表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
15年目の小さな試練
31/42

嬉しかった理由

 集団生活を始めた幼稚園の年中さんの年から高校生まで、いつだって、わたしは特別気にかけておかなきゃいけない手のかかる子どもだった。

 走れないどころか早歩きすらできない。体育はすべて見学。朝礼すら、まともに参加できない。

 すぐに熱を出す。食べすぎれば気持ち悪くなる。少し無理しただけで倒れる。

 特に持病が、何かあったら即命に関わる心臓病だったので、より手をかけさせていたと思う。

 幼稚園に入園してすぐに、先生がちょっと席を外した間に走ってしまい、発作を起こして倒れて死にかけて、生死の境をさまよって、半年もお休みして……そんな事があったから、余計、小学校以降でも腫れ物に触るような扱いを受けたのかも知れない。

 その後はもちろん、走るどころか歩くときだって気をつけて生活していたのだけど、中学でもまた学校内で倒れて死にかけて、数ヶ月休んだ。きっと、先生たちは改めて、わたしのことを目を離したら死んじゃいそうな危ない子だと認識しただろう。

 そんなだからか、小中高の十二年間でお世話になったどの担任の先生も、誰一人、もっと勉強しようねなんて言わなかった。宿題だけはやろうねとすら言わなかった。

「無理しなくて良いからね?」

「身体を一番に考えてね?」

 いつもそう言われていたから、逆に不安になって、少しでも体調の良い時には予習しておく癖ができた。

 それでも夏休みに長期入院したりすると、やっぱり宿題が終わらないことなんかもあったのだけど、一度も怒られたことはなかった。むしろ頑張って全部こなしても、誉められるよりも身体の心配をされる事の方が多かった。

 それは、ありがたい気遣いだった。無理をしろと言われても、できない時もあるから。

 だけど、宿題に追われて嘆く子たちを見ていると、親がうるさいと文句を言う子たちを見ていると、羨ましいと思うのを止められなかった。

 そして、少しの無理もできない自分は、いつか置いてけぼりになるんじゃないかと、いつも心のどこかで焦りのようなものを感じていた。

 


 だから、大学生になって、他の子と同じように大量の課題やレポートを出されると、当然のように、それをこなすのを求められると、何だかとっても嬉しかったんだ。

「ほんっと、課題多いよね~。大学ってもっと遊べるところかと思ったよ」

 新しく知り合った子たちの、そんな言葉に

「本当にすごい量だよね」

 と返せるのが嬉しかった。

 確かに課題は多いのだけど、事前に予習しておいたおかげか、こなせない量ではなかったのも良かった。

 そして、課題が多くて大変な授業の筆頭が、習熟度別の課題が出る演習1の授業だった。

 担当は山野准教授。キリッとした感じの綺麗な女の先生。四十代らしいけど、三十代前半にしか見えない若々しい方で、結婚はされていないらしいと聞いた。明るくハキハキと、断定的に語られる先生の話はとても面白かった。演習だから、先生の話は少なくて、それが寂しく感じられるくらい。

 その山野先生の授業で、4月の終わり頃から習熟度別の課題が出されるようになった。

 頑張れば頑張っただけ、新しい課題をもらえる。それが、とても新鮮で楽しくて、放課後、机に向かうと時間を忘れて問題を解いた。

「できる限り、自分でやってね。そうじゃなきゃ力にならないから」

 最初に難しい課題を渡された時、山野先生に笑顔で言われて、もちろんと頷いた。



 5月に入るとグループでの演習が入ってきた。班のみんなで一つのケースについて議論して、結論を出す。一時間半の授業の前半で議論をして、最後の三十分で発表する。みんなで一つのことを考えるなんて初めての経験で、ワクワクした。

「それぞれが全力を出してこそ、最高のパフォーマンスにつながるのよ。複数人で知恵を出し合い、一人じゃ得られない発想を出しなさい」

 そう言われて、わたしも少しでも力になれるように頑張ろうと思った。


 6月になると、今度は一回では終わらない演習になった。二週かけて、放課後にも集まって議論して、発表資料を準備する。

 三年生になると、今度は自分たちで事業を立ち上げて経営するなら、と考える演習もあるらしい。既存の事業をどうマネジメントするかという今の課題は、その前哨戦だという。


 5月以降も個人課題は続いていて、6月になるとそれ以外にグルーワークの課題も増えた。

 大変だったけど、今頑張れば頑張った分だけ、ベースとなる知識が深まるのだろうと思うと、少しでも多くの知識を得たいと思えてならなかった。自然と勉強にも力が入った。

 頑張れば頑張っただけ先に進めるという手加減のなさが、とても嬉しかった。

 同じ班の子たちに話したことは本当で、出された課題を解くのは本当に楽しかったんだ。

 だけど、最近、気が付いてしまった。

 山野先生が容赦なく、手加減なくわたしに向き合ってくれる理由が、きっと好意だとか、わたしを育てようと思ってとかではないことに……。

 ううん。今までも、きっと分かっていた。

 ただ、わたしが気付きたくなかっただけで……。



「トップで入学してきた人は、さすがに違うわね」

 頬に手を当て、ため息のようにふうと息を吐きながら言われたその言葉に、初めて経営学部の中で、自分が内部進学組のトップらしいと知った。

 だけど、所詮わたしたち内部進学組はいわゆる大学受験はしていなから、実力では外部から入った人たちにはまったく敵わないと思う。だから、その言葉をどう受けとったら良いのか分からなくて、正直困った。

 だけど、先生が続けて、

「期待してるわよ。これからも頑張ってね」

 と笑顔を見せてくれたから、わたしも「はい、頑張ります」と笑顔を返した。


「さすがね、牧村さん」

 何度目かの課題を提出した後、わたしの書いた解答に目を通しながら、ため息交じりに言われた言葉は、誉め言葉だったのだろうか?

「あなたに解けない問題なんて、ないのかも知れないけど」

 次の課題を手渡しながら、先生は眉根をひそめてそう言った。

 だけど、すぐに笑顔を浮かべて、

「ふふ。でも、これは手ごわいわよ」

 と、親し気にわたしの肩を叩いたから、先生の言葉の奥に隠されているのかも知れないものは、見ないことにした。


「可愛くて、お嬢さまで、おまけに頭まで良いなんて、いっそ清々しいくらい嫌味な子ね」

 口をとがらせるようにして、先生は言う。

 もう結婚しているわたしに、お嬢さまという呼称はおかしいんじゃないかな、とそんな事を思った。

 先生の目は、笑っていなかった気がする。

 だけど、表情はおどけて楽し気で、口調だってからかうようなものだった。

 だからこそ、そこに込められていたかも知れない別の意味には気付かないことにして、『お嬢さま』という言葉にだけ意識を向けた。


「私の授業なんて、牧村さんには必要なさそうね」

 くすくす笑いながら言う先生は、きっと傍目には機嫌が良いように見えたと思う。

 だけど、やっぱり、先生の目は笑っていなかった。

 先生が講義で解説する内容は、わたしがもらっているものより、はるかに簡単なものだったから、確かに、わたしは先生からはまったく教えられていない課題を解いていた……。


 カナのもらっている問題と、わたしがもらっている問題を見比べていた晃太くん。

 いつもとは違って、とっても硬くて真面目な表情をしていた。


 最近、先生が書いてくれる解答へのコメントが少し冷たい。

「なるほど、そのような方法もありますね。でも、あと一歩踏み込んで、〇〇という観点でも考えられたら良かったと思います」

 何度かそんな風に書かれていたものだから、先生のコメントを参考に新しい本を買って読んでみた。次の課題では、先生のアドバイスを活かせるようにと。

 だけど、コメントには厳しい一言が書かれていても、評価自体は相変わらず高かった。

 コメントを読む限りでは、決して良い出来ではないはずなのに、評価は不自然に高かった……。


 冷静に考えたら、先生がわたしに求めるレベルは高すぎると思う。

 晃太くんが気にするくらいには、きっとおかしいのだろう。

 班のみんなが憤ってくれるくらいには、普通じゃないんだろう。

 ……なんで、先生は、わたしにだけ難しい課題をくれるのかな?

 でも、答えは出ない。

 難しい問題でも、解けてしまったから?

 それくらいしか思い当たる理由がない。

 


「ハル。……ねえ、ハル」

 カナの声にハッと意識を現実に戻す。

 自室のデスクの上、手元に開いた課題は1ページ目で止まったまま。

 山野先生の課題は、ちゃんと頭が働いていないととても解けない。だから、うっかりやりそびれないように早めに片付けようと思って課題を開けたはいいけど、結局、そのまま物思いにふけってしまった。

 あんまり調子が良くないのかも知れない。いつも楽しく読んでいた課題が、まったく頭に入っていない。

 高熱が続いた事で落ちた体力も、まるで戻っていないし……。

 もの言いたげな気配を感じて視線を向けると、心配で仕方がないという顔をしたカナがいた。

「ハル、山野先生に言って、個人課題は止めてもらおう」

 カナの言葉に息を飲む。

 ずっと、カナが我慢してくれているのは分かっていた。

 言いたくて仕方ないけど、わたしが喜んでいるから、楽しそうにしているから、多分、カナは我慢してくれていた。

「……でも」

 受け入れなきゃ、と思いつつも、反射的に否定の言葉が零れ落ちた。

 体調的にも限界なのは、わたしも分かっていた。これ以上の我儘は言えない。カナは、もう充分に待ってくれたから……。

 それでも、頷けずにいると、カナが真顔で聞いてきた。

「ハルは、何がイヤ?」

「え?」

 何を聞かれたのか分からず、思わずカナの顔を見返す。

「ハルがイヤなのは、何?」

 カナはもう一度聞く。

 嫌なこと……?

 わたしは、何が嫌だったのだろう?

 嫌なこと、嫌なこと、嫌なこと……。

 楽しかったのに、という事しか考えていなかったから、嫌なことと聞かれても、パッとは思いつかなかった。

「教えて、ハル」

 カナはまた聞いてきた。

 ……わたしが、嫌なこと。

 冷静に考えたら、ただ「みんなと同じように課題をもらいたい。やめたくない。やめるのが嫌」と答えれば良かったのかも知れない。

 だけど、その時のわたしは、そんなことには気付かず、カナの「教えて」の言葉を受けて、「何がイヤ」なのかを探る思考の海に潜り込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ