13 痛いの痛いの飛んでいけ
氷帝ライラが、腰に佩いた剣を引き抜いた。
氷剣ミストルティンだ。
青みがかった神秘的なその宝剣は、低温結露による蒸気をうっすらと剣身にまとわりつかせている。
「さぁ、あなたたち。
覚悟はいいかしら?」
「くそっ!
こ、こうなっては仕方あるまい。
奥の手を使う!
一回こっきりのレアな消費アイテムだが、背に腹は変えられまい」
黒ずくめの一団のリーダーらしき男が、懐に手を伸ばした。
忍ばせておいたアイテムを握る。
「……なにをするつもり?
ひとつ忠告しておいてあげる。
下手な小細工で、私をこれ以上怒らせないほうがいいわよ?」
「ぬかせ!
これを見ても、まだそんな大口が叩けるか!
出でよ!
豪炎を司りし炎の化身!
精霊召喚・イフリート!」
男が懐から取り出した水晶球を叩き割った。
天に達するほどの業火が立ち昇る。
炎のなかから現れたのは、最上位精霊イフリート。
爆炎の支配者であった。
「どうだ!
これこそが、キャンタン大臣より賜りし奥の手!
最上位精霊は、Sランク魔獣数匹分に匹敵する強さを誇る。
最高峰の冒険者たちが、パーティーで当たるべき相手だ。
いかなライラとて、ひとりでは敵うまい!」
人型の巨躯に炎を纏ったイフリート。
その威厳あふれる姿に、黒ずくめの男たちが希望を見出した。
感嘆の声が漏れ聞こえてくる。
「なんと凄まじい炎だ……!」
「最上位精霊イフリート……。
よもや、これほどとは……」
「これならば、ライラの氷とて相手にならぬ!」
「イフリートよ!
まずは、我らの脚を地に縫い止める氷を溶かしてくれ!
このままでは凍傷になってしまう」
頷いたイフリートが、男たちに手をかざした。
「おお!
溶ける!
氷帝ライラの氷が溶けていくぞ!」
「ははは!
すごい!
これならライラとて敵にあらず!」
男たちは喜色満面だ。
その様子を見て、ライラはこれ見よがしにため息を吐いた。
「……はぁ。
なにかと思えばイフリートねぇ。
それよりそこのあなた。
さっき、『キャンタン大臣より賜りし』って言ったわね?
黒幕はあの大臣ってわけかしら?」
問い掛けられた男は、ばつが悪そうに顔をしかめた。
不用意に情報を漏らした自らの失態に気付き、小さく舌打ちをする。
「……ふん。
まぁ知られたとて構わぬわ。
イフリートを召喚した以上は、もはや貴様の勝利は絶望的。
背後関係を暴かれたところで、今更意味はない。
貴様もそこの小僧も、両方とも縛り上げて、大臣の前に引きずり出してくれる!
さぁ、やれい、イフリート!
氷帝ライラを打ちのめせ!」
「……グルオオオオッ‼︎」
イフリートが吠える。
ライラの足下から極太の火柱が立ち昇った。
轟々と激しく燃え盛る炎が、天を貫いていく。
「素晴らしい!
なんという威力だ!
炎の余波がこちらまで及んでくるぞ!
さぁライラよ。
降伏するがいい。
はやくしないと消し炭になってしまうぞ!
ははははは!」
火柱のなかで、ライラがゆっくりと剣を掲げた。
「……属性技『遍く一切を死へと誘う氷柱』」
現れた死の氷柱が、イフリートの火柱とせめぎ合う。
混じり合う朱と碧。
やがて氷柱は火柱の勢いを上回り、その一切を凍りつかせた。
「な、なにぃ⁉︎
なんだその技は!
イフリートの炎を凍らせただとぉ⁉︎」
「この属性技は、下級下位から上級上位のどれにも属さない、私の特級よ。
その威力は伝説の超級にすら迫る。
さぁ、覚悟なさい」
「な、なんだ⁉︎
氷柱が動いて……、襲ってくる⁉︎
イ、イフリート!
なにをしている!
はやくあの死のつららを溶かすのだ!」
「グォオオオオオオッ‼︎」
イフリートが業火を撒き散らす。
だがすべてを燃やし尽くす勢いのその爆炎も、氷帝ライラが生み出した氷柱を溶かすことは叶わない。
「……無駄よ」
氷柱がイフリートに接触した。
「ガアアアアアアッ⁉︎」
イフリートが凍り付いていく。
目の前で起きた信じられない現象に、黒ずくめの男たちが腰を抜かした。
「こ、こんな馬鹿な……⁉︎
こんなことがあってたまるか!
イフリートだぞ⁈
あの最上位精霊。
爆炎の支配者たるイフリートだぞ!
……なんだこれは。
……な、なぜ凍っていく⁉︎
ありえない、ありえない、ありえない、ありえない!
イフリートが凍るなどあり得ない!
そんなことあってはいけない!」
「あり得ない?
うふふ。
現に目の前で凍っているじゃない。
さぁ、次はあなたたちよ。
氷柱よ。
……いきなさい」
「や、やめっ⁉︎
やめてくれ!
助け……っ!」
腰を抜かした男たちが、這いずって逃げようとする。
その背後に無慈悲な死のつららが襲い掛かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目が覚めると、屋敷のベッドに寝かされていた。
「よかった………。
起きたのね、ユウくん。
大丈夫?
どこか、痛いところはない?
上級ポーションで傷は癒したつもりなんだけど」
「痛ぅ……⁉︎」
「ど、どうしたのユウくん⁉︎
まだ痛むのね⁉︎」
「だ、大丈夫です。
ちょっと唇の端が切れているだけですから……」
「あぁ……。
ごめんね、ユウくん。
まだ傷が残っていたのね」
涙目になったライラさんが、顔を近づけてきた。
「ぐすっ。
お母さん、またユウくんを危ない目に合わせちゃって……。
――」
ライラさんが――。
「……ん。
……――」
かと思うと、――。
「ラ、ライラさん⁉︎
なにをしてるんですか⁉︎」
――
――
「なにっへ……。
……――。
ユウふんの怪我を、治ひへるのよ?」
「そ、そんな⁉︎
――……!」
「こぉら。
じっろしなさい。
……――」
「――」
「ん……。
――……。
ほら、もう大丈夫よ?
あとは……」
ライラさんが俺の頬を優しく撫でる。
ひんやりとして気持ちがいい。
「痛いの痛いの、飛んでいけー」
何度も繰り返し、ライラさんが俺を撫でる。
白い指先で頬をつつき、――。
「痛いの痛いの、飛んでいけー。
……どう、ユウくん?
まだ痛いかしら?」
なんだか、頭がぽーっとしてきた。
ライラさんはまるで麻薬だ。
俺の知能指数が下がっていく気がする。
痛みはもうないのだけど、もっと彼女に構ってもらいたい。
「……まだ、痛いです」
蕩けた顔でライラさんを見上げた。
「ああ……。
可哀想なユウくん。
……ん。
……――。
痛いの痛いの、飛んでいけー」
俺はしばらくの間、母に甘える幼な子のようにライラさんとのスキンシップを楽しんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ユウクスがベッドで寝息を立てている。
その傍らには、優しい微笑みを讃えたライラがいる。
彼女はユウクスの寝顔をひとしきり眺め、柔らかな髪を撫でつけてから立ち上がった。
「……さて、行こうかしら」
母性に溢れていたライラの表情が、冷徹な氷帝のそれに変わっていく。
すっかり変貌した彼女が、小さく呟いた。
「キャンタン大臣。
……ユウくんを狙ったツケは、払ってもらうわよ」