11 再び忍び寄る影
「ユウくん。
今日はまた、討伐クエストを受けるつもりなんでしょう?
じゃあ朝ご飯はたくさん食べなきゃね。
トーストにお母さん特製の、雪イチゴのジャムをたぁっぷり塗ってぇ……。
はい、あーん」
「いえ、自分で食べられますから」
ライラさんがシュンとした。
「って、そんな顔をしないでくださいよ」
「だってぇ……」
「も、もう……。
仕方がないひとですね、ライラさんは。
あ、あーん」
笑顔に戻ったライラさんが、トーストを差し出してくる。
「うふふ。
ユウくんってば、優しいっ」
トーストをかじる。
たっぷり塗られたジャムの酸味と甘みが、口の中に広がっていく。
「んぐ、んぐ。
おいひいですね、これ」
「良かったわぁ。
はい、これもどうぞ。
火山玉ねぎのスープ。
熱いから気をつけてね。
あ、そうだ。
お母さん、ふーふーして粗熱をとってあげようかしら。
ふぅぅ、ふぅぅ……」
いつもと変わらぬ俺とライラさんの朝食風景。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくる彼女に最初は戸惑ったけれども、最近は少し慣れてきた。
なんと言うかライラさんには、甘えたくなる。
順応性って恐ろしいなと思いながらも、俺はつい、この幸せを享受してしまっていた。
「ご馳走さまでした。
今日も美味しかったです」
「はい、お粗末さま。
じゃあお母さん洗い物しちゃうから、ユウくんは出かける準備をしておいて」
「いや、自分のぶんくらい自分で洗いますよ」
「だぁめ。
これはお母さんのお仕事なんだから、ユウくんは気にしなくていいのよ?
うふふ。
でもありがとう。
ユウくんは、お母さん想いな優しい子ね」
ライラさんが抱きついてくる。
いつものスキンシップだ。
彼女の大きな胸に顔を埋めながら、目を閉じた。
柔らかくて気持ちがいい。
ライラさんのおっぱいには、俺の心を凪いだ海のように穏やかにさせる効果があるのだ。
「あん♡
こぉら、動いちゃだめ。
じっとしてなさい」
朝のスキンシップを一通り楽しんでから、俺たちは揃って屋敷を出た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
腕を組んで冒険者ギルドへ向かう。
「ライラさん。
ゴブリン討伐にはもう慣れましたし、今日からは別のクエストを受けようと思うんです」
「そう?
魔物は危険よ?
お母さんはまだゴブリンでもいいと思うなぁ」
「はい、危ないのはわかっているのですが、なにせ装備が装備ですし……」
俺は自分の体を見下ろした。
昨日、ライラさんに買って貰った装備を、身につけている。
星降りの剣。
白龍の鎧。
氷冠のタリスマン。
どれも国宝級の装備だ。
Aランク冒険者どころか、Sランク冒険者並みの装備である。
さすがにこんなのを使って、ゴブリン狩りなんてできない。
それじゃあ、いい笑い者だ。
「うーん。
じゃあ、ランクE常時クエストのコボルト討伐とか?」
「いえ、それだとゴブリンとあまり変わりません。
もっと別のやつがいいです」
「薬草採取とか……」
「それならひとりでもできますし、採取クエストよりも討伐クエストが受けたいです」
「ならランクF魔獣、角兎とかは……」
「それだとゴブリンより弱くなってます。
もっと強いのと戦いたいです」
「そ、そう?
うーん、難しいわねぇ」
会話をしながら歩いていると、少し先の路地に人影が見えた。
建物の影に身を隠しながら、こちらを伺っている。
「……ライラさん」
「しっ。
ユウくんも気付いた?」
「ええ。
どうしましょう。
道を変えましょうか?」
「いえ、この気配には覚えがあるわ。
このまま進みましょう」
何気ない顔をして歩く。
何者かが隠れた路地を通り過ぎると、人影が背後から襲い掛かってきた。
「うおおお!
死ねえ、ユウクス!
属性技『火炎斬』!」
「お、お前はジーク!
や、やめろ!」
「ユウくんになにするの!
属性技『氷華の盾』!」
複数枚の氷の花弁が、虚空に咲いた。
盾と化した花びらは、ジークの繰り出した炎の斬撃をやすやすと受け止める。
「ちぃ!
失敗した。
ライラめ!
いくら同等級内では下位とはいえ、上級の属性技をそんな簡単に繰り出しやがって!」
「やっぱりリーダーだったのね!
性懲りもなくユウくんを狙ってくるなんて……。
もう許さないわ!」
「く、くそ!
出直しだ!」
「待ちなさい!
逃がさないわよ、リーダー!」
ライラさんが俺を振り返った。
「ユウくん。
お母さん、ちょっと用事ができちゃった。
あの愚か者に、今度こそお灸を据えなきゃ。
というわけでごめんね。
今日のクエストはお休みにしましょう。
ユウくんはお家で、お留守番をお願いね」
ライラさんが逃げていくジークを目で追った。
その姿はもう、豆粒のように小さくなっている。
「あれに追いつくつもりですか?
もう無理ですよ」
「あら、そんなことないわ。
お母さんこう見えても、すっごく足が速いんだから。
じゃあ行ってきます。
ユウくんは寄り道せずに、ちゃんとお家に帰るのよ」
ライラさんが駆け出した。
もの凄い速さだ。
彼女の背中は、あっという間に見えなくなった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「待ちなさいリーダー!」
「なんてやつだ⁉︎
もう追いついてきやがった」
王都の外れ。
人気のない広場で、ライラはジークに追いついた。
「属性技『氷刃』!」
ライラの飛ばした氷の斬撃が、ジークの脚を掠める。
「ぐぁあ⁉︎」
走ったままのジークが、体勢を崩して転んだ。
ガラガラと音を立てて、広場の端に置いてあった木箱に頭から突っ込んでいく。
「ち、ちくしょう!
脚が凍って……」
「鬼ごっこはもうおしまいね。
さぁ、リーダー。
覚悟はいいかしら?」
ライラが酷薄な笑みを浮かべた。
そこには、いつもユウクスに見せている朗らかさは一切ない。
虫けらでも見下ろすかのように、目を細めている。
冷たい風が吹き荒ぶ。
あたりが冷え込み、広場が薄氷に包まれた。
付近の景色から切り離されたかのような、氷の世界が出来上がっていく。
「ひ、ひぃ……⁉︎
やめろ!
そんな目で俺をみるな!
くそっ、くそくそくそ!
どうしてこう、ままならねぇんだ!
俺はお前をパーティーに連れ戻したいだけなのに!
なぁ、ライラ!
頼むよ!
戻ってきてくれ!
いまならまだ、俺からキャンタン大臣に取りなしてやるから!」
ライラは彼の話など、まったく聞いていなかった。
慈愛のかけらもない表情で、倒れたジークを見下ろしている。
「……ラ、ライラ?
どうしたんだ?
なんとか言ってくれ」
「……リーダー。
あなた……。
監視されているわね」
「監視?
ど、どういうことだよ⁉︎」
「ふっ!」
ライラが愛用の氷剣、ミストルティンを一閃した。
一匹の蟲が真っ二つになる。
「……これは……。
どうしてリーダーに監視が?」
酷薄な勇者の顔をしたまま、ライラが考え込む。
彼女が、はっと息を呑んだ。
「ま、まさかこっちは囮……⁉︎
狙いはユウくんから私を引き離すこと⁉︎
し、しまったわ!」
「おい!
わかるように話せ!
どうなってんだよ!」
「愚物は黙ってなさい!
はぁ!」
ライラがジークを叩き斬った。
「ぐはぁああ!」
斬られた傷が凍りつき、霜が降りていく。
ジークの身体が急速に体温を失い始めた。
「さ、寒い……。
このままだと死んじまう……。
ライラ。
助けてくれ」
「……まったく、救いようがないわ。
最後まで、愚かな男ね。
それより、ユウくんが……!」
ライラが慌てて来た道を戻っていく。
消えていく彼女の後ろ姿に手を伸ばしながら、ジークは冷たい骸と化していった。