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異国の空に想う  作者: 細井雪
故郷編
5/14

雨上がり





 それ以来、私の日常は大きく変わった。


「あの、もう気にしていませんから……」


 異国の言葉でこう言うのはもう何度目だろうか。

 薄水色のお屋敷へ行くたびに、なぜかお茶やお菓子を出されるようになった。

 私の本来の役目は届け物を渡すだけで終わる。

 けれどお屋敷と同じ色の瞳をした彼は、休んでいったら良いと言ってお茶を出そうとする。

 お詫びだと言われるけれど、それなら一度ですむはずだ。

 それなのに薄水色のお屋敷へ行くたびに繰り返されるやり取り。

 奉公先でもあまり喋ることはなかったのに、異国人のこの方とこんなに話をしているということが不思議だった。


「だが、雨が降ってきたから止むのを待った方が良いんじゃないか?」

「えっ?」


 再度断ろうとした時、彼にそう言われて外を見た。

 硝子窓の向こうでは雨粒が落ち始めていた。

 朝から曇り空だったけれど、ここに来るまでは降らなかったのに。

 傘も持ってきていない。

 次第に強くなってきた雨足に、結局彼に言われるがままに雨宿りをすることとなった。


 いつものように、卓の上にはお茶やお菓子が並ぶ。

 この日のお菓子は初めて見るものだった。


 薄黄色のまるでお饅頭のような丸い形。

 けれどお饅頭より堅そうで、真ん中には割れ目が入っている。

 添えられた赤い蜜は、酸っぱい匂いから多分木の実だと分かった。

 側には異国の小さな包丁のようなものも置かれている。


 それを目の前にして私は困った。

 小さな包丁のような物があるからには、きっと使うのだろう。

 羊羹のように切れば良いのだろうか。

 悩んでいたら、目の前からそのお菓子が消えた。


「こうして食べるんだ」

「あ……」


 向かいに座った彼がお菓子を半分に分ける。

 木の実の蜜を小さな包丁で取ると、お菓子の上に乗せてから渡してくれた。


「ありがとうございます……」

「本当はクリームがあれば良いんだけど、この国にはないからな」


 そう言いながら、彼は自分の分も同じように木の実の蜜を乗せてから食べた。

 それを見てから私もお菓子を口にする。


 木の実の酸味と、お菓子のほのかな甘みが口の中に広がった。

 前に食べた焼き菓子よりしっとりとしていて、少し飲み込みずらい。

 お饅頭と一緒だ。

 多分これは異国のお饅頭なんだろう。


 出される異国のお茶とお菓子は、実のところ嫌いではない。

 この国のものとは違う味だけど、異国のお茶もお菓子も甘くて美味しい。

 初めは不思議な形だと思っていた異国の湯飲みも、慣れてくると指で持つこともできるようになってきた。


 けれど、この場はすごく気まずい。

 彼はあまり喋る人ではないらしい。

 あれ以来、不機嫌そうな顔はされないけれど、他の異国人のようにお喋りをすることはない。

 私も普段から奉公先で話しをすることがないから、何を話せばいいのか思いつかなかった。

 もっと他の女中仲間と喋っておけば良かった。

 そんな後悔をしてしまう。

 特に会話もなく、食べる音だけが一段と大きく室内に響く。

 雨音が収まると急いで帰る用意をした。


「雨が上がったようなので帰ります」

「ああ、じゃあ送っていく」


 長椅子から立ち上がると、彼も同時に立ち上がる。

 これも、断っても繰り返されるやり取りの一つだった。

 けれど彼と一緒に歩くと、他の貿易商人から話しかけられないのでそれは助かった。

 

 玄関の扉を開けて外に出ると、風が吹き込んだ。

 夏の終わりの少し冷たい風。


「あ……」


 お屋敷の前の細い道が、大きな水たまりで塞がれていた。

 先ほどの雨でたまったのだろう。

 この道を通らないと門には向かえない。

 草履が汚れるけれど仕方がない。

 奉公先に戻ってから洗えばいい。


「どうした――あぁ、水がたまっているのか」


 彼の視線が道の水たまりに向けられる。

 いつものように門まで送るとなると、彼もこの水たまりを通らないといけなくなる。

 元々送ってもらう必要はないのでやっぱり断ろうと思ったとき。


「……すまない。怖がらないでほしい」

「え?」


 次の瞬間。

 地面から足が離れた。


「っ!?」


 体が浮く感覚に驚いて声も出なかった。

 気がつけば彼の手が腰に回って抱え上げられていた。

 思わず固まってしまう。

 水の跳ねる音が聞こえて、彼が私を抱えたまま水たまりの中を通っていることに気づいて慌てた。


「お、下ろしてください……! 靴が濡れてしまいます!」

「そのまま歩けば、サエの足が濡れてしまう」


 異国と違ってこの国では男女が気安く触れたりはしないと言ったはずなのに、この方はその意味をきちんと理解していないのかもしれない。

 子供の時以外、異性に抱き上げられたことなどもちろんなかった。


「暴れると落ちるぞ」


 そう言われて、思わず息を止めた。

 いつもより高い目線。

 落ちてしまえば地面にぶつかるだけでなく、濡れて悲惨なことになるだろう。

 この状況は落ち着かないけれど、黙って従うしかなかった。


 水の跳ねる音を耳にしながら、そっと彼の方を見た。

 いつもは見上げる高さの顔がすぐ近くにある。

 柔らかそうな、金色の髪。

 睫毛まで金色なんだと、初めて知った。

 雲の切れ間から差し込む太陽の光を受けて輝いている。

 横顔は鼻がとても高くて、彫りが深い。

 見れば見るほど自分とは違う顔立ち。

 直視できなくて、顔を反らして目を伏せた。


 水たまりを通り抜けると、ようやく腕の中から下ろされた。

 地面にそっと足が触れる。

 何でもないそのことに安堵する


「あ、ありがとうございます……」

「軽いな。ちゃんと食べてるのか?」


 異国人から見れば、私は頭二つ分ほど背が低い。

 私が小さいというよりは、彼ら異国人が大きいのだ。

 とはいえ、まるで子供のような扱いだと思っている時、ふと彼の足元が視界に映った。

 靴が濡れて汚れてしまっている。


「あの、靴が……」


 高級な革靴。

 私が弁償できる代物でないことは明らかだった。


「靴くらい大したことない」


 けれど彼は短くそう言うと、濡れた靴のまま門の方へ足を進めてしまった。

 慌ててその後ろについていく。


 なぜ、あんなことをしてくれたのかその理由が分からなった。

 自分の靴を汚してまで、ただの遣いの私のことを気にして。

 彼の考えが分からない。


 ただ、手を貸してくれた人は初めてだった――。





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