和解と戸惑い
「あ、ハルちゃん、叶太」
お昼休み、カナと食堂でお弁当を食べていたら、高校の時のクラスメイト、幸田くんが歩いてきて、わたしたちのテーブルの横で足を止めた。
「久しぶり!」
カナが笑顔で手を振り、わたしも
「幸田くん。こんにちは」
と取りあえず、ごあいさつ。
幸田くんはニコッと笑い、
「ここ、相席してもいい? なんか混んでて、席空いてなくて」
「もちろん!」
カナは笑顔で即答。
四人掛けのテーブルだから、まだ二人分席はある。今日は二人ずつの対面のテーブル。カナが隣の椅子に置いてあったデイパックを自分の椅子の背にかけた。
「ありがとう!」
嬉しそうに笑って、幸田くんは後ろを向くと
「おーい、田尻ー! ここ、いいってー!」
と大きな声を上げた。
「ちょっとー、大声で呼ばないでよ、恥ずかしい」
幸田くんを睨みながら、やっぱり空席を探していたらしい田尻さんが数メートル向こうから歩いてくる。
そうして、幸田くんの見つけたのがわたしたちのテーブルだと気が付くと、田尻さんは少しきまり悪そうに、
「えーっと、お邪魔してもいいのかな?」
と言った。
高校一年生の時、田尻さんとは色々あって、田尻さんの言動に追い詰められたわたしは、ストレスで体調を崩し、呼び出された校舎裏で発作を起こして危うく命を落としかけた。
それ以来、カナは田尻さんを警戒している。
田尻さんとのいざこざはもう終わった事で、わたしと田尻さんは今では友だちと言ってもいい仲だと思う。だけど、カナは忘れられないみたいで……。
あの日、校舎の裏に倒れていたわたしを見つけてくれたのはカナで、救急車を呼んでくれたのもカナだった。後、一時間発見が遅れていたら命はなかったかも知れないと言われるくらいには、良くない状態で、カナには相当心労をかけたと思う。
田尻さんを起点としたすれ違いもあって、一時は、カナとはもう終わりかと言うところまで行ってしまった。
しーちゃんも何となく、田尻さんをわたしに近付けないようにしていた感があったし、高等部時代は、カナやしーちゃんがいるところでは田尻さんと話さないようにしてきた。
そんな空気は当然、田尻さんにも伝わっていて、田尻さんもカナやしーちゃんがいる時にはわたしの側に来ることはなかった。
だけど、今、そんなことは全く知らない幸田くんの言葉で、田尻さんは意図せず、カナも同席する状態で、一緒にお昼ご飯を食べることになっていた。
そんな訳で、田尻さんは微妙な表情。
お邪魔してもいいのかな、という言葉に
「もちろん」
と、わたしは笑顔で答えて、自分の隣の椅子に置いてあった鞄を床に下ろす。
カナもわたしが荷物を動かすのと同時に、
「どうぞ」
と笑顔を返した。
……あれ?
カナの笑顔には何の含みも感じられない。
今までにない反応に驚いている間に、多分、カナと田尻さんの間の確執を全く知らない幸田くんが、
「ありがと。ホント助かったー!」
と言いながら、カナの隣の椅子を勢いよく引き、ドカッと腰かけた。
「お邪魔しまーす」
田尻さんもわたしの隣にやって来て、こちらはそっと席に着いた。
自宅から通っているからか、田尻さんと幸田くんもお弁当持参。
珍しいメンバーでお弁当を食べながら、おしゃべりをする。
カナと田尻さんがまともに話すのって、何年ぶりだろう? その昔……初等部と中等部の一年生まで、同じバスケ部にいた二人は、元々は割と仲が良かったはずだ。
それが一転、高一の春以降、ほとんど会話がなくなっていた。なのに今、その二人が同じテーブルを囲んでいる。
何だか、とっても不思議な感じ。
でも、わだかまりさえ消えたら、元々が長く同じ学校に通う仲間だから、自然と会話は弾むみたい。
高等部のクラスメイトが、今、どんな感じかとか、また同窓会しようとか、そんな話が通り過ぎていく。
わたしはほとんど聞くだけで、三人の会話を楽しみながら、ゆっくりとお弁当を食べていた。
「……ね、大丈夫? 体調、あんまり良くない?」
不意に、田尻さんがわたしの方を見た。
「え?」
驚いてお箸を持つ手を止める。
「あの、体調、悪くないよ?」
特別良くはないけど、悪くもない。
……わたし、そんなに疲れた顔をしていたかな?
「えーっと、だったらいいんだけど。牧村さん、全然しゃべらないし」
ああ、そうかとホッとする。
「わたし、食べるの遅いから。おしゃべりしてると、午後の授業に間に合わなくなっちゃうの」
微笑んで答えると、田尻さんは、
「ああ、なるほどね。そっか、ならいいんだけど」
と安心したように表情を緩めた。
そんなわたしたちのやり取りを見ていたカナが、
「そういえば、……」
と姿勢を正した。
「お礼が遅れてごめん。和樹、田尻、ありがとう」
突然、頭を下げたカナに二人は何事かとカナを凝視した。
「五月、オレが休んでた時、ハルの事助けてくれたでしょう? 本当にありがとう」
カナは真顔で二人を見る。
「いつの話だよ」
幸田くんが笑って返した。
「お礼言われるようなことじゃないし」
田尻さんは一見つっけんどんな言葉を紡ぐ。だけど、逸らした視線と少しだけ赤くなった頬が照れているだけなのだと教えてくれる。
そして、田尻さんへのカナの態度が軟化したのは、そのせいかと思い至る。
「いや、でも本当に助かったから」
と、カナがお礼を続けようとしているのを見て、ふと思い出す。
「あの……わたしもお礼言ってなかったよね? 本当にあの時はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、幸田くんは慌てたように言う。
「ちょっと、ハルちゃんやめてよ。なんか他人行儀で逆に寂しいし」
「お礼なら、あの時言ってもらったと思うけど?」
田尻さんはそう言って苦笑い。
「ホント、相変わらず律儀で真面目だよね」
「……お礼、言ったっけ?」
あの時、医務室に着いた頃には、もうまともに言葉を話せないくらいには、調子が悪かった気がする。
「言ってた言ってた」
田尻さんは苦笑いしながら続けた。
「だって、牧村さん、青い顔して息切れてるのに『ありがとう』って言うし。私、それ聞いて、ホント、律儀だよなぁ、お礼なんていいのにって思ったもん」
そう言われても、正直、今一つ思い出せない。
だけど、いつだって誰かに迷惑かけてばかりのわたしは、できる限り、ありがとうの言葉を口にしようと心がけていて……。だったら、きっとあの日もちゃんと言えたんだろうなと思う。
「あのさ、具合悪いときは、気にせず頼りなよ」
田尻さんが真顔で言う。
「あとね、我慢は身体に悪いと思うよ?」
「……え、っと?」
「あの時だってさ、結構我慢してたんじゃない?」
「……そうだっけ」
「ああ、まあいいや。おしゃべりしてたら、間に合わないんだっけね。いちいちちゃんと答えないでも大丈夫!」
「……はい」
田尻さんは相変わらずで、そんな風にぶっきらぼうな口調なのに、わたしのことを最大限気遣ってくれる。
久しぶりのやり取りが、すごく嬉しかった。
気遣ってくれるのに、腫れ物に触るような扱いにならないのって、多分、田尻さんだけだもの。
「ハール」
カナに呼ばれて顔を上げると、カナはニコッと笑った。
「手、止まってるよ?」
……あ。
見ると、お箸は宙に浮いたままで、田尻さんがせっかく気を使ってくれたのに、わたしのお弁当はまるで減っていなかった。
「ごめんなさい」
思わず謝ると、
「謝るようなことじゃないし」
とまた田尻さんがぶっきらぼうに言う。
「そんな気使うような仲じゃないでしょ。適当にしゃべってるから、牧村さんは適当に聞きながら、食べてればいいよ」
口調はぶっきらぼうなのに、目が合うと、珍しくニコッと優しく笑ってくれた。笑顔の田尻さんは思わずハッとするくらい可愛かった。
だけど、すぐにいつもの田尻さんに戻ってしまい、
「はい、幸田くん、なんか面白い話して」
と、幸田くんに無茶ぶりして、その場は笑いで満たされた。
その後は、わたしも何とかお弁当を食べ終えて、四人で移動を開始。
三限は、正にカナがインフルエンザでお休みの間に、わたしが具合を悪くして、田尻さんと幸田くんに助けてもらった講義。だから、四人で一緒に移動して、四人で並びの席に座った。
そうしたら、なぜか高等部の時に同じクラスだった人たちが集まってきて、教室の一角が同窓会会場みたいになってしまった。
「ハルちゃん、元気だった~?」
「ハルちゃん、ギリギリにしか来ないし、すぐ移動しちゃうし、なかなかしゃべれないよね」
移動に時間がかかるから、大抵教室に入るのはギリギリになっちゃうし、次の教室への移動も急がないと間に合わないから、終わったらなるべく早く移動するんだ。
「えっと……ごめんね」
「ううん。教室移動多い…ってか、移動ばっかりだもんね。ハルちゃん、大変でしょ」
「でも、時間ある時、またおしゃべりしようね」
「うん」
そんな風に言ってもらえて、すごく嬉しかった。
だって、どちらかというと、わたしみたいな子はお荷物だから。でも誰もそんなことは言わないんだ。
なんて幸せなんだろう?
「叶太、お前、相変わらず片時もハルちゃんから離れないのな」
「女同士で話してる時くらい、ハルちゃん離してやったら?」
「いや、それやったら、もう叶太じゃないだろ」
「そりゃそうだ!」
椅子に座るわたしを後ろから抱きしめたままのカナ。
飛び交うからかいの言葉。それもまた、たまらなく懐かしかった。
「珍しい。ハルちゃんが恥ずかしがってない?」
「わ、さすが結婚して一年近く経つと違うね!」
「大学生になったし、色々変わるよな~」
「ハルちゃん、どう? 叶太、優しくしてくれる?」
「ちょっと、あんた、それセクハラ!」
「おい待てよ、そういう意味で言った訳じゃっ!」
浴びせかけられるそんな言葉に、みんなが何を言っているのか遅れて理解し、今度こそ羞恥心が沸き上がってきて、頬がポッと熱くなる。わたしは慌てて両手で顔を覆ってうつむいた。
……もうやだぁ。
カナはそんなわたしの頭をそっと抱え込んで、キスを落とすものだから……。
わたしたちを囲む元クラスメイトたちは歓声を上げ、からかいの声が飛び交い、わたしはとうとう真っ赤になって机に突っ伏した。
「すごい賑やかだったね。高等部から持ち上がりの子たち?」
3限の授業を終えて、次の講義のクラスに入ると声をかけてきたのは、上尾えみちゃんだった。
5月、カナがお休みの時に一度、晃太くんも一緒にお昼を食べた。それ以来、すれ違う時に挨拶するくらいの仲だったけど、えみちゃんには他にもたくさん友だちがいるみたいだし、わたしの隣にはいつもカナがいたから気にはしていなかった。
「うん。うるさくてごめんね」
そう言えば、えみちゃんもあの講義を取っていたのだと思い出す。
「ううん! 授業始まる前だったし、ぜんぜん大丈夫」
カナに促されて空いてる席に着くと、えみちゃんは、
「隣、いい?」
と、わたしの返事を聞くことなく、カナとは反対の隣の席に座った。
「持ち上がりの子たち、すごく可愛いし、カッコいいね~」
わたしが鞄からテキストやノートを出していると、えみちゃんが声をかけてくる。
えみちゃんは授業の準備はしなくて良いのかな?
わたしが答える前に、えみちゃんはおしゃべりを続けた。
「やっぱさ、着てるものとか持ってるものとか違うよね」
……そうかな?
みんなが着ていた服とか、持っているものとか、まるで思い出せない。
久しぶりのおしゃべりとか、あのザワザワしたあったかい空気感とか、そう言うのを感じるので精一杯だったもの。
でも、3月までは制服だったし、私服になったのは大学に入ってからだから、もしかしたら、みんな新しい服に新しい鞄なのかもしれない。
「ハルちゃんの鞄はどこのブランド? 見たことないんだけど」
「……え? これ?」
「そう。なんかすごく高そうだよね」
心なしか、えみちゃんの目が輝いている気がする。
そういう話が好きな女の子、多いよね。でも、わたしはその手の話は疎くて、聞かれても困ってしまう。
薄い茶色のシックなデザインの鞄は、革製なのだけど、とても軽くて使いやすい。重い教科書を入れても型くずれしないし。
そう言う視点しか頭になかったから、ブランドとか、考えたこともなかった。
「えっと、おばあちゃんがプレゼントしてくれたのだけど、どこのとかは……」
えみちゃんはまだ何か言おうとしたけど、それを遮るように、カナが声をかけてくれた。
「ハル、先生入ってきたよ」
「あ、うん。ありがとう」
カナの言葉を受けて、慌ててノートと教科書を開き、シャーペンを取り出す。
カナはスッと手を伸ばすと、わたしの手に重ねて少しだけキュッと握ってくれた。
大きな手のひらからはカナの温もりが伝わってきて、不思議なくらいホッとした。
そんな自分に気付くと同時に、えみちゃんとの会話に戸惑っていた自分にも気付く。
何も言わなかったけど、カナはわたしの気持ちが分かったのかな?
思わず、カナの方を見ると、カナはふわりと優しい笑みを見せてくれた。
授業が終わるのを見計らっていたかのように、先生が終了を告げたと同時に、また、えみちゃんが
「さっきの話だけどさ」
と声をかけて来たけど、
「ごめんね。少し急いでるから、またにしてくれる?」
と、笑顔でカナがさえぎってくれた。
「あ、うん。分かった」
えみちゃんは、カナの言葉を聞くと、そそくさと荷物をまとめ始めた。
その姿が、以前、晃太くんと一緒にお昼ご飯を食べた時の様子と重なる。
「じゃあ、またね、ハルちゃん!」
えみちゃんは少しばかりぎこちない笑顔で、わたしに手を振った。
「うん。またね」
そう返しながら、今日の話の続きをすることは、もうないのかもしれないと思った。
えみちゃんを見送ってから、急いで教科書やノートを片付けなきゃと目を落とすと、既にカナがまとめて、ちょうど鞄に入れようとしているところだった。
「ありがとう。……ごめんね?」
「ん? なんで、ハルが謝るの?」
聞かれて困る。
でも、多分、カナはえみちゃんのこと、好きじゃないよね?
だけど、まだまだ教室内に人が多い状態で、そんな話をする気にはなれなかった。
言葉を返せずにいると、カナはニッコリ笑いながら、わたしの頭を優しくなでた。
「行こうか?」
「うん。ごめんね、急がなきゃね」
「ん? ハル、何か用事ある?」
今ので、今日の講義はもう終わり。本当なら、後は帰るだけだ。
でも、急いでると言っていたから、きっとカナに何か用事があるのだと思っていた。
小首を傾げて、
「……急いでるんじゃなかったっけ?」
と言うと、カナは
「ああ、あれはただの口実。ごめんね。……なんか、ハル、困ってたっぽかったから」
そう言って、苦笑い。
「そっか」
「慌てなくて良いから、ゆっくり、ね」
「うん」
カナに微笑み返し、机に手を付き、言われた通りにいつものペースでゆっくり立ち上がる。
「疲れただろ? 大丈夫?」
「うん」
笑顔でそう答えたけど、最近、少し疲れ気味だ。
朝起きた時にも、前日の疲れが残った状態なのだから、九十分授業を四コマこなした今なんて、正直、へとへとだった。
まだ涼しい今の時期ですらこれだ。気温が上がってきたらどうなるのだろうと思うと、不安が募る。
「早く帰って、ゆっくりしよう」
「ん」
カナは自分のリュックを背負い、左手にわたしの鞄を持つ。
大学生になっても、やっぱり、カナに頼ってばかり。
だけど、カナはかけらも負担に思っていないようで、空いた右手で嬉しそうにわたしの手を握り、心底幸せそうな笑顔を見せてくれる。
歩きながら、カナの手をキュッと握りしめ、
「いつも、ありがとう」
そう言うと、カナは不思議そうに首を傾げ、だけど次の瞬間にはふわっと笑顔を浮かべて、
「急にどうしたの? でも、どういたしまして」
と、素早くわたしの頭のてっぺんにキスを落とした。
わたしが驚いて立ち止まると、カナは楽し気にクスクス笑みをこぼした。




