたよりは動けなかったけど、二人の時間はちゃんと持てた。一緒にお庭でランチも食べられた。

 プレゼントも喜んでもらえたし、最高とは言えないまでも、とても良い一日だったと思う。

「明日からは、にぎやかになるな」

「……だね」

 カナと水入らずなのは今日までで、明日にはパパとママ、お義父さまとお義母さま、それから、晃太くんにお兄ちゃんも別荘入り予定。

 賑やかになるのはとても嬉しい。でも、カナと二人だけの静かな時間がほとんど寝ているだけで終わってしまったのは、何だかとても寂しかった。

 みんな、気を使って、遅めに来ることにしてくれたのにな。

「明兄とか、邪魔してきそうだけど、どっかで時間見つけて二人でデートしようね」

「……ん」

 思わずクスッと笑うと、カナが肩をすくめた。

 お兄ちゃんが邪魔をすると言っても、ちょっとばかりカナをからかうだけで、それ以上の事はない。

「デートもして、……で、別の日に、みんなで一緒に遊びにも行きたいね」

「子どもの頃みたいに?」

「うん」

「……そうだな。二人とも、来年には就職だもんな」

 そう。

 来年からは、お兄ちゃんと晃太くんは、きっとこんな風に長期間のお休みは取れなくなるから。

 お兄ちゃんの勤務先は病院できっと激務だろうし、晃太くんだって会社員一年生。おじさまの後を継ぐための修行先だと聞くから、お休みたっぷりの楽な仕事だとは思えない。

「……わたしたちは、また来年もあるもんね」

 そう言うと、カナはとても嬉しそうに笑って、わたしを抱きしめてくれた。

 来年。

 365日先のこと。

 口にして、その重みを感じる。

 一年先の事なんて、本当は分からない。

 来年の今日、十九歳のわたしは、この場所にいられるかな?

 ……だけど、二十歳の壁は、まだその向こうだから。

 来年は、きっとまだ、カナの隣にいられるのだと、そう信じたい。

「愛してる」

 囁くようにそう口にすると、カナは嬉しそうにしてくれながらも、

「今日はどうしたの? 珍しく大判振る舞いだね」

 不思議そうにそう言った。

「……お誕生日だから?」

 そう答えると、カナは声を上げて笑う。

「後、……二人きりだから」

 続けてそう言うと、カナはわたしの頭をそっと抱き寄せた。

「ありがとう。本当に嬉しい。誕生日は一年に一回だけど、二人きりにはいつでもなれるね」

「ん。……カナ、いつだって、口にしなくたって、大好きだよ」

 小声でそう言うと、今度はカナも

「オレも大好き。世界で一番愛してる」

 と返してくれた。

 カナが手元のスイッチで部屋の灯りを消した。

 そのまま、カナのぬくもりに包まれて、今日幾度も思った、幸せだなという気持ちに満たされて、わたしはじきに眠りの世界に入る。

 明日も、明後日も、そして365日向こうの今日も、このぬくもりを感じられますように、と祈りながら。


(完)

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