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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
季節外れのインフルエンザ
18/42

戻ってきたカナ

 金曜日の不調は幸い、長引くことはなかった。

 ただ、金曜日の内は怠さは引かず、食欲もなくて、お風呂もシャワーもパスして、ひたすら眠っていた。

 夜、起こされてゼリーをほんの数口食べて薬を飲んだような気がするけど、その記憶も曖昧なくらいで……。


 土曜日の朝、沙代さんに起こされた時には、身体の重さも大分マシになっていた。

 ちゃんと食堂に移動しておかゆも食べられた。だけど、起きて動ける程ではなくて、薬を飲んだ後にはベッドに戻ってひと眠り。

 お昼はパパに起こされて、おかゆを食べて薬を飲んでまたベッドへ。

 まだまだ本調子ではないけど、

「病院に行かなくて、本当に大丈夫かい?」

 と心配そうな顔をするパパに、

「もう大丈夫」

 と、笑顔を返す事もできるくらいには、楽になっていた。

 それでも、横になると自然とうとうとして気が付くと眠っているのだから、やっぱり身体はまだ疲れていたのだと思う。


 3時頃、ふと目が覚めると、かなりスッキリしていた。言いようのない気怠さもないし、胃腸の不快感もない。

 ああ、もう大丈夫だと思い、何気なく携帯電話を確認すると、カナからのメールが3通届いていた。

 昨日の夜に一通、今日の朝と昼に一通ずつ。

 メールには、わたしの身体を心配する言葉があふれていて、申し訳なくなってしまう。

 きっと、晃太くんから色々と聞いたんだよね……。

 いつもの事で深刻な状態ではないのだけど、晃太くんはかなり驚いていたから、少し大げさに伝わったんじゃないかな。

「兄貴も心配しているよ」の一言に申し訳なくて仕方なくなる。

 今日は、わたしの事がなければカナが学校に戻れる日だった。土曜日だから、結局、学校はないのだけど。

 そんな訳で、カナはお義母さまからスマートフォンとパソコンを返してもらったみたい。

 だったら、メールの返信、カナにすぐ届くかな?

 そう思って、


----------------------------------------------------------------

 TO先:カナ

 件名:RE:大丈夫!?

----------------------------------------------------------------

 カナ、こんにちは。

 お返事遅くなってごめんね。

 もう、ご飯も食べられてるし大丈夫です。

 心配しないでね。

 晃太くんにも大丈夫と伝えて下さい。 

----------------------------------------------------------------



 と返事をしたら、一分と待たずに返信が届いた。



----------------------------------------------------------------

 TO先:ハル

 件名:今日はゆっくり休んでね

----------------------------------------------------------------

 ハル、返事ありがとう!

 まだ食欲はないでしょう?

 無理して起きていないで、今日は一日、

 身体を休めてね。

 ハルからのメール、すごく嬉しいけど、

 返事なしでもいいからね?

 夜、電話するけど、しんどかったら出なくて

 大丈夫だからね。 

----------------------------------------------------------------



 夜に電話をくれると言う言葉に、思わず笑みが浮かぶ。

 昨日は、カナの声を聞けなかった。顔も見られなかった。

 だから、今日の夜が楽しみ。

 カナからのメールを読み返しながら、ベッドに横になっていたら、わたしはまた眠ってしまった。



 そして、夜、ベッドで横になって、昨日、受けられなかった授業の教科書を読んでいると、カナから電話がかかってきた。

「ハル? 遅くにごめんね? 大丈夫?」

 開口一番、カナはわたしを気遣う言葉を並べる。

「まだ起きてるし、大丈夫だよ」

 普段の就寝時間が夜9時と言うのは、カナもよく知っていること。今は夜の8時前だもの。普通なら起きている。

「体調はどう? 少しは楽になった?」

 電話をしてくれるくらいだから、カナはわたしの体調がそんなに悪くないと分かってくれていると思ったけど、やっぱり心配は心配みたい。

 晃太くん、一体、どんな風に話したのかな……。

「カナ、メールにも書いたけど、わたし、もう大丈夫だし元気だよ?」

 元気いっぱいってことはないけど、この調子なら、今日一晩寝れば、もし明日が学校の日でもちゃんと行けると思う。それくらいには元気になった。

「ごめん、ハル。夕飯も食べられたみたいだし、朝も昼もちゃんと……少しでも食べられてたみたいだし、そんなに体調悪くないって分かってるんだよ」

「うん。よかった」

 それを聞いてほっとする。

 カナが心配性なのはいつものことだものね。

「だけどね、顔が見えないから、やっぱり心配」

「わたしも顔見たいから、パソコンからかけなおすよ」

 そう言ったのに、カナの心配性はかなり重症みたい。

「ハル、今日はベッドにいよう? あったかくして、布団に入ってて? もう8時だし、今日はこのまま寝るといいよ」

「えっと……わたし、今日の昼間、寝てばかりいたんだけど」

 パソコン開くったって、同じ部屋にあるのだし。

「だけど、まだ眠れるでしょう?」

「……うん」

 眠れるかと言われたら、きっと、布団をかぶって電気を消したら、すぐに眠れる気がする。だけど、起きていようと思ったら、まだちゃんと起きていられるとも思うのだけど……。さっきまで教科書読んで勉強していたくらいだから。

「今、ベッド?」

「うん。教科書読んでた」

「教科書!?」

 カナが驚いたように言った。

「昨日の4限目、授業受けられなかったから、読んでおこうと思って」

「……昨日の4限って、統計学だったよね?」

「うん」

「ハル、統計学の授業なんて、今更受けなくても大丈夫じゃない?」

「まさか。そんな事ないよー」

 大学での勉強には、高校までの知識とは比べ物にならないくらい、色んな事が詰まっている。と言っても、どの教科もまだ入り口のお話なのだろうけど。

「教科書読んだら、理解できる?」

「うん。一応」

「……そっか。でも、もう遅いから、この後は寝てね?」

「じゃあ、そうしようかな」

 わたしがそう言うと、カナはホッとしたように

「そうして、そうして」

 と言った。

「後少しだね」

「うん。……月曜日、だよね?」

「うん。月曜日。……長かったなぁ~」

 カナがしみじみと言う。

 うん。本当に長かった。

 一週間、丸々カナに会えないなんて、普通じゃ考えられないもの。

 結婚してからは、入院していても一緒に過ごしていたし、ICUに入っていたって、カナは毎日何度も面会に来てくれるから。

「後、一日だね」

「ああ。後、一日でハルに会える」

 


 そして、日曜日。

 土曜日にゆっくり身体を休めたおかげで、すっかり体調も元に戻ってくれた。

 朝は少し遅めだけど、7時半には自分で起きて、普通にご飯も食べたし薬も飲んだ。

 まず最初に、木曜日と金曜日の授業のノートをまとめて、カナに送る。とは言え、金曜日の三限目は早退したし、四限目は出られなかったから、後から誰かにノートを借りなくてはいけない。

 メールを送った後、誰にノートを頼もうと考えていると、カナからビデオ通話の着信があった。

 やっとカナの顔が見られると思って、少しばかりウキウキしながら通話ボタンを押すと、開口一番、カナは困ったような顔で、

「ハル! そんな事しなくていいから、身体を休めて?」

 と言った。

 そんな事って言葉に、少しばかり傷つきながらも、きっとカナの心配性は側にいない今、いつもより激しくなっているのだろうと思って、言葉を飲み込む。

「カナ、昨日たっぷり休んだから、わたし、もう本当に元気だよ?」

「だけど、ハル、字がとっても綺麗だし、ノートはすごく分かりやすいし、清書する必要ないんだよ?」

「……練習なの」

「ん?」

「カナのために作ってたけど、これ、練習なの」

「……入力の?」

「入力とか、書類を作ったりとかの」

 カナが困ったように言う。

「ハルがそんなところで無理する事、ないんだよ? 今まで通り、オレがすればいいし」

「でも、みんな自分でやってるでしょう?」

「いや、誰かにやってもらってるヤツもいると思うけど……」

「わたしみたいに?」

「うん。だって、みんながパソコン得意って事もないでしょ。スマホは使いこなしてるだろうけど」

「……でも、いつまでも、誰かに頼りっぱなしってことはないよね? 本当は自分でやるものでしょう?」

「まあ…そうかも」

 カナの心配性は病み上がりなのに健在だった。と言うか、長く会えないせいで、一緒にいた時よりも心配性がひどくなっている気がして、どうすればいいのか、本当に困る。

 何より、こんなに、わたしの事ばっかり考えていたら、またカナが疲れ切って、病気を拾ってくるんじゃないかと気になって仕方ない。

「あのね、わたし、もう結構、入力も早くなったんだよ?」

「ん?」

「もう、何も見なくても打てるし、ソフトだって参考書なしに使えるよ?」

「この一週間で?」

「うん。えっと……まだまだ、カナみたいにはできないのだけど」

 早くなったとは思う、自分なりに。

 だけど、もちろん、カナみたいにあっという間に文章ができちゃうようなスピードはない。

「カナはすごいよね」

 わたしがそう言うと、カナは少し戸惑ったように返事をくれた。

「そう?」

「ね、カナは、どうやってできるようになったの?」

「ん? 小学生の頃、兄貴がパソコン使うのが面白くて見てたら、親父がタイピングソフトの入ったパソコン貸してくれて、それからかな?」

「小学生の頃から!?」

 それは、敵わないはずだ。

「うん。シューティングゲームのタイピングソフトだったから、兄貴に勝ちたくって、ムチャクチャ練習した!」

 カナは笑う。

「そっか、そんな昔から使ってたんだね」

「うん。うちはテレビゲームみたいなの、一切禁止だったから、ホントはまったよ」

 楽しそうな笑顔のカナを見ていると、わたしもほっこり幸せを感じる。

「表計算ソフトとかは、いつから?」

「いつからだろう? ……ああそうだ。お袋がPTAの役員になって、資料を作るのに苦労してたんだけど、パソコン使えるなら手伝ってよって言われて」

「すごい!」

 お義母さまがPTAの役員さんをされていたのって、確か、中学1年生の頃だもの。その頃に、もう使えたなんて。

「ううん。最初は全然ダメだったの。で、無理ならいいわって言われたら、なんかすごく悔しくて、そっから勉強した」

 カナの言葉に、中学1年生のカナの奮闘を想像して、思わずくすくす笑ってしまった。

「そんなにおかしい?」

「ううん。カナ、可愛いなーと思って」

 わたしの言葉に、カナは少し憮然としたけど、だって可愛いものは可愛いもの。

「……可愛いのは、ハルだと思うけど」

「……え?」

 思わず、まじまじとカナの顔を見つめると、カナが真顔でつぶやいた。

「もう、待てない。ハルに会いたい。ハルを抱きしめたい」

「……カナ」

 今は日曜日の夜。

 だから、寝て起きたら、もう晴れてカナと会える時間。

 もう、いいのかな? ちょっとくらい、破ったって大丈夫?

 だって元々の外出停止期間は終わっているのだもの。

 持病がある人だって、多分、ここまで念には念を入れて隔離するなんてこと、していないと思う。

「……けど、月曜日までは待たなきゃ、ね。……はぁ」

 わたしが思わず『帰っておいでよ』と言ってしまう、ほんの少し前に、カナは我に返ったようにため息を吐いた。

「……うん。……ごめんね」

「ああ、いいのいいの。ハルが謝る事じゃないって。大体、こんな季節にインフルエンザなんて拾ってきたオレが悪いんだから。それに、後数時間だよね」

 とカナはふわっと笑った。

 ……数時間?

 だけど、起きてる時間だけ考えるとカナにとっては後数時間なのかも知れない。

 わたしの場合、電話が終わったらすぐに寝るとして、感覚的には一時間後とか、そんなくらいかな?

 そっか。本当に、後少しなんだ。

 だって、多分、カナは朝一番で戻って来るから。

 そう思うと、自然と笑みが浮かんで来る。明日の朝が、楽しみで楽しみで仕方ない。

「あ、そうそう」

「ん? なあに?」

「そんな訳で、オレ、結構パソコン歴長くて、入力したりは全然苦にならないから、ホント、ハルはあんまり無理しないでね? 大体、ブルーライトカットフィルターを使ったって、やっぱり疲れるでしょう?」

 前よりはずっと良いけど、本を読むのとパソコン画面を見るのだったら、そりゃ、本を読む方がずっと楽だ。と感じるくらいには、疲れているのかも知れない。

「……そうかな」

「そうそう。体調崩した後なんだから、目も休めた方がいいよ。……と言う訳で、そろそろ寝ようか?」

 時計を見ると、もう8時半だった。

「うん」

「おやすみ、ハル」

「おやすみなさい、カナ」

 大好きだよ、と言いたかったのだけど、恥ずかしくて、何となく口にしそびれてしまった。



 そして、月曜日。

 何だか、とても暖かくて幸せだなぁ……そう思いながら、朝、目を覚ますと、隣にはカナがいた。

 そこにあったのは、一週間ぶりのカナのぬくもりだった。

 思わず、目を何度も瞬かせて、身体をそちらに向けると、カナはわたしをゆるく抱きしめて、

「おはよう、ハル」

 そう言った。

「おかえりなさい」

 そのままギュッと抱き付くと、

「ただいま」

 と言いながら、カナはわたしの頭を抱え込み、そっとなでてくれた。

 それから、額にキスをされて、頬にキスをされて、最後に唇を合わせて、また抱き合う。

 幸せで幸せで、心がほっこりとあたたまる。

 自分の中の欠けていた部分が埋まったみたいで、どこかに吹いていたすきま風がなくなったみたいで……。

 カナと結婚して、もうすぐ十ヶ月。

 こんなにもカナに依存している自分に驚いてしまう。

 カナのぬくもりを堪能していると、

 ピピピピッ

 目覚ましのアラームが鳴り、カナがスッと手を伸ばして止めた。

 そうだ。今日は月曜日……学校の日だ。

 名残惜しいと思いながらも、ふと、まだ朝のあいさつをしていないのを思い出して、顔を上げて、

「……おはよう、カナ」

 そう言うと、カナは満面の笑顔で、もう一度、

「おはよう、ハル」

 と言った後で、優しくわたしを抱きしめてくれた。

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