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異国の空に想う  作者: 細井雪
故郷編
8/14

紅葉見(2)





 少し歩くと、木々に囲まれた庭園にたどり着いた。

 ちょうど紅葉が見ごろで、園内は鮮やかに彩られている。

 人の移りも早い花街だけど、そこは昔と変わらないままで懐かしかった。


「素晴らしい庭だな」


 庭園を見た彼は、感嘆した様子で呟いた。

 異国人はこの国らしいものが好きだ。

 けれど、その割にはこの国にないものを持ち込みたがる。

 そのあたりは私には理解できなかった。


「奥はどうなっているんだ?」

「池があります」

「池もあるのか」


 池を見たがっている声音に、その方向へと足を進めた。

 庭園内には他に人はいないようで、周囲を気にせずに眺めることができた。

 私もこんな風にゆっくりと景色を見るのは久しぶりだった。

 花街に住んでいた頃は、母が働いていたお店の人達と紅葉狩りに来たりもした。

 そんなことを思い出していると、彼がなんだか真剣な表情で気まずそうに声をかけてきた。


「……何でここにいたんだ? その……何か困っているのか……?」


 その言葉の意味をしばらく考えて、彼が勘違いをしていることに気づいた。

 理由は私が花街の中にいたからだろう。

 おそらく、お金に困って花街にいたと間違えているのだ。


「亡くなった母がここで働いていたので、お世話になった方々に挨拶に来ていたのです」


 そう答えると、彼は薄水色の瞳を瞬かせて表情を少し崩した。


「そうだったのか。他に、家族はいないのか?」

「幼い頃に父が死んだ後、母が身を売って私を育ててくれましたけど、その母も病で死んでしまい今は一人です」


 母が春売りをしていたことを隠したくはない。

 隠してしまえば、母を否定している気がするから。

 そのことでひどいことを言う人もいたけれど、懸命に育ててくれた母を私は誇りに思っている。


 でも、この方にそこまで説明する必要はなかったかもしれない。

 私の身の上まで聞きたかったわけではないだろうに。

 喋りすぎてしまったことを後悔していたときだった。


「大事に育てられたんだな」


 その言葉に、思わず顔を上げて彼を見つめた。

 表情は決して口先だけの労わりや、ましてや母を蔑視しているものではなかった。


「どうして、そう思うのですか……?」

「サエがそんな風に誇らしげに話すから、きっと良い家族だったんだろうと思ったんだ」


 思ってもいなかったその言葉に、胸の奥がつかまれたように苦しくなった。

 家族のことをそんな風に言ってくれた人は初めてだった。

 違う。

 誰かに家族のことを話したことさえなかった。

 花街の女将さんたちでなければ、もう誰も母のことを知らない。

 父の記憶は私でさえほとんど思い出せない。

 だから思い出の中にしまってきた。

 でも大切な思い出だった。

 そんな大切な存在を、良い家族だったと、そんな風に言ってもらえたことが嬉しかった。

 胸の奥から感情が込み上げてきそうになる。

 上を向いてその気持ちをどうにか静めた。


「……こちらです」

「美しいな」


 木々の間を抜けて池へとたどり着くと、彼の視線がそちらへと向いてくれて助かった。

 池には赤い橋も架かり紅葉の色と相まって、その言葉の通り美しい光景だった。


「サエ。段差がある」


 池にかかる橋の手前で彼が振り返った。

 また手が差し出される。

 橋の段差はわずかで、手を借りるほどではない。


「誰もいない」


 確かに人前ではと言ったけれど、人がいなければ良いという意味ではなかった。

 彼の言葉通り、庭園内には他に人の気配はない。

 でも、いつ誰が来るともしれなかった。


 きっと、異国人にとっては何ともない行為の一つなのだろう。

 異国人男性は女性に親切だから。

 彼も女性になら誰にでもそうしているだけなのだ。

 きっとそうに違いない。

 決して特別な意味などありはしない。


 そう思いながらも。

 気づけば、私はその手に自分の手を伸ばしていた。

 温もりが伝わってはっとしたけれど、次の瞬間にはすくわれるようにして手を握られてしまった。

 自分のしたことに慌てたけれどもう遅く、握られたまま手を引かれて進む。

 ほんのわずかな段差なのに、なぜか足が動かしづらくてつまずきそうになってしまった。

 私の遅い歩調に合わせるかのように、彼はゆっくりと歩いてくれた。


「良い眺めだな」

「はい……」


 風がないので、池の水面にも紅葉が鮮やかに映っていた。

 けれど、私にはそれを眺める余裕もなかった。

 橋の真ん中まで来ても、なぜか手を握られたままだった。

 段差はもうないし、手を離しても良いはず。


「あの……、そろそろ手を離してください」

「嫌なのか?」

「い、嫌とかそういうことではなくて……、この国ではこういったことはあまり……」


 話が通じている気がしない。

 どうして説明する私が恥ずかしくならないといけないのだろう。

 これが文化の違いというものなのだろうか。


「嫌ではないんだよな?」


 彼の声が耳の奥に響く。

 その言葉が頭の中を巡った。

 嫌。

 言葉の意味がよく分からない。

 握られた手の温もりが気になって、たったそれだけのことをうまく考えきれなかった。


「……なぁ、名前を呼んでくれないか?」


 彼の言葉に、思わず目を瞬かせた。

 なぜ急にそんな話になったのだろう。


「アーネストのことは呼んでいただろう」

「ウィリアムズ様ですか?」

「ああ。俺のことも名前で呼んでくれないか?」


 そう言われて考えた。

 この方を名前で呼んだことはなかったのだろうか。

 意識したことがないので思い出せなかった。

 もちろん名前を知らないわけではない。


「……ラングフォード様……?」

「ファーストネームで」


 苗字でなく名前。

 そう言われて、彼の名前を口にした。


「ギルバート様……」


 異国の名前。

 それを口にした瞬間、握られた手に力がこめられた。

 その力強さに驚いて息が止まりそうになった。

 決して振りほどけないほどの強さではない。

 けれど、指先を包み込まれるように握りしめられて、手だけでなくて全身が身動きできなくなった。


 触れた指先が、まるで火が付いたように熱いと、そう思った――。





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