表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異国の空に想う  作者: 細井雪
故郷編
6/14

手ぬぐい





 街を歩いている時に、一軒の店の前で足を止めた。

 店先には何種類もの手ぬぐいが並んでいる。

 その中の一つに目が留まった。


 薄い水色の手ぬぐい。

 よく似た色の瞳を思い出した。


 高級な革靴が汚れてしまったあの日。

 奉公先に戻ってからも気になった。

 艶のある綺麗な靴だったのに、泥で汚れてしまった。

 きっと私には到底弁償もできないほど高級な靴のはず。

 弁償は難しいけれど、せめて拭く物くらい渡した方が良かっただろうか。

 あの時は驚いてそんなことも思い浮かばなかった。

 手ぬぐいを手に取って近くで見つめた。

 同じ薄水色。

 そんなことを考えて、はっとして慌てて手ぬぐいを元に戻した。

 何を思い出していたのだろうか。

 脳裏に浮かんだ姿を消し去る。

 奉公先に戻らないと。

 そう思って店先から離れようと足を動かした。


「……」


 けれど、気になって手ぬぐいに視線を戻した。

 どうしても頭から離れない。


 そうしていた時、店主の咳払いが聞こえた。

 何度も見ていたから不審に思われたのかもしれない。

 戻ろうと、そう思いながらも足は動かなかった。

 もう一度、手ぬぐいを見つめた――。







 異国の造りをした扉から出てきたのは、いつもと同じ薄水色の瞳。


「サエ」


 少し癖のある異国の発音。

 私の名前を呼ぶ声に、胸の奥が不思議な気持ちになる。


 他の貿易商のお屋敷では使用人が来客の対応をする。

 けれど、このお屋敷ではいつの間にか彼が扉を開けてくるようになった。

 どんなに断ってもお茶を飲んでいくことを勧められるので、断ることはもう諦めた。


 中に通されて後ろをついてゆきながら、そっと彼の足元を見た。

 履いている革靴は汚れなど残っていなかった。

 艶のある高価な革靴。

 服も上質な布地を用いている。

 このお屋敷にある物だって立派な物ばかりだ。

 今更ながら、この方が裕福な貿易商人だということを思い出した。


 袖の中に伸ばしかけた手を、所在なく握りしめた。

 渡さなくて良かった。

 渡せるわけがない。

 この方は、こんな安物の手ぬぐいなんて必要ない人だ。

 それに、今頃手ぬぐいを渡しても遅い。

 そんなことも考えきれず、なぜ買ってしまったのだろう。

 自分のことが分からなくなった。


「サエ? どうかしたのか?」

「い、いいえ……何でもないです」


 声をかけられてはっと現実に戻った。

 握りしめたままだった手を慌てて下ろす。


「お茶を持ってくるから、座って待っていてくれ」


 彼はそう言って廊下を戻った。

 もう何度も通されたことのある応接室だけど、主がいないときに豪華な長椅子に座るのは気が引ける。

 壁にかけられている絵を眺めて待つことにした。

 異国の絵は不思議だ。

 飾られた絵は風景画のようだけど、そこに描かれた景色も建物も私の知っているものと違う。

 これが異国の風景ならば、私の知りえない世界だった。


 その中に、地図も飾られていた。

 地図は奉公先にもあるので知っているけれど、間近で見たことはない。

 それを眺めていた時、扉の開く音がした。


「何か気になるものでもあったか?」


 彼は卓の上に異国の茶器を置くと、地図を見ていた私の側までやってきた。

 地図には様々な絵と異国の文字が書かれている。

 私は異国の言葉は話せるけれど文字は読めない。


「何が書かれているのですか?」

「国の名前などだ」


 彼の指が地図を指す。


「この国は、ここだ」


 地図の端の小さな絵。

 私の住む国は、この小さな絵らしい。

 そう言われてもあまり実感は沸かない。

 ただ不思議な形だと思った。


「俺の国はここだ」


 指が地図の中央へ移った。


「遠いのですか……?」

「遠いな」


 異国人はみんな船で来る。

 彼はこの国までの行き方を指で辿って教えてくれた。

 けれどこの紙に描かれている絵ではどれほど遠いのかも想像できない。


「なぜ、こんな遠い異国まで来たんですか?」


 遠い異国から船で来るのとは大変だという。

 時には船が嵐に遭い被害が出たという話も聞く。


「新しいものを見たかったからだ」

「けど、異国とは全てが違うと聞きます。不安ではないのですか?」

「それはあるな。今まで行った国は良いとこもあれば悪いとこもあったし、失敗したこともあった。けれど、新しいものを見たときの高揚感の方が魅力的だった」


 そう語る彼の薄水色の瞳は、期待で輝いていた。

 この方が見る世界は、きっと広くて素晴らしいのだろう。

 失敗を恐れないで挑戦する気持ちを持っている。

 だから、こんな遠くまでやってきたのだ。


 私には縁遠い話だ。

 私は一生この国から出ないだろうし、一生この生活を続けていくはず。

 地図の中に描かれた、小さなこの国のように私の世界は狭い。

 そのことに不満を持ったことはない。

 身に余る贅を望むより、今あるもので満足している。


 ただ、この方は違う世界で生きているんだと感じた。

 人それぞれで違う。

 私と全く違う人生を歩んできた、遠い異国の人。


「この国でも、新しいものを見られたのですか?」


 地図の中の小さなこの国。

 こんな小さな国でも、彼にとっては新しいものがあったのだろうか。

 地図から彼の方へと視線を上げると、薄水色の瞳と目が合う。

 透き通った薄い水色の瞳。

 私にとっては見慣れた光景でも、この方から見れば新鮮なのだろうか。

 不思議な異国の瞳の色。


「ああ。見つけた」


 この瞳から見る光景は、どんなものなのだろう――。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ