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15年目の小さな試練  作者: 真矢すみれ
季節外れのインフルエンザ
12/42

遠慮深い妹2

「お待たせしました」

 ハルちゃんが小さなお盆を持ってリビングに入って来た。葉っぱから入れたと思われる紅茶の良い香りが漂ってくる。

「ありがとう」

 ハルちゃんはお盆をローテーブルに置いて、俺の前にティーカップを差し出した。

「レモンとミルク、どっちが良い?」

「そうだな~、美味しそうだから、まずはストレートで」

 そう言うと、ハルちゃんはニコリと笑って、向かいの席に座った。

 ハルちゃんのカップには最初からはミルクティーが入っていた。

「いただきます。……美味しいね、これ」

 本当に美味しい。葉っぱも良いものを使っているのだろうけど、多分、入れ方がすごく上手なんだと思う。

「ありがとう。あの、沙代さんが入れてくれたの。わたしは上手く入れられなくて」

「あはは。俺だって無理。自分で入れるのって、フィルターのコーヒーくらいかな」

「そっか。……わたしはティーバッグの紅茶くらいかなぁ」

 それから、ハルちゃんは内緒話をするように声のトーンを落とした。

「あのね、カナ、すごいのよ」

「ん? 叶太? あいつ、紅茶とか入れるの?」

「普通の紅茶も上手だけど、最近、お庭でハーブを摘んできて、ハーブティーとか入れてくれるの」

「……え?」

 予想外の答えに、思わずハルちゃんの顔をマジマジと見つめてしまった。

「ハーブティーって?」

 あれだよな、カモミールティーとかローズティーとか?

「あのね、お庭でミントとか、レモンバームとか摘んできて、それを使って生のハーブティーを入れるの」

「乾燥したのじゃなく?」

 いや、そもそも、生のハーブティーなんて存在してるの? 初耳なんだけど。

「うん、生のハーブを使うの。美味しいんだよ」

 いや、待て。普通に紅茶を入れるのだって意外だったのに、庭のハーブで入れた美味しい生のハーブティーとか、何それ。

「あいつ、一体、どこを目指してるの!?」

 思わずうなると、ハルちゃんは真顔で続けた。

「あのね、この前、カナが焼いてくれたクッキー残ってるんだけど、晃太くん、食べる?」

「……え? ハルちゃん、ごめん。もう一回聞いてもいい?」

 何か不思議な言葉を聞いた気がする。

「あのね、カナがクッキー焼いてくれたの。お庭で取れたハーブが入ってるのもあるよ?」

「ちょっと待って!? 叶太がクッキー作ったって言った!?」

 この際、庭で取ってきたハーブって言葉は無視しよう。それより、すごい言葉が聞こえてきたから。

 ハルちゃんは、

「そうだよね、やっぱり驚くよね」

 と小さな声で呟いた。

 どうやら、掛け値なく本当のことらしい。

「……食べさせてくれる?」

「うん。取ってくるから待っててね」

 ハルちゃんはゆっくり席を立つと、キッチンの方へと歩いて行った。

 叶太がハルちゃんのために、結婚前に料理の練習していたのは知っている。一緒の家に暮らしていたんだから、叶太の手料理は修行中から食べていた。

 だから、みるみる上達して、結婚する頃には結構な腕前になっていたのも知ってる。

 でも、だからって、お菓子作りにまで手を出すか!?

 女子力高過ぎだろ、叶太!

「晃太くん、はい、どうぞ」 

 ハルちゃんが持ってきてくれたのは、四角い形の素朴な感じのクッキーだった。

 よかった。

 プロ顔負けの懲りまくったものが出て来なくて、なんかものすごくホッとした。

 だけど、一口食べると、その味は親父のところに届けられる高級な手土産とかに遜色ない味で……。

「……うまいね、これ」

「ね?」

 ハルちゃんは困ったように小首を傾げる。

「でも一体なんでまた、叶太、クッキーなんて作ったの?」

 そう、そこが聞きたい。

 ただの好奇心だけど。

「ん~、何でだろう?」

 だけど、ハルちゃんも不思議そうな顔をする。

「最初はゼリーだったんだけど、気が付いたらクッキーも作ってたの」

「なるほどね。ゼリーなら分かる。ハルちゃんの好物だもんね」

 そう言うと、ハルちゃんはふわっと嬉しそうに笑った。

 それから、気遣わしげに表情を曇らせると、

「カナ、元気?」

 と聞いてきた。

「ん? 熱は下がらないけど元気みたいだよ?」

 みたいって言葉でハルちゃんが不思議そうに俺を見た。

「ああ、あのね、ハルちゃんと会う俺がインフルエンザウィルスのキャリアにならないように、叶太とは会わないようにしてるの」

「え!?」

「あ、会わないようにしてるって言うかね、会ってもらえないって言うか」

 そう言って笑うと、ハルちゃんは何とも言えない苦い表情を浮かべた。

「でも電話では話してるし、ビデオ付けてるから顔も見てるよ。うん、元気だと思う。あいつ、あれだけ熱が続いて、よく体力持つよね」

 おでこのジェルシートがなきゃ、熱があるなんて思えないくらいだ。よくしゃべるし。まあ、しゃべるのはハルちゃんの事ばっかだけど。

 だけど、ハルちゃんは叶太の体力より、叶太の顔を見てるって方が気になったらしい。

「……そっか。晃太くんはカナの顔見て電話できるんだ」

「ああ、ハルちゃんはまだスマホじゃなかったっけ」

「うん」

「じゃあ、もしかして日曜日から叶太の顔を見てない?」

「そうなの」

 それからハルちゃんはポツンと「寂しいな」と呟いた。

 よかったな、叶太。ちゃんとハルちゃんも寂しがってくれてるぞ。

 思わず、失礼なことを考えてしまう。

 そこでふと思い出す。スマホじゃなくてもビデオ通話はできるよなって。

「ハルちゃん、パソコンって持ってたっけ?」

「うん。大学に入った時に買ってもらったの」

「ノートパソコンだよね?」

 さっき、ハルちゃんのデスクらしき机に新しいノートパソコンが置かれていた。

 叶太のパソコンは日曜日、お袋が取りに来てるはずだから、あそこにあったのはきっとハルちゃんのパソコン。

「うん」

「じゃあさ、パソコンにカメラが付いていると思うよ」

 だけど、この言葉だけじゃ伝わらなかった。

 そう言えば、叶太が、ハルちゃんは電子機器が苦手って言ってた、と思い出す。

 不思議そうに首を傾げるハルちゃんに更に説明する。

「あのね、パソコンにもマイクとカメラが付いていて、スマホみたいにビデオ通話できるの、知ってる?」

 ハルちゃんはふるふると首を左右に振った。

「じゃあさ、教えてあげよっか。叶太に連絡するといいよ」

「うん! お願いします!」

 あ、これは眩しすぎる。

 そのとき見せてくれたハルちゃんの笑顔は間違いなく、昨日と今日の二日間の中で一番輝いていた。



 ハルちゃんのパソコンのセッティングと使い方のレクチャー終了後、早速、叶太に電話をした。

「叶太? 今、ハルちゃんのパソコンからリクエスト送ったから、承認して」

「え? 兄貴、突然何の話?」

「俺ね、今、ハルちゃんちにいるの」

「え!? うちに!?」

 その言葉に、そうか、叶太の家はもうここなんだと、妙にしんみり実感する。

「ハルちゃんがお前の顔が見られなくて寂しいって言うから、スマホじゃなくてもパソコンでビデオ通話できるよ……て事で設定して、使い方をレクチャーしたとこ」

「え!? マジで!? ハルの顔見られるの!?」

 喜びに満ちあふれた叶太の声に頬がゆるむ。いやホント、期待を裏切らないよね。

「待ってて! すぐ承認するから! ……終わった!」

「よし。じゃあ、パソコンから繋ぐから、切るな」

「うん! 兄貴、ありがとう!」

 電話を切ると、ハルちゃんに向き直って、頷いてみせる。

「それじゃあ、繋いでみよっか」

「はい」

「よし。じゃあ、さっき言った通りにやってみて」

 ハルちゃんは迷うことなく、俺が教えた通りに操作する。コール音をほとんど鳴らすことなく通話モードになった。

 ほどなく映像が表示されると、ハルちゃんは満面の笑みを浮かべた。

「カナ!」

「ハル~!」

 お互いの顔を食い入るように見つめ合う二人に、妙な感動を覚えた。

「……カナ、大丈夫?」

「ん? 元気だよ」

 うん。俺と話す時の数倍は声も表情も明るく弾んでる。と思うのだけど、ハルちゃんは心配そうに続けた。

「でも、なんかやつれた気がする」

「ああ、こんなの貼ってるから、そう見えるんじゃない?」

 叶太は笑っておでこのジェルシートを指さした。

「でも、……ね、晃太くん、いつもより顔色も悪いよね?」

「そう? こんなもんじゃない?」

 ハルちゃんも叶太同様、心配性?

 いや、そうじゃなくて、もしハルちゃんが38度以上の熱が三日も下がらなかったら、多分、大事なんだろうなと思い至る。

 ハルちゃんにとっては熱が下がらないのは、割と日常茶飯事だろうけど、熱がある状態で元気という経験はないのだろう。まあ、それは俺も同じだけど。

 普通、多少なりともぐったりするよな?

「ビデオカメラ越しだから、いつもと違って見えるんじゃない?」

 そう言って、叶太がハルちゃんにとろけそうな笑顔で笑いかける。

 ああもう!

 自分の身内のこんな顔を見せつけられる俺の気持ちにもなってくれ。

 俺、この場にいる必要ある?

 むしろ邪魔者じゃない?

 なんて思って、そっと部屋を出ようか考えていると、叶太から声がかかった。

「兄貴、いる?」

「ああ、いるよ」

 ハルちゃんの後ろから顔を出して手を振ると、叶太の表情がきゅっと引き締まった。

 うん。こういう顔してたら、結構こいつもいい男だよな。

「ちょうどいいから、明日のこと教えてよ」

「ん?」

「明日の予定。明日は朝も帰りも大丈夫だよね?」

「ああうん」

 俺は大丈夫だけど、叶太、それを今ここで話すのはちょうどいいどころか、ハルちゃんに断られる可能性が出ちゃうんじゃないかな?

 と言葉を濁していると、叶太はそのままいつものモードに突入する。

 ハルちゃんの明日の予定の確認、諸注意事項、間に今日のハルちゃんの様子の確認。

 いつもの十分の一ほども終わらない内に、呆然としていたハルちゃんが正気に戻った。

「カナ!?」

「ん? ハルも何か要望あったら言ってね」

 待て待て、叶太! それはハルちゃん、怒るぞ!?

 お前にとって俺は兄貴で、多少の我が儘を言っても平気な相手だろうけど、万事控えめなハルちゃんが俺に同じ事をするのは無理だろ!?

「あのね、カナ、」

 ハルちゃんが言葉を紡ぐ前に、俺はつい口を挟んでしまった。

「叶太!」

 ハルちゃんが大きな目を驚いたように見開いて、俺を見上げた。

「……晃太くん?」

 カメラの向こうの叶太も不思議そうな顔をしている。

「兄貴?」

 お前は察しろよ?

 と思うけど、元気そうに見えても、こいつは現在進行形で病人だ。多少思考回路がおかしくても仕方ないかと思い至る。

 さて、なんて言おう。

「久しぶりに顔を見た愛しい奥さん放って、俺と話してちゃダメだろ?」

 うん。俺は何を口走ってるんだ。

 だけど、この言葉は意外と叶太を正気に戻し、ハルちゃんは言葉の意味を理解すると、真っ赤になった。

 叶太を我に返らせ、ハルちゃんの気を逸らすのは成功したらしい。

「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」

 後は二人で楽しんでね、と続ける予定だったのに、真っ赤な顔をしたハルちゃんが、

「あ、じゃあカナ、またね」

 と通話終了を告げる。

 そして、ハルちゃんは「え? ハル?」と驚く叶太にバイバイと手を振ると、無情にも通話終了ボタンを押した。

 あーあ。あれはかなりショックを受けてるぞ。

 後から文句言われそうだ。なんて考えてると、椅子から立ち上がったハルちゃんは、俺を見上げて言った。

「晃太くん、えっとね」

 ああ、この先に続く言葉が想像できる。

「うん?」

「朝も話したけど、明日からは送り迎えとか、いいからね?」

 いやでもハルちゃん、俺、さっき叶太に約束させられたところだし。

 と言うのは逆効果だろうな。

「うーん。ハルちゃんは、俺のこと邪魔?」

「え!? まさか!」

「……だよね。よかった、ちょっとホッとした」

 ふうと息を吐きながらハルちゃんの顔を覗き込むと、ハルちゃんは困った顔をしていた。

「ハルちゃん、俺さ、ハルちゃんのこと、本当の妹と同じだと思ってるよ?」

「え? ……あの、ありがとう」

 俺の不意打ちに、ハルちゃんはまた真っ赤になる。色白な分、赤くなるとすごくよく分かる。

「お兄ちゃんって生き物は、妹を甘やかしたくて仕方ないの。分かる?」

「……あの、……はい」

 だよね。

 明仁っていうハルちゃんを溺愛する兄を持つハルちゃんには、否定できないよね?

 思わず、黒い笑みが表に出そうになる。いやダメだろ。これは俺のキャラじゃない。

「可愛い妹を、誰にも邪魔されずに甘やかして可愛がれるのは、俺もすごく嬉しいんだけどな?」

「あの、でも……」

「いつも、叶太が張り付いてるから、俺の出る幕ないでしょう?」

 少しの間の後、ハルちゃんは小さく頷いた。

「だから、ね。一週間くらい、俺にお兄ちゃんライフを楽しませてくれない?」

 そこまで言っても、ハルちゃんはまだ頷けずに困った顔をしていた。

「えっとねハルちゃん。俺は妹だけじゃなくて、弟にも結構甘い自覚があるんだけどね?」

「うん。晃太くん、優しいもんね」

 ハルちゃんはこれにはニコリと笑って同意してくれる。

 うん。分かってくれて嬉しいよ。

 明仁なんかは、ハルちゃんには底抜けに甘くて優しいけど、叶太には厳しいしね。それを実の弟妹にだけには甘いものと取ったかどうかは分からないけど。

「でね、だから俺には、叶太の願いを叶えてやりたいって気持ちもあるんだよ?」

 ハルちゃんにはその視点はなかったらしい。

「……あ、そっか」

「明仁だって、ハルちゃんが心を込めて頼んだら、きっと期待に応えようとするだろ?」

「……うん」

 答えるまでに間があるのは、多分、ハルちゃんがお願いとかおねだりをほとんどしないからだろう。

 だけど、明仁が喜んでやってくれるイメージはちゃんとあるらしい。

 まあ、俺に関しては叶太を喜んで甘やかすと言うより、苦笑いしつつやってやるって感じだけど。でも別にそういうスタンスが嫌じゃないんだから、俺はきっとお兄ちゃん気質なんだよな。

「だから、俺にとっても一石二鳥なんだよ? 叶太は喜ぶし、俺自身も楽しいし」

 そう言って、笑いかけて、ハルちゃんの頭をなでる。

 うん。これも役得だよな。

「じゃあ、また明日の朝、ね?」

「……うん。よろしくお願いします」

 ハルちゃんは納得しているのかしていないのか、微妙な表情ながら、取りあえずOKの返事をくれた。

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