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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
15年目の小さな試練
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思いがけない答え2

 カナが予約してくれたカフェは駅と家の間、大学から車で十分くらいの場所にあった。パッと見はお店ではなく、緑とお花がいっぱいのお庭の広い素敵な洋館という感じ。

 駅前ではなく住宅地にあるからか、夕方5時前の今は混んでおらず、カナが頼んだ通りにわたしたちは二席に別れて座った。

 わたしとえみちゃんは夕日に照らされたお庭が見える窓際の席、カナはそこからテーブルを一つ挟んだ中央寄りの席だった。

「あれ? 叶太くん、一緒じゃないの?」

 えみちゃんが不思議そうに言うのに、

「うん。あのね、二人で話したかったの」

 と答えると、

「そうなの? だったら、送ってくれたらそれで十分なのにね」

 えみちゃんはニコッと笑った。

「叶太くん、過保護って本当だね」

 ……過保護。

 大学から入ったえみちゃんまで知ってるんだ。

 過保護って本当、か。誰から聞いたのかな。

 ああ違う。

 直接、聞こうと思って、えみちゃんを呼び出したんだ。

「えっと、過保護って、誰かから聞いた?」

「ん? 誰だったかなぁ。えっとね、ハルちゃんと叶太くんの話って、けっこうな噂だよー。高校一年生の時の告白エピソードとか、高校三年生の時に叶太くんの十八のお誕生日に結婚式挙げちゃったとか」

 えみちゃんは悪びれることもなく、楽しそうに教えてくれる。

 そこでお水とメニューが運ばれてきて、一度話は中断。

「わ、どれも美味しそう! ケーキ食べちゃおうかなー。うーん。どれにしよう? ハルちゃんはどれにする? アフタヌーンティーセット? 美味しそうだけど、高いなー。悩むー」

 えみちゃんは楽し気にメニューを物色。

 アフタヌーンティーセットは三段のトレーに小さなケーキからサンドイッチまで乗ったもの。わたしにはとても無理。

「決めた! ミルクティーとフランボワーズ。ハルちゃんは?」

「えっと、……わたしはピーチティーに、しようかな」

「え? 紅茶だけ? ケーキは?」

「あの……今、ケーキ食べたら、多分、ご飯食べられないから」

「あ、そっか。ハルちゃん、すごい小食だったよね」

 えみちゃんはニコリと笑って、店員さんを呼んだ。その笑顔にも言葉にも他意は感じられなかった。

 だけど、えみちゃんのハイテンションに付いて行けず、わたしは戸惑い気味。

 オーダーの後、えみちゃんは会話の中断なんてなかったかのように、さっきの話の続きをする。

「ハルちゃん、身体が弱いんだってね。いつも、そんなハルちゃんを守る叶太くんとか。もう、いっぱい聞いちゃった」

 えみちゃんはキラキラと目を輝かせてわたしを見た。

「ハルちゃん、愛されてるんだね~。

 なんかさ、ホント、ドラマとか映画の中の話しみたいだよね。二人とも超名門のエスカレータ私立に幼稚園から通ってさ、幼なじみで、初恋は4歳とか。ハルちゃんが自分の身体を気にして身を引こうとしたけど叶太くんが猛烈アタックして初恋を実らせたとか。

 ああ、そう言えば、本当にお金持ちなんだね。さっき、運転手さん付きの車が出てきた時には、本当に驚いたよ。あんなの初めて! そりゃ、ハルちゃんが引くのも分かるわー。そんなお家にお嫁に行くって、かなり覚悟がいるよね?」

 わたしが呆然としている間に、えみちゃんは興奮した様子でどんどんおしゃべりを続ける。

 ……なんか、色々と誤解も混じっているみたいだけど、どうしよう?

 高等部からの友人たちは、わたしがお嫁に行ったんじゃなくて、カナがお婿に来たのだって、よく知っている。

 だけど誰から聞いたのか、えみちゃんの知っている話は多分、まわりまわってどこかでおかしくなってしまっている。

「あの、えみちゃん……」

「あ、ごめん! なんか、すごく興奮して、わたしばっかりいっぱいしゃべっちゃった」

 えみちゃんは、わたしの小さな声にもちゃんと反応してくれて、おしゃべりをスッと止めた。

 そんな素直な反応にも戸惑う。

「えっと、何か聞きたいことがあったんだっけね?」

 と、言葉が出ないわたしに、えみちゃんは助け舟を出してくれた。

 頬杖をついて、

「なんでも、どうぞ?」

 と聞かれると、さて、どう話そうと、また迷いが出る。

 だけど、迷っていても仕方がない。こんなところまで連れてきておいて、何も聞かないという選択肢はない。

「あの、ね。今日のお昼……」

「うん」

「えみちゃんが、『叶太くん、かわいそう』って言ってるの、聞いちゃって」

「え?」

 えみちゃんが、小首を傾げた。

「そんなこと、言ったっけ?」

 と言うえみちゃんの表情に、嘘はなかった。

 だけど、数秒後、

「あ!」

 とえみちゃんは笑った。

「なに、ハルちゃん、あれ聞いて、気になっちゃったんだ?」

 身を乗り出してくるえみちゃん。

「……あの、……はい」

 思わず、俯くわたし。

「えっとね、ハルちゃん、ただ身体が弱いだけじゃなくって、心臓が悪いって聞いたんだよね」

 ただ身体が弱いだけじゃなくて、心臓が悪い……。

 そして、叶太くん、かわいそう……という言葉。

 また、ズシンと胃が重くなる。

 だけど、えみちゃんの言葉には何の悪意も含まれていない。

 だから、わたしはそのまま続きを待つ。

「心臓が悪いって言っても、ちょっと悪いとかじゃなくて、かなり悪いんだよね?」

 さすがに、えみちゃんが気を使ってか声を潜めた。

「……うん」

 ギリギリ学校生活を送れるくらいではあるけど、わたしの心臓の状態は、間違いなく、ちょっと悪いではなく、かなり悪い方だ。

「で、ね。だったら、叶太くん、いっぱい我慢してるだろうなって話になってサ」

 ……我慢。

 やりたいこともできず、いつも、わたしの事ばっかり心配してるカナ。

 そうだよね、我慢、してるよね。

「心臓悪いと、あんま激しい運動とかできないんでしょ?」

「うん」

 激しくない運動だって、禁止なんだから、激しい運動とかぜったい無理。

「高校生で最愛の女性と結婚したのにさ、思う存分やれないとか、拷問だよねーって」

 ……思う存分、やれない?

 ……拷問?

 ……えっと、なにを?

「いや、だって、その年頃の男子なんて、やりたい盛りだよね?」

 えみちゃんは当然のように言う。

 だけど、わたしにはえみちゃんが何を言いたいのか、分からない。

 困ったように、えみちゃんを見つめていると、えみちゃんは、

「あれ? もしかして、通じてない?」

 と目を丸くした。

「ハルちゃん、叶太くんと夫婦なんだよね?」

「うん」

「あのさ、……うわー、まだ通じてないよね。えっと、ハルちゃん、叶太くんと夫婦生活って、あるんだよね?」

 ……ふうふ、せいかつ?

 ……え?

 あれ?

「……あ」

 もしかして、それって……。

 もしかして、それって、性行為の、こと?

 えみちゃんが言っている意味が分かった瞬間、全身、湯気が立つかと思うくらいに真っ赤になったのが分かった。

「ハルちゃん、ちょっと待って、人妻だよね? なに、その初心さ! 私の方が恥ずかしくなるよー」

 えみちゃんが笑いが止まらないと言った感じで口元を押さえた。

 わたしは恥ずかしくて上気した頬を押さえて、窓の外に視線を反らした。

 『叶太くん、かわいそう』の意味は、まさかの意味で……。

 そうか、十八歳って、やりたい盛りなのか。

 でもって、わたしが相手だと病気のせいで思う存分できなくて……。

 それが、拷問で……。

 半分、涙目になりながらも、えみちゃんの言葉を脳裏で繰り返さずにはいられなかった。

 だから、カナはかわいそうって言われていて……。

 あまりに思いがけない言葉に、わたしの頭はパンク寸前。

 そんな中、注文したケーキや紅茶が

「お待たせしました」

 と運ばれて来て、ふわっと立ち上ったピーチティーの甘い香りが、わたしの意識を少しだけ現実に引き戻した。

「えっと、取りあえず食べよっか! ってか、ハルちゃんは飲もうか、だね」

 えみちゃんはクスクス笑いながら、目の前のケーキに目をやる。

「うわ。美味しそう~! いっただっきまーす!」

「……いただきます」

 限りなくテンションの高いえみちゃんに付いて行けず、わたしは静かにティーカップを持ち上げた。

「あ。美味しい! ハルちゃん、一口食べる?」

 わたしはティーカップに口を付けたばかりなのに、えみちゃんは既に数口目のケーキを口にしていた。

 明るくて元気でテンション高くて、更に動きまで速いえみちゃん。

「ううん。大丈夫」

 断ると、えみちゃんは、

「ハルちゃん、ちょっとスプーン貸して」

 と言う。

 そこに何の意図があるのか分からないままに、言われた通りに紅茶に付いてきたスプーンを渡した。

「ありがと」

 えみちゃんはにっこり笑って受け取ると、わたしのスプーンをケーキのはしっこに刺した。

 ……え、っと?

 えみちゃんはスプーンでケーキをすくって、はい、どうぞとばかりに差し出し、

「美味しいよ。木苺、きっと生のが入ってる」

 と満面の笑顔を見せる。

 そして、目の前にはわたしのスプーンに乗ったえみちゃんのケーキ。

 差し出されたものを断るのもどうかという思いと、わき上がってきた「生の木苺、美味しそう」という、さっきまでの話から現実逃避したいという思いが重なって、わたしは、

「あの……ありがとう」

 と、えみちゃんのケーキを受け取った。

「どういたしまして!」

 楽しそうなえみちゃんの声を聞きながら頂いたケーキを口に入れると、甘酸っぱい木苺のソースの味が広がった。

「……おいしい」

「でっしょー?」

 得意げなえみちゃんが、もう一口くれようとしたのを、今度こそ遠慮して、自分の紅茶に口を付ける。

 しばし、ケーキが美味しいとか、次は違うケーキも食べてみたいとか、そんな話をした後に、えみちゃんが真顔になって言った。

「えっとさ、……なんか、ごめんね」

「……なにが?」

 えみちゃんの言う「ごめんね」の意味が取れない。

「んー、私、多分、すっごくおしゃべりで、気遣いができてないと思うんだよね。噂話とか好きだし、知りたがりやだし。

 高校まではずっと公立に通ってて、こんなお嬢さま、お坊ちゃまがいっぱいの大学に入って別世界ってものを見ちゃってさ、更にハルちゃんと叶太くんの熱愛話とか聞いて、なんかすごくテンション上がっちゃって。

 ……だけど、ハルちゃんも叶太くんも別に芸能人って訳じゃないし、嫌だよね、こういうの」

 おしゃべりで気遣いができていなくて噂好きの知りたがりや。そう言えば、着ている服とか、持っている鞄とかに興味を持っていた事もあったと思い出す。

 その言葉の幾つかは確かに、えみちゃんにぴったりかも知れなかった。知りたがりやとか噂好きとかおしゃべりとか。

 だけど、えみちゃんのそれは、ただの好奇心で、まるで悪意がなかったから、

「ううん、大丈夫」

 そう笑顔で答えられた。

 何より、わざわざ謝ってくれるところとか、わたしの表情を読んで言葉を待ってくれるところとか、気遣いがないどころか、むしろ気遣いできる人なのではないかな?

 そんなことを考えていると、えみちゃんは、再度真顔になって続けた。

「えっとさ、私、おしゃべりだけど、人の話は聞けるつもり。しゃべり過ぎてたら、止めてくれていいし、変なこと言ってたら怒ってくれていいからね?」

 そんな言葉に思わず、お腹の辺りがほっこりと暖かくなる。

 そして、ふと思い出す。

「あのね、じゃあ、えみちゃん、ひとついいかな?」

「うん。何でも言って」

 えみちゃんは真剣な顔をして頷いた。

「誤解だけ、解かせてね?」

「誤解?」

「うん。えっと、えみちゃんが聞いた噂がどんなのか、よく分からないんだけど……」

 わたしは、その後、お嫁に行ったんじゃなくてカナがお婿に来たのだとか、だから牧村はわたしの名前で、カナが名字を変えたのだとか、そんな話を伝えた。

 高等部からの友人なら、みんなが知っていること。

 えみちゃんは、楽しそうにわたしの話を聞いてくれて、そこから質問があふれ出て、あっという間に時間は経ち、窓の外が暗くなる頃、カナが声をかけてきた。

「そろそろ、出ようか?」

 既に、支払いは済ませてあって、えみちゃんは恐縮しまくった後、カナにいっぱいお礼を言って。

 そのままうちの車で、えみちゃんを駅まで送って行った。

 降り際に、

「そういえば」

 と、えみちゃんが顔を寄せてささやいた。

「ハルちゃん、本番はあんまりできなくても、旦那さまを満足させられる技もあるからね。いつでも聞いてね」

「…………え?」

 にんまりと笑ったえみちゃんが言ったその言葉が、きっと、そっち方面の話なのだと理解するまでに、たっぷり十秒はかかった。

 その間に、えみちゃんは車を降り、代わりに助手席に座っていたカナが後部座席に移ってきた。

「ハル、大丈夫?」

 多分、わたしの顔は真っ赤に上気していて、目には今にもこぼれ落ちんばかりに涙が浮かんでいて……。

 カナに覗き込まれて思わず両手で顔を覆い、カナを大いに心配させながら、わたしたちは車で数分の自宅に戻った。

 えみちゃんの言葉のいくつかは衝撃的で、どう受け止めていいのか分からなかった。

 だけど、大学に入ってから知り合った子と、何の手加減もなく、何の気遣いもなく交わした会話は、本当に楽しくて、ああ、大学生になったんだと、授業以外で初めてそんなことを実感した。

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