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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
15年目の小さな試練
28/42

思いがけない答え1

 月曜日に無事、退院して、火曜日から通学。

 気が付くと、もう六月も終わりだった。

 カナはもう一日休んだ方が良いんじゃないかって渋ったけど、これ以上、休みたくなかった。

「あ、ハルちゃんだ!」

「退院おめでとう!」

「具合、どう?」

「もう大丈夫?」

 教室に入ると、柚希ちゃん、美香ちゃんが飛んできて、その後ろから、海堂くんと河野くんも口々に声をかけてくれた。

「えっと……あの、はい、もう大丈夫です」

 戸惑いながら言葉を返し、

「あ、休んじゃってごめんね」

 と慌てて、謝罪の言葉を口にする。

「やだ、何言ってんの。病気の時は仕方ないでしょ。そんなこと、気にしないの」

 柚希ちゃんが苦笑いしながら、わたしの肩をポンポンと叩く。

「昨日、退院したばっかりなんだよね? 無理しないでね」

 と、美香ちゃんが椅子を引いて座らせてくれた。

「うん。ありがとう」

 笑顔でお礼を言うと、美香ちゃんもニコッと笑ってくれた。



 授業後、そのまま六人でご飯を食べた。

 海堂くんと河野くんが席取りに走り、無事大きなテーブルを確保。

 わたしはいつもよりも更に小食なのを驚かれながらも、何とか持ってきたお弁当を完食。

 誰よりも小さなお弁当を一番遅く食べ終わったのに、カナに

「頑張ったな」

 って頭をなでられて、それをみんなにからかわれて……。

 そうして、お昼休み終了の十五分前、カナは腕時計で時間を確認すると、わたしに笑いかけた。

「じゃ、俺たち、9号棟だから、先に行くね」

 9号棟は食堂のある場所から少し歩く。

 わたしの歩くスピードの遅さとトイレに寄ったりする時間を考えると、十五分前でもギリギリなんだ。

「あ、俺も寄り道したいから、一緒に行くわ」

 海堂くんが立ち上がり、

「じゃあ、またね」

 と残った3人に手を振り、食堂の出口へと向かって歩いている時だった。

「うわっ、叶太くん、かわいそう~!」

 不意に、本当に不意に、その言葉が耳に飛び込んできた。

 その瞬間、ドキンと大きく心臓が跳ねた。

 聞きなれた声。

 大学に入ってから知り合った女の子の、明るくて元気な声だった。

 ……えみちゃん?

 声のした方に目を向けると、そこには友だちらしき女の子と楽しそうにおしゃべりをするえみちゃんがいた。

 反射的にカナを振り仰いだけど、カナは海堂くんとお話し中で、えみちゃんの言葉は聞こえていなかったみたいだった。

 何故か、ひどくホッとした。

 だけど、一度大きく飛び跳ねた心臓はやけにあおっていて、ドクンドクンと大きな鼓動が全身に響いていた。



「叶太くんを解放してあげて!」


 脳裏に浮かび上がったのは、わたしを責める声。

 連れて行かれた高校の校舎裏は、緑が深くてとても綺麗な場所だった。

 その瞬間まで、鮮やかに輝いていた世界は、田尻さんの言葉で急激に色をなくした。


「一体、いつまで叶太くんを縛り付けるつもり?」


「もう一ヶ月経ったけど、なにも変わってないじゃない」


 吐き捨てるように、田尻さんは言った。


「叶太くん、かわいそう!」


 ……違う。

 あれは、誤解だったから。

 カナはわたしが良いって言っていた。

 田尻さんは、ただカナを想って、そう言ったんだ。

 ……違う。

 だって今、田尻さんはわたしの大切な友だちだもの!

 唇を噛みしめて、ギュッと拳を握りしめて、三年も前の田尻さんの言葉を頭の中から追い出す。


 なのに、今度は、また別の女の子の甲高い声が脳裏に浮かび上がった。

 二年前、カナが助けた女の子。

 体調を崩して休んでいた保健室に乗り込んできた……。


「叶太くんと別れてちょうだい」


「あなたって、完全に叶太くんの重荷じゃない」


「あなたみたいな子が、なんで叶太くんの彼女なのか、分からない」


「いくら幼なじみだからって、甘えすぎじゃないの?」


「一方的に、頼るだけの関係って、カレカノの関係じゃないよね?」


「あなたって、大切にしてもらうばっかりじゃない」


「あなたとつき合ったって、叶太くんに良いことなんて、何一つないでしょ?」


 わたしに対する不満をたくさん口にした後、彼女は、わざとらしいため息を吐いた。


「あーあ。叶太くん、かわいそう」


 吐き出されたたくさんの言葉が脳裏に浮かんでは消える。

 胃がギュッと重くなった。


 ……違う。

 カナにはカナの意思があるから。

 カナがわたしがいいって言っているのなら、それを他の誰かが否定するのはおかしいんだ。

 あの時も、わたし、ちゃんと言い返した。

 カナが何をどう思っているかなんて、カナにしか分からない。

 もう二年も前に終わっている話。


 カナはかわいそうでなんて、ない。


 なんで、わたしは何年も前に終わった話を、投げつけられた言葉をこんなにしっかり覚えているんだろう。

 もうすっかり過去のものになったと思っていたのに……。

 もう、終わりにしようよ。

 ……終わりにしなきゃ。

 そう思った。

 だけど、三度目に聞いた「叶太くん、かわいそう」の声が、えみちゃんが言った言葉が、頭に残って離れない。


「ハル? どうした?」

 気が付くと、カナの服の裾を掴んでいたらしい。

「……あ」

「ハル、顔色、悪い」

 カナが慌てて立ち止まり、真剣な表情でわたしの顔を覗き込む。

 気が付くと、えみちゃんの言葉を聞いた場所から、数メートルは離れた食堂の入り口付近まで歩いていた。

 ……ここなら、えみちゃんに見られないで済む。

 反射的にそんな風に思った自分が、何だかとても悲しくて、そして情けなかった。

「……あの、なんでも、」

「なくはないよね?」

 カナはわたしの言葉をかぶせるようにして遮り、慣れた手つきでわたしを抱き上げた。

「なに、ハルちゃん、具合悪いの? 大丈夫?」

 海堂くんが心配そうに、わたしの顔を覗き見る。

「てか、叶太、言えよ。荷物くらい持つし」

 そう言って、海堂くんはカナから荷物を受け取ろうとするけど、デイパックは背負っていて、わたしの鞄は肩にかけていて、その状態でわたしを抱き上げてるから、受け取りようがなかった。

「悪い。次からは頼むな」

 カナはさわやかにそう答える。

「あの……カナ、わたし、大丈夫」

 だから降ろしてと言おうとするのに、最後まで言わせてもらえずに、

「大丈夫じゃないって」

 と、カナがかぶせて言う。

 実際、大丈夫と言い切れるほどではなかった。

 確かに、やけに心臓があおっていた。不整脈が出ている。

 だけど、そんなにひどいものではなくて……。

「医務室、行こう」

「カナ、……座って休んでたら、すぐ治るから」

 ……たぶん。

 だから、授業に出てもきっと大丈夫。

 そうじゃなくても、食堂の片隅で少し休ませてもらえたら……。

「じゃあ、医務室で少し寝てたら、もっと早く治まるね」

 カナはにこりと笑って歩き出す。

「あの……歩けるし」

「歩けるかも知れないけど、歩かない方が早く楽になるよ?」

 カナは笑顔を崩さず立ち止まることもなく歩き続ける。

 それを見た海堂くんが、面白そうにクスクス笑った。

「ハルちゃん、気にせず甘えたらいいんじゃない? 旦那さんの愛は深海より深そうだし」

「そう。ハルへの愛の深さには自信ある」

 その言葉を受けて、海堂くんはまた笑う。

「ハルちゃん、真っ赤」

「よかった。それだけ顔色が良かったら大丈夫そうだな」

 カナも嬉しそうに笑う。

 高校生の頃も、こうやってよく運ばれた。だけど、クラスのみんなも学年が同じ人たちも、何なら高等部に通う人たちは学年が違っても割と慣れっこで、「ハルちゃん、大丈夫?」とか「お大事にね」とか気軽に声をかけられるくらいには、いつもの事だった。

 でも、大学に入った今は違っていて、好奇心いっぱいの視線を受ける。

 そもそも、こんな姿を海堂くんに見せるのだって初めてで……。

 いつもの事のはずなのに、何だかとても恥ずかしくて、わたしはカナの胸に顔をうずめた。

 恥ずかしいと思えるくらいには体調も悪くないんだと自覚した時には、不整脈もすっかり治まっていた。

 だからといって、カナが授業に出るのを許してくれるはずもなく、強制的に医務室で休憩を取ることになった。



「叶太くん、かわいそう」

 医務室で横になっていても、その言葉が耳を離れない。

 ……カナは、かわいそう、なのかな?

 そうではないと思いたかった。

 だけど、わたしはいつ倒れるか分からないような身体で、いつだってカナに心配かけてばかり。

 カナは自分が病気をしても自宅でのんびりするどころか、実家に戻って療養しなきゃいけないような環境で……。

 そんな風なのに、カナはそれでいいと言う。

 わたしがいいと言う。

 ……そう。

 カナは自分がかわいそうだなんて、多分、まったく思っていない。

 ああ、そうか。

 問題はカナではなくて、カナをかいわそうだと思った人が、何を持って「叶太くん、かわいそう」と言ったのか。

 ……やっぱり、わたしの事だよね。

 そう思う気持ちを止められない。

 だけど、えみちゃんはわたしに直接言った訳ではない。

 ああ、そうか。

 わたしは、また思う。

 これは、カナと付き合うことになった3年前、高校1年生の時と同じなんだ、と。

 あの時、わたしは、田尻さんの言葉を真に受けて、カナの気持ちを勝手に想像して動いてしまった。結果、わたしは死にかけて、カナには散々な遠回りをさせて、ようやくカナとわたしはお互いに想い合っていると知ることができた。

 あれ以来、わたしたちは何かあったらお互いに直接、話をすることにしている。

 ……相手はカナじゃないけど、きっと、これも同じことだ。直接話さなかったら、なにが真実かなんて分からないもの。



「あ! えみちゃん!」

 一時間半、医務室で横になって休んだ後、四限目の教室に入ると、えみちゃんの顔が目に飛び込んできた。

 少しだけドキンとしたけど、不整脈を起こすようなこともなく、わたしは反射的にえみちゃんの名を呼んでいた。

「ハルちゃん?」

 友だちらしき人とのおしゃべりを中断して、えみちゃんは不思議そうにわたしの顔を見た。

「あのね、ちょっと教えて欲しいことがあるの」

 えみちゃんはわたしの言葉に嬉しそうに笑った。

「いいよ。何でも聞いて!」

 カナが隣で戸惑っているのが分かった。

「あ、……えっと、授業の後で、少し時間もらえる?」

「もちろん! ……って言いたいけど、旦那さまはOKなのかな?」

 えみちゃんが小首を傾げて、わたしの隣のカナを見上げた。

「……えっと、ハル?」

 カナは困ったようにわたしを見た。

「少しだけ、えみちゃんとお話しても、いい?」

「……ハルが、そうしたいなら」

「ありがとう!」

 カナの言葉に笑顔を返すと、それを見たえみちゃんは、

「じゃあ、後でね」

 とニコリと笑って手を振った。

 そのまま前に進み、空いた席に座ると、

「オレも同席してもいい?」

 とカナが聞いてきた。

「ダメ」

 即答すると、カナは絶句。

「……ええっと、なんでか聞いてもいい?」

「ダメ」

 それにも同じ答えを返すと、カナは目を丸くした。

「……ハル?」

「あ、でも、後でちゃんと話すから」

 そう言うと、カナは困ったように眉根を寄せながらも、

「……じゃあ、どこか落ち着いて座って話ができるところで、ね? 後、オレもハルの顔が見えるところに座るからね?」

 と妥協案を出してきた。

「そんな、長話じゃないんだけど」

「ダーメ。さっきまで具合悪くして寝てただろ」

「カナが大げさだっただけで、具合が悪かった訳じゃ……」

 ちょっとトラウマを刺激されて、不整脈が出ただけで……って言ったら、きっともっと心配をかけるか……。

「学内のカフェ? うーん、微妙に落ち着かないかな。あ、いっそ家に来てもらう? ……あーでも、それも微妙かなぁ」

 カナの中では、いったい、どれだけ長時間話すことになっているんだろう?

 この教室は次の授業で使うかも知れないし、誰かに聞かれるのもどうかなって思うから場所は変えたいけど、人さえいないなら、いっそ廊下で立ち話でも良いくらいなのに。



「ハルちゃん、どこで話す~?」

 授業が終わると早々にえみちゃんが声をかけてきた。

 相変わらず、明るくて元気でテンションが高い。

「あ、えっと……」

 わたしがどう答えるか迷ってる間に、

「学内のカフェと、外に出てどっかお店に入るのと、どっちが良い?」

 カナが隣から口を出してきた。

「……え、カナ?」

 だけど、わたしが何か言うより前に、えみちゃんは嬉しそうに両手を打った。

「わ、外のお店がいい! どっか、良いところ知ってる?」

「いや、実はあんまりは知らないんだけどね。幾つか聞いておいた」

 ……一体、いつの間に?

 わたしが目を丸くして、カナを見ると、カナはポンとわたしの頭に手を置いて、

「兄貴に聞いといた」

 と笑顔を見せる。

 ……だから、一体、いつの間に?

 授業が始まる前? もしかして、授業中!?

「……ハルが授業の準備をしてる間だよ」

 わたしの懸念に気付いたカナが苦笑いしながら教えてくれた。

 確かに、わたしの動作はとってもゆっくりだから、それくらいの時間はあったかも。

 そんなわたしたちのやり取りを見て、えみちゃんはクスクス笑った。

「ホント、仲いいね~」

 そこに変な意味は込められていないように感じる。

 だからこそ、わたしはきっと、えみちゃんに直接聞いてみようと思ったんだな、と思い当たる。

「じゃ、行こうか」

 カナに背中を押されて、わたしたちはゆっくりと歩き出した。

「誘ってくれて、ありがとね」

 えみちゃんは嬉しそうに言う。

「こっちこそ、突然、ごめんね」

「ううん。嬉しかった!」

 カナは歩きながら、カフェに予約の電話を入れているみたい。

 カナが電話をしているからか、えみちゃんの足取りも自然とゆっくりになる。

 エレベーターホールに着くころには電話も終わっていて、カナはえみちゃんに、

「気に入らなかったらごめんね」

 と声をかけていた。

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