紅葉見(1)
季節が移り変わり木々が赤や黄に染まる頃、久しぶりの休日に懐かしい場所へ向かうことにした。
亡き母が働いていた花街。
お世話になった女将さんの元へ挨拶に伺う。
私が子供のころから知っているので温かく迎えてくれた。
多分、今の私にとって一番家族に近い。
近況などを伝えながら、昔話なども交わす。
夜の支度があるのであまり長居はできなかったけれど、久しぶりにたくさん喋って楽しかった。
また来ますと言って、懐かしい店を後にした。
昼間の花街は静かだ。
夜の賑わいがまるで幻想のように思える。
広い通りはすれ違う人もあまりいなかった。
「――お嬢さん」
突然、背後から異国の言葉で声をかけられて驚いた。
異国人の居留地以外で異国語を聞くことはめったにない。
「ウィリアムズ様」
振り返ると、茶色い髪と瞳の異国の容姿をした方がいた。
確か主の取引相手の一人で、アーネスト・ウィリアムズ様という名前だ。
異国の貿易商人の中では一番落ち着いていて話のしやすい方だった。
異国人は居留地を出るときには用心棒を連れているけれど、周囲に人影はなく一人のようだった。
けれど一人でも、異国人の風貌はとても目立った。
花街に用事だろうか。
その意味を知らないわけではない。
「あぁ。いや、仕事だよ。国から使者が来ていてね、接待で使うんだ」
そんな私の考えていることを察したのか、ウィリアムズ様は苦笑いをしながらそう説明した。
事実か言い訳か分からないけれど、私はここで育ったのでその辺のことは分かっている。
ふと、薄水色の瞳が脳裏をよぎった。
あの方も、ここに来るのだろうか。
「ギルバートが気になるかい?」
その名前を聞いた瞬間、自分でも驚くくらい大きな反応をしてしまった。
思わず顔を上げると、ウィリアムズ様が笑っている。
何だか心の中を読まれていたみたいだ。
私はあまり表情に出ない方なのに。
ウィリアムズ様の笑みがまるで見透かされているようで、思わず視線を反らした。
「……私には関係ないことです」
「最近、ギルバートがよく構っているようだね」
「そんなことは……」
「あいつが珍しく女の子を送っているって噂だよ」
珍しいのだろうか。
そもそも、遣いで出入りする女中は私くらいなので、他と比べようがないだけではないだろうか。
「あいつは愛想はないが、悪いやつではないよ」
「私には関係のないことです……」
同じ言葉を繰り返す。
けれど、ウィリアムズ様の言葉はまだ続いた。
「愛想笑いが嫌いな上に、初対面の相手と話すのも得意ではないから、おかげで接待は全て私の仕事さ。だから――いても役に立たないし、その辺りで時間をつぶしてこい」
最後は私に言われた言葉ではなかった。
私より後ろの方に声が飛ぶ。
「サエ……?」
少し癖のある私の名前を呼ぶ声。
振り返ると、薄水色の瞳を丸くしている彼が立っていた。
「何でここに……」
それはむしろ私の言葉だった。
異国人は基本的には居留地の中で過ごす。
居留地の外に出る方が珍しい。
「あ、いや、俺は仕事で来ただけで……」
ウィリアムズ様と同じように言い訳なのか説明を始める。
この方がどういう理由で花街に訪れようと自由なのに。
「まったく、見ていられないな」
「ウィリアムズ様?」
その時、ウィリアムズ様のため息が聞こえた。
「ギルバート! 商談は俺がしてくるから、その辺を回ってこい。女性を一人で歩かせるなよ」
「おい、アーネストっ?」
そう言ってウィリアムズ様は一人で行ってしまった。
でも、あの方こそ一人で歩いて平気なのだろうか。
そんなことを考えていると、仲介役らしき人達が慌てて出てきて案内するのが見えた。
その様子を見ていると、隣から声が聞こえた。
「……その、急いでいるのか?」
「いえ……今日は休みです」
「そうか。なら、少し付き合ってくれないか?」
正直に休みだと言ってしまってから後悔した。
二人きりは落ち着かない。
用事はすませて後は帰るだけだったので時間はあるけれど。
急いでいると言えば、二人きりの状況から立ち去る理由になっただろうに。
異性と二人きりでいたことなんて今までなかった。
居留地のお屋敷で二人になったことはあるけれど、あれは主の遣いで伺っているから理由がある。
こんな風に外で異性と一緒にいることは、この国ではあまりないことだ。
その上、異国人のこの方はとても目立った。
昼間の花街は夜ほど人は多くないけれど、無人というわけではない。
先ほどからすれ違う人が振り返るのが気になっていた。
「この辺りには何かあるのか?」
「確か向こうに庭園があったはずです」
「庭園? それは見てみたいな」
庭園に興味があるのか声が少し弾んだように聞こえた。
庭園まで案内しようと歩き出そうとしたとき、目の前に手が差し出された。
不思議に思って視線を上げると、彼が当たり前のように手を私の方に向けている。
少し考えてから、異国人の男性は歩く時に女性に手を貸す習慣があることを思い出した。
初めてその光景を目にしたときは、見てはいけないものを見てしまった気分だった。
この国にそんな習慣はない。
彼は異国の習慣でそうしただけだろうけれど、ここでは意味が違う。
「……この国では人前で手を取ったりはしません」
私はその手から視線を反らして先に歩き始めた。
追い越すときに少し眉をひそめたのが見えたけれど、気づかなかったふりをして庭園のある方向へと進んだ。