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33 盛りのついた雌の匂いがする

 宗教都市ルルホトは丘の頂上に聳え立つ大聖堂を中心に栄えた都市である。


 聖堂近辺は整備された安全な区画になっているが、そこから離れると、治安は徐々に悪くなっていく。


「あそこ!

 あそこが話していた孤児院ですっ」


 聖堂からは遠く離れた丘の裾野。


 スラム一歩手前の雑多で薄汚れた区画に、俺の生まれ育った孤児院があった。


 古ぼけた石造りの建物である。


「ユウ。

 後ろ向きで走ったら危ない」


「そうよ、ユウくん。

 少し落ち着きなさい。

 ほら、お母さんと手を繋ぎましょう」


「あっ、はい。

 なんだか気が急いてしまって……」


 子どもみたいにはしゃいでしまったことが、急に恥ずかしくなる。


 俺はライラさんと手を繋ぎ、マリエラを連れて、孤児院の扉を開いた。


 ◇


「ただいま!」


 玄関からすぐの広間には、十人ほどの子どもたちがいた。


 ひとりの女の子に世話をされている。


 面倒を見られている孤児たちは、5歳から12歳と年齢も性別もバラバラだ。


 その子どもたちが、俺の姿を認めて目をぱちくりさせている。


 かと思うと、いっせいに飛びついてきた。


「にいちゃん!

 にいちゃんが帰ってきたぞ!」


「お帰りなさいユウお兄!」


 部屋がにわかに騒がしくなる。


 ここは広間といっても、所詮は古ぼけた孤児院の一室だ。


 広さもさほどないものだから、こうして子どもたちが騒ぎ出すと、一気にうるさくなるのである。


「ああ、お前たち!

 ただいま!

 俺が留守にしている間も、いい子にしてたか?」


 子どもたちの頭を一通り撫でていく。


 そうして、まだ飛びついてきていないひとりの女の子に顔を向けた。


 俺に纏わり付いているこの子どもたちを、さっきまでひとりであやしていた、最年長の女の子。


 あれから2年経つから、もう15歳になったのかな。


 金髪碧眼の整った顔をした、その清楚な佇まいの少女と視線が交わる。


 この子の名前はシエル。


 小さな頃からこの孤児院で、俺と一緒に成長してきた、いわば俺の妹みたいな存在なのである。


 子どもたちを撫でながら、彼女に話しかける。


「元気にしてたか?

 2年の間に、少し背が伸びたみたいだな。

 ただいま、シエル」


「……お兄ちゃん」


 シエルが微笑んだ。


 目尻に浮かんだ涙を指でそっと拭ってから、俺のもとに足を踏み出す。


「お帰りなさい……。

 ぐすっ。

 お帰りなさい、ユウお兄ちゃん!」


 シエルが走ってくる。


 きっと胸に飛び込んでくるつもりなのだろう。


 俺は彼女を抱き止めるべく、両腕を広げた。


 だがしかし――


「おっと、そうはさせない。

 っ、お母さん、パス」


 マリエラが駆け出したシエルの足を、すぱんと引っ掛けた。


「きゃ⁉︎」


 転びそうになったシエルを、ライラさんが受け止める。


「あらあら、急に走ったら危ないわよぉ?

 室内では大人しく。

 マナーは守らなきゃね」


 なにをしているんだ、このひとたちは。


 俺は流れるような連携に、呆気に取られた。


「あなたがシエルちゃんね。

 話はユウくんから聞いているわ

 ……ふぅん。

 見た目はまずまずね。

 悔しいけど、容姿は及第点かしら。

 いいでしょう。

 審査を受けるための、最低限の資格をあなたに認めましょう」


「……え、え?

 審査?

 あっ、はい。

 ありがとうござい……ます?

 って、お兄ちゃん。

 こ、このひとたちは……?」


「あぁら、ごめんなさい。

 私はライラ。

 ユウくんのお母さんよ」


「……あたしはマリエラ。

 ユウのお姉ちゃんだ」


「え?

 は、はい?

 お、お母さんに、お姉ちゃん?

 ふぇ?

 でもどう見ても、そんなお年には……」


 ライラさんは20歳。


 マリエラは15歳。


 ふたりとも歳も見た目も、俺の母や姉というには無理がある。


 シエルは彼女たちを交互にみながら戸惑っている。


 無理もなかろう。


 このふたりは凄くいい人には違いないんだけど、ちょっと変なのだ。


 あとでシエルにも、その辺りを説明しておかないと……。


 俺が物思いに耽っている間も、ライラさんの話は続いていた。


「そうそう、シエルちゃん?

 あなた、ご大層にもユウくんの妹を名乗っているそうねぇ。

 でも、あらあらあらぁ?

 おっかしいわねぇ……。

 私、あなたみたいな子は産んだ覚えがないのだけどぉ?

 変ねぇ……」


「あたしも。

 こんな妹、もった覚えはない」


「え?

 ……え?」


「うふふ……。

 よく話が掴めていないのね。

 鈍いところがあるのかしら?

 これはちょっとマイナスポイントよぉ。

 こほん!

 まぁいいでしょう。

 ではこれからゆっくりと、あなたを審査をさせてもらいますからね?」


「あたしの審査は甘くないぞ」


 ふたりがシエルに迫る。


 周囲の子どもたちも、ある種異様な雰囲気に怯えているのか、静まり返っていた。


「お、お兄ちゃん……。

 このひとたち、だ、誰なの?」


 彼女たちに絡まれたシエルが、泣きそうな顔で俺に救いを求めてきた。


「ちょ、ちょっとふたりとも。

 どうしたんですか、一体。

 シエルが怯えています。

 彼女がなにかしたんでしょうか?」


 俺の仲裁には取り合わず、マリエラがシエルに鼻を近づけた。


「……くんくん。

 この女からは盛りのついた雌の匂いがする。

 ユウに近づけておくのは危険」


「ううん、なんでもないのよユウくん。

 私たちは家族として、ユウくんについた悪い虫を、取り払おうとしているだけ。

 だから、安心してね。

 うふふ……」


 ライラさんの微笑みが、いつになく胡散臭い。


 辺りに流れる不穏当な空気に、俺はまったく安心できなかった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 俺たちはしばらく孤児院に泊まることにした。


 部屋は余っているから、俺とライラさんとマリエラには、狭いながら各々に個室があてがわれた。


 以前は30人ほどの孤児たちが暮らしていたこの孤児院も、3年前に院長先生が亡くなってからは新しい孤児を引き受けることが出来なくなり、以来ひとが少なくなっているのである。


「みんなぁー。

 夕ご飯ができましたよー」


 院を取りまとめるのは、シエルの役目だ。


 彼女が中心になって、年長の子どもたちと一緒に家事をしたり、孤児院を切り盛りしている。


「うおー!

 腹ぺこだぁー」


 夕飯に呼ばれた子どもたちが、わらわらと集まってきた。


 食堂がいっせいに騒がしくなる。


「わぁ!

 すごいな今日のご飯!

 魚だ!

 魚があるぞ!」


「なんだ、シエル姉ちゃん。

 奮発したな!

 ユウクス兄ちゃんが帰ってきたからか?」


「うん。

 それもあるけど、お兄ちゃんと一緒にいらしたお客さまが、食材を下さったの。

 こちら、ライラさんとマリエラさん。

 みんな、ちゃんとお礼を言ってね。

 じゃあ頂きます」


「はぁい!

 いただきまぁす」


 賑やかな食事が始まる。


「んー!

 おいっしー」


「お野菜以外のスープなんて、あたち久しぶりよぉ。

 ほっぺ落ちちゃう」


「ありがとうお姉さんたち!」


 今日の料理は長口魚ロングマウスフィッシュの教会焼きらしい。


 身に十字架を連想させるようなバッテンをつけてから、皮をパリパリに焼き上げる、白身魚の料理だ。


「うふふ……。

 いいのよ、お礼なんて。

 これも審査の一環なんだからぁ。

 さて、さて。

 料理のお味のほうはどうかしら?」


「まずあたしが確かめてやる。

 ……はぐはぐ。

 ……うま!

 うまい!

 はぐはぐ」


 マリエラが意気込んで料理に手をつけたと思ったら、そのままガツガツと食べ始めた。


 旅の途中でも思ったことだが、マリエラはよく食べる。


 小さな体に似合わぬほどの健啖家なのである。


「ふぅ……。

 よかった。

 マリエラさんには、気に入ってもらえたみたいですね」


「……ぐぬぬ。

 悔しいけど、うまい。

 はぐはぐ」


「さぁライラさんもどうぞ。

 暖かいうちに召し上がって下さい」


「うふふ。

 マリちゃんをこうもあっさり餌付けするとは……。

 あなた、なかなかやるようね。

 といってもマリちゃんは所詮、しつけのできていない野良猫。

 だけど、この私はひとあじ違うわよ?

 ……それでは、いざ。

 いただきます!」


 ライラさんも、料理に手をつけた。


 器用に箸を操り、魚の身をほぐしては口に運ぶ。


 もぐもぐと咀嚼して、ごくんと飲み込んだ。


「……。

 ……あら?

 ……あらあらあら?

 おいし……。

 くっ。

 …………ま、まぁまぁね。

 い、いいでしょう。

 料理は及第点をあげましょう。

 でも今のところはまだ、容姿と料理だけ。

 これからも審査は続けますからね!」


 負け惜しみの言葉を吐いてから、ライラさんも美味しそうにご飯を食べ始めた。


「はい。

 なんの審査かよくわかりませんけど、よろしくお願いします」


 シエルは微笑みながら、ぺこりと頭を下げる。


 なんだか楽しそうだ。


 やっぱり俺が留守にしている間、こいつには寂しい想いをさせてしまったのかもしれない。


「じゃあ、俺も頂きます。

 んぐんぐ」


 よく効いた塩の味が、口いっぱいに広がる。


 ライラさんの料理ももちろん美味しいのだが、シエルの料理にも甲乙つけがたい魅力がある。


 なんというか、質素ながらも工夫が凝らされているのだ。


「あぁ……。

 久しぶりのシエルのご飯はうまいな」


 パリッと焼かれた魚のジューシーな白身を、夢中で頬張る。


「そんなにがっついて食べたら、喉を詰まらせるよ?

 はい、お水。

 ……?

 あ、お兄ちゃん」


「ん?

 どうした?」


「ふふ。

 ほっぺにご飯ついてるよ。

 お兄ちゃんってば、昔から変わらないんだから。

 ほら、こっち向いて。

 そっちじゃないよ、反対。

 ん、しょ。

 ……はい。

 取れました」


「あ、ああ。

 ありがとう」


 なんだかシエルとこういうのも久しぶりだ。


 ちょっと照れくさく感じてしまう。


 見れば、ライラさんとマリエラの箸が止まっていた。


「ぐぬぬ……。

 ユウ……」


「ああ……。

 お母さんのユウくんが……」


「お兄ちゃん、お代わりあるよ。

 よそってあげるね。

 ……はい。

 たぁんと、召し上がれ」


「あ、ああ。

 悪いな」


「ふふ。

 いいんだよ。

 お兄ちゃんのお世話するの、わたし楽しんでるんだから」


 俺は照れ隠しに頬をぽりぽりと指でかいてから、食事を続けた。

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↓アルファポリスに投稿してみました。
よろしければクリックだけでもよろしくお願いいたします。
cont_access.php?citi_cont_id=985265293&si

三分で読める短編です。
三十代後半からの独身読者さんの心を抉る!
転生前夜。孤独死。

他にもこんなのも書いてます。
どれも文庫本1冊くらいの完結作品です。

心が温まるラブコメ。
読後、きっと幸せな気持ちになれます(*´ω`*)
猫の恩返し ―めちゃめちゃ可愛い女子転入生に、何故か転入初日の朝の教室で、皆の前で告白された根暗な僕―

お手軽転移ファンタジー。
軽く読めてなかなか楽しい。
異世界で伝説の白竜になった。気の強い金髪女騎士を拾ったので、世話をしながら魔物の森でスローライフを楽しむ。

ちょいとシリアスなのも。
狂った勇者の復讐劇。
復讐の魔王と、神剣の奴隷勇者
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