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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
15年目のはじまりの前に
3/42

卒業式1

 桜のつぼみはまだ固い。だけど、桃が少し咲き始めていて、梅の花は満開。

 そんな三月の中旬、雲一つない快晴の空の下、今日、オレたちは杜蔵学園の高等部を卒業する。



 卒業式の朝、オレはいつものように5時半に目を覚ました。まだ日の出前。予報では、今日は晴れだけど、どうだろう。

 隣には、すやすやと眠るハル。

 緊急用にフットライトが幾つか付けてあって、ハルの顔もちゃんと見える。

 閉じられた目を縁取るまつげは長く、ふわりとハルの頬にかかる髪の毛は柔らかそうで、思わず手を伸ばしてしまう。

 フットライトの明かりでは顔色までは分からないけど、呼吸は穏やかで、体調は悪くないと思う。

 オレたちの部屋にはセミダブルのベッドが2つ入っている。ハルの調子が悪い時は別々に寝るけど、体調が良い時は一緒に寝る。もちろん、オレがハルの温もりを感じていたいから。

 ハル、愛してる。

 声に出さずにそう言って、そっとハルの髪を手に取り口付ける。

 結婚して半年以上になるのに、ハルがオレの奥さんなんだと思うと例えようもない幸福感で全身が満たされた。

 オレたちは去年の夏、オレの十八の誕生日に結婚した。その数日後、ハルは入院し、大きな開胸手術をした。術後、何度も生死の境をさまよい、ハルが退院して家に戻ったのは十一月。

 その後もハルは度々体調を崩して短期間の入院をした。入院中、ハルがいつもの特別室にいる時はすべて泊まり込む。学校があろうが関係ない。だけど、ICUやHCUにに入っている時は泊まれない。

 そして、病院に泊まり込めば一緒にはいられるけど、生活を共にしたとは言えないんだ。だから、結婚式からの七ヶ月の内、ハルと共に暮らしたと言える時間は、本当のところ随分少ない。

 だけど、結婚前と比べたら、ハルとの時間は何倍にもなっている。病室に泊まれるのだって結婚したおかげだし、家にいる時は、朝起きたらハルがいて、朝ご飯を一緒に食べられる。夜だって、夕飯も一緒に食べられる上、眠ってからも同じベッドにいられるんだ!

 高校に入学した頃は、ハルと色んな行き違いがあって、もうダメかと思ったこともあった。それが今、オレはハルの夫としてハルの隣にいる。

 あの頃を思うと、今、こうしているのが奇跡のようだ。

 嬉しくて嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。

 そんなことを考えながら、気が付くと、無意識の内にハルを抱きしめていた。

「……ん、…カナ?」

 オレは慌てて、だけど努めてゆったりと言葉を紡ぐ。

「ごめん、起こしちゃったね」

 それから、ハルの頭をそっとなでる。

「まだ朝早いよ。少し走りに行ってくるね。ハルは寝ておいで」

「……ん。気を、つけてね」

 ハルはうっすらと目を開けると、オレの手を取り頬を寄せた。

「ああ。行ってきます」

「……ん。行って…らっしゃい」

 ハルは半分夢の中のようで、そのままスーッと眠ってしまった。

 オレはそっとベッドを抜け出すと、ジャージに着替えて音を立てないように静かに部屋を出た。



 ストレッチをして、家の近所を走り込み、軽く空手の基礎練習をする。小一時間ほど身体を動かしてから寝室に戻る。

 シャワーを浴びて汗を流すと7時前。

「ハル、おはよう。朝だよ」

 カーテンを開けて朝の光を取り入れ、ハルを起こしつつ寝起きのハルをたっぷり堪能する大好きな日課。

「ハール」

 ベッドに座ってハルの頭をそっとなでる。

「……ん」

 まだ起きたくないとでも言うように、ハルは目をつむったまま布団を引き上げようと手を動かす。

 可愛いなぁ。

 そう思いながら、ハルの額にキスを落とす。

「今日は卒業式だよ。そろそろ起きよう?」

 決して無理には起こさない。だけど、ゆっくりと布団を二の腕辺りまで下ろし、頬をなで、髪に手を触れ、キスをし、ハルの意識を覚醒に導く。

「……カ…ナ?」

 ハルがうっすら目を開ける。

「うん。オレ」

「……おはよう」

「おはよう!」

 まだ眠そうなハルに満面の笑顔を向けると、ハルもふわっと優しい微笑みを見せてくれる。

 こんな瞬間、オレはまた全身が幸福感に満たされて、兄貴が言うところの『ゆるみきった笑顔』になってしまう。

 ハルに部屋着を手渡し、ハルが脱いだパジャマを畳みつつ着替えもさり気なく手伝う。自分でできるよと最初は戸惑っていたハルも今では何も言わずに任せてくれる。



 ハルと一緒に朝食をとる。

 いつもと同じ朝。

 だけど、いつもと違って、今日はお義父さんとお義母さんも同席している。オレたちの卒業式に参列するために、二人とも仕事は休み。

 忙しい中、無理して休みを取ったのか、お義母さんは眠そうに欠伸をしている。お義父さんは満面の笑みでハルに話しかけている。

 ハルは決してたくさんは食べないけど、元気な時に食べるくらいの量は食べられている。抜けるように白い肌はいつも通りだけど、今朝は頬にも赤みがある。

 本当に良かった。

 ハルは元気だ。

 これなら、ちゃんと卒業式に参列できる。

「お天気が良くてよかったですね」

 食卓に果物の盛り合わせを出しながら、沙代さんが笑顔で言う。

「本当に良いお天気ね」

 ハルは窓の外を見やってから、沙代さんに笑顔を返した。

 春の日差しに庭の木々が照らされて、窓からは木漏れ日が漏れ入る。空は抜けるように青かった。

「花粉症の人は大変かもな」

 そんな言葉を口にするのは、お義父さん。

「随分、良い薬が出てきたけど、ダメな人はダメなのよね」

 応えるのは、お義父さんの隣に座ったお義母さん。

「薬自体、飲むのが面倒だしな」

 お義父さんの言葉にお義母さんもうんうんと頷いている。

 薬はどうか知らないが、お義母さんには愛飲している栄養ドリンクがある。あれは面倒ではないのだろうか?

「強い薬は眠気も出るしね」

 お義母さんはそう言って、コーヒーに手を伸ばした。今度はあくびをかみ殺している。昨日も遅かったし寝不足なのだろう。遅番や宿直の翌日は普通ならまだ寝てる時間だ。

 ハルはお義父さんとお義母さんの会話をにこにこしながら聞いている。

 四人で朝食をとることも珍しい。お義父さんは出張でそもそも国内にいないことも多いし、お義母さんは週に何回かは当直と遅番で夜も朝も会えない。

「ハル、果物、食べられる?」

 オレが声をかけると、ハルは

「あ、うん。少し」

 そう言って、テーブルの真ん中に置かれた皿に手を伸ばす。それを制して、オレは小皿にキウイとリンゴを取り分けた。

「はい」

「ありがとう」

 ハルがオレの目を見てにこりと笑う。ハルの視線が自分に向いていて、ハルが笑っている。この瞬間がたまらなく好きだ。

 もちろんオレも笑顔を返しながら、自分の分も皿に取って食べる。

 オレもハルも今日は部屋着。いつもは制服で朝食を食べるけど、今日は少し出るのも遅いし、着替えはこれからだ。

「ごちそうさまでした」

 ハルの挨拶を待って、オレも「ごちそうさまでした」と手を合わせてから席を立つ。

「じゃあ、ハル、制服に着替えようか」

「うん」

 オレがイスを引くと、ハルはゆっくりと立ち上がる。

「あれ、これから着替え?」

 と今頃気付くお義母さん。答えを求めることもなく、そのまま隣のお義父さんに声をかける。

「今日、十時に講堂集合だったっけ?」

「そうそう。私たちはまだ時間があるから、響子さんは少しゆっくりすると良い」

 二人のそんな仲むつまじい様子を背中に感じつつ、オレたちは寝室に戻った。



 一足先に、オレとハルは一緒に登校する。

 いつもは夫婦とは言え、オレは車登校禁止を守って自転車で通っていた。

 けど、今日くらいは良いだろう?

 遠方から通ってるやつだって、親と一緒に車で来たりもするらしいし。親は卒業式が始まるまで大分待つけど、講堂はそんな親のために早くから開けてあるのだそうだ。

「ハル、とうとう卒業だね」

 制服を着たハルを見るのは今日が最後。そう思うと、名残惜しくてたまらなくなる。

「ね。……短かったのか長かったのか、なんだかよく分からないんだけど、すごく充実した高校生活だった気がする」

 ハルはふっと視線をさまよわせて、表情を曇らせた。

「だからかな、なんか寂しいね」

「ああ。確かに、何となく寂しいな。でもまあ広すぎて近所って気はしないけど、高等部とは隣だし、学部は違っても高校からそのまま上がるヤツもいっぱいいるしね」

「ん、…だよね」

 話すともなしに話している内に、車が校舎に到着した。

「お嬢さま、叶太さん、今日は本当におめでとうございます。行ってらっしゃいませ」

 運転手さんが笑顔で祝福してくれる。四月からはこことは違う大学側の門から出入りすることになる。朝、ここから入るのはこれで最後だ。

「ありがとうございます。行ってきます」

 ハルと二人、口々にお礼を言い、職員用玄関へと向かった。

 蛇足だけど、ハルは相変わらずお嬢さまと呼ばれている。大奥さまも奥さまもいる今の状態で、ハルを奥さまと呼ぼうという話は一切なく、結局、ハルもオレも結婚前と変わらない。



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