17 お引越しならカニさんマーク
黄金色の派手な甲冑を着た騎士が、騎士寄宿舎の廊下を歩いている。
短く髪を刈り上げた厳めしい男である。
男は肩を怒らせながら、ドシドシと足音を立てて歩いている。
その様子から、彼の憤りが見て取れた。
「まったく納得がいかん!
勇者とはいえ、ライラは大臣殺しの下手人だぞ!
斯様な犯罪者を丁重に迎えにあがれとは、どういう了見だ。
しかもそのような下らぬ使者の任を、この俺に命ずるとは……。
俺を誰だと思っている!
近衛騎士団が副団長、『大震』パーナーだぞ!」
近衛騎士の煌びやかな鎧に身を包みながらも、無骨なこの男。
その名をパトリック・パーナーという。
イスコンティ王国、近衛騎士団ナンバー2の肩書きを持つ偉丈夫である。
「ええい!
勇者ごときに怯えるとは王も情けない!
穏便になど申さず、一切を俺に任せていれば、ライラなど力づくで引っ立ててやるものを。
それを極力ことを荒立てるな、だとぉ?
ふざけるな!
陛下はいったいなにを考えておられる!
もしや耄碌されたか!」
「ふ、副団長!
そのような不敬を申してはなりません!
いくらここが騎士寄宿舎といえ、どこに聞き耳を立てている輩がいるかもわかりません」
「うるさい!
わかっておるわ!
そのようなことぐらい!」
パーナーが鼻息を荒くした。
短気な彼の額には、いく筋もの青筋が立っている。
「……ちっ。
この俺を使い走りにするとは気に食わんが、たしかに王の命令に背くわけにもいかん。
だが、見ておれよライラ。
せめてひと泡吹かせてくれる。
……おい、お前!」
「は、はい!」
「近衛騎士どもに伝えろ。
これより重犯罪者ライラを捕らえに……、こほん、迎えにいく、と。
犯罪者が抵抗すれば、戦闘に発展することもあり得る!
王都警備隊も随行させるのだ。
騎士各位、装備は怠るな、と言っておけ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ユウクスの寝室に、朝の陽の光が射し込んでいる。
「……ユウくん。
ユウくん。
ほら、起きて。
もう朝よ」
「んん……。
あとちょっとぉ。
もう少しだけ、寝かせて……。
……すぅ……」
「んもぅっ。
ユウくんってば、お寝坊さんなんだから。
仕方ないわねぇ。
もう少しだけよ?
……うふふ。
可愛い寝顔ねぇ。
不思議。
いくら眺めていても、まったく飽きないわぁ」
微笑みを浮かべたライラが、ユウクスの頬を白い指先でツンツンと突く。
「……可愛い。
……。
…………ふぁ。
なんだか、お母さんも眠たくなってきちゃった。
ちょぉっと失礼しますよぉ。
よいしょっと」
ベッドに潜り込む。
そのまま彼女は、ユウクスの背中に吸いつくように、ピタッと貼り付いた。
「……あふ。
じゃあ、一緒におねんねしましょうねぇ。
ユウくん。
おやすみなさい」
ライラはユウクスの寝息に耳を傾けながら、朝の微睡みへと落ちていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目覚めると背中が暖かかった。
起き抜けのぼーっとする頭で考える。
なんだろうこれは。
「んっせ、と……。
んんん?
なにかが背中に貼り付いていて、離れない。
しかもあれあれ?
体が拘束されて動かないぞ?
くっ……。
いったい、なにがどうなって……?」
もぞもぞしようとしても、まったく体が動かない。
万力のような強い力で、拘束されているみたいだ。
「あっ。
もしかして、ライラさん?」
やはりそうだ。
――。
――。
――。
どうやら俺は彼女に、背後から抱きすくめられているらしかった。
「ライラさん。
ライラさん、起きてください」
「……ん。
おはよ、ユウくん」
「おはようございます。
一体いつベッドに潜り込んできたんですか?
そんな眠そうな顔をして。
ふふふ。
ライラさんは寝坊助ですね」
「ふぁぁ……。
もうっ、寝坊助さんはユウくんなのよ?
お母さんが起こしても、起きなかったんだから」
「ええー?
そんなことないですよ。
いまライラさんを起こしたのは、俺のほうじゃないですか」
「違うのよぉ。
だから、それはいまの話でしょお?
さっきまでは、ユウくんが寝ててぇ……」
ベッドのなかでライラさんと戯れ合う。
至福のひとときだ。
拘束を解かれた俺は、ライラさんの胸に抱かれなおした。
――。
――、ライラさんが大きく伸びをした。
――。
「さぁ、ユウくん。
そろそろ起きましょうか。
今日は新しい討伐クエストを受けるんでしょう。
たしか、牙狼だったかしら」
「あ、そうでした。
起きて準備をしなきゃですね。
……って、ライラさん。
離してください。
起きられません」
「んー。
やっぱりだぁめ。
あともう少しだけぇ」
「も、もう。
ライラさんは仕方のないひとですね」
再び布団にくるまって、戯れあいを続ける。
そのとき――
「大臣殺しの下手人ライラに告げる!
我は王国近衛騎士団副団長、大震のパーナーである!
王が貴様への査問を御所望だ。
観念してお縄につけ!
おとなしく投降するならよし。
抵抗するというなら無理にでも引っ立てるゆえ、覚悟せよ!」
俺たちの甘い空気を、屋敷の外から聞こえてきた大声が吹き飛ばした。
無粋な騒音だ。
俺はライラさんに甘える幸福を邪魔されて、少しむっとした。
それと同時に疑問に思う。
大臣殺しの下手人って、なんの話なんだろう。
そもそも誰が訪ねてきたんだ?
「ライラさん。
屋敷の外で誰かが喚いてますけど、お知り合いですか?
近衛騎士とか言ってますけど」
「いいえ?
まったく心当たりがないわ。
それよりユウくん。
こっち向いて?
……――」
「あっ。
もう、ライラさんってば」
「ユウくん、――。
うふふ。
――。
お母さん、――……」
ライラさんの瞳が潤んでいく。
外では変わらず、誰かが騒がしくしていた。
「ライラよ!
返答は如何に。
だんまりを決め込むつもりか!
だがそうはいかんぞ。
弓兵、前へ。
火矢を放て!」
「し、しかしパーナー副団長!
それではライラの屋敷が火事に。
穏便に迎えよとの御達しでは?」
「構わん!
責任はすべて犯罪者ライラにある。
放て!
命令を聞かんやつは、厳罰に処すぞ!」
「は、ははぁっ」
すごく物騒な話をしている。
火矢が放たれたようだ。
ライラさんの屋敷の一部に、火の手があがる。
至福のときから現実に引き戻された俺は、毛布を跳ね除け、ベッドから飛び起きた。
「ちょ⁉︎
ライラさん!
だ、誰かが屋敷に火をつけましたよ⁉︎
いったいなにが……。
とにかく早く、火を消さないと!」
「……ちょっと外が騒がしいわねぇ。
ユウくんとの微睡みの時間を邪魔するなんて、なんという鬼畜じみた所業。
許せないわ。
あ、ユウくん。
そんな顔しなくても大丈夫よ?
さぁ、顔を洗っていらっしゃい。
お母さん、ちょっと用事を片付けたら、すぐに朝ご飯の準備をしますからね」
「そんな悠長な……」
「だぁいじょうぶ。
あ、ユウくん。
そこの上着を取ってくれるかしら?
お母さんちょっと、おいたする悪い子をお仕置きしてくるから」
パジャマの上に服を1枚羽織ったライラさんが、ヒラリと窓から屋敷の前庭に降り立った。
外から怒鳴り声が聞こえてくる。
「ようやく現れたかライラ!
観念せよ。
……⁉︎
な、なんだその顔は!
そのような恐ろしげな顔をしても、我ら精強なる騎士団は怯えはせんぞ!
反抗的なその態度を改めさせてくれよう。
くらえ!
属性技『大地振動』!」
屋敷がぐらぐらと揺れだした。
「うわっ。
なんだ⁉︎」
だがすぐに振動はピタリと止まった。
同時に屋敷の外が喧騒から一転して、静けさに包まれた。
窓に駆け寄って外の様子を伺おうとするのと同時に、ライラさんが庭から窓へと跳躍して、部屋に戻ってきた。
「ただいま、ユウくん。
まだ洗面所に行ってなかったのね。
じゃあ、お母さんと一緒に行きましょうか」
「えっと……。
いまの騒動はいったい?
外は一体どうなって……」
「いいから、いいから。
ユウくんは気にしなくていいのよ。
さ、ついてらっしゃい」
首を傾げつつも、彼女に促されるまま、寝室から廊下へと出た。
ライラさんが、ぶつぶつと呟く。
「……うーん。
大臣をやっちゃったのは不味かったかしら?
ううん。
あの豚にはお似合いの報いよね。
でもこれから騒がしくなりそう。
そろそろ王国にいるのも潮時かもしれないわね。
どこか別の国に引っ越そうかしら。
オット・フット都市連合国あたりがいいかも……」
「うん?
なにか言いましたか、ライラさん?」
「なんでもないのよ。
それよりユウくん、朝ご飯はなにが食べたい?
お母さん、なんでもリクエスト聞いちゃうわよぉ」
俺たちはふたり仲良く並んで、朝の準備へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
東の大国、オット・フット都市連合国。
その中心都市のひとつ、傭兵都市グロウラインの闘技場では、今日もまた見世物試合が行われていた。
ジャイアント・トロールが血の海に沈んでいる。
その無残な死体を前に、まだあどけなさを残すひとりの少女が佇んでいた。
白髪褐色の猫獣人。
闘技場史上、最恐の呼び声高き獣の王。
雷猫マリエラ、そのひとである。
「すげぇ! やっぱ獣王マリエラは最強だ!」
「あの不死身のタフネスを誇るジャイアント・トロールを一撃かよ⁉︎」
「まともな戦いにもなりゃしねえ!」
闘技場を囲む立体観覧席で、観客たちが熱狂する。
だがそれとは対照的に、マリエラの表情は冷めたものだった。
「……悠。
悠に会いたい」
彼女はまた、退屈そうに空を見上げる。
けれども今日の彼女は、すこしいつもと違った。
わずかではあるが、頬が綻んでいる。
「……どうしてだろう。
予感がする。
もうすぐあたしは、また悠に会える……」
なにが彼女にそう思わせたのかはわからない。
だがまるで確証でもあるかのように、マリエラは小声でユウクスの前世の名前を呼び続けた。