異国人
長く異国との関りを閉ざしてきたこの国が、外に港を開いたのは少し前のこと。
港を開いてからは、多くの異国船がやってきた。
異国船は様々な物をこの国へ持ち込んだ。
新しい食べ物。
見慣れない道具。
時には生き物も。
異国から持ち込まれた新しい物は、この国を大きく変えた。
けれど、この国に住む娘一人の人生はきっと何も変わることはないだろう――。
「――……」
朝を報せる鐘の音に瞼を上げた。
起きてすぐに見るのは、色あせた天井の木目模様。
昨日と変わらない一日が今日も始まる。
まだ眠い目を擦りながら起き上がり、布団を畳んで部屋の隅に片づけた。
顔を洗って支度を整えてから、胸元まである長さの髪を後頭部でひとまとめに結い上げる。
朝食を食べ終わるころには、お屋敷を囲む長い塀の向こうでも、街が動き始める気配がした。
異国と商売をする貿易商が、私の働く場所だ。
親がいないので住み込みで働いている。
父は私が物心つく前に病で死んでしまった。
それからは、母が春を売る仕事について私を育ててくれた。
母は異国人の相手はしなかったけれど、港が近くにあったので花街には異国人も多く出入りし、その存在は身近にあった。
幼い頃は、自分たちと違う髪や目の色がただ珍しくて興味を抱いた。
同じ生活をしていた同年代の子たちと一緒に異国人の後をついて回る内に、異国の言葉を覚えていった。
その母も数年前に病で死んでしまった後は、他に身寄りもなかったので、異国の言葉が話せるということで貿易商に奉公に出ることになった。
けれど、女は奥向きのことをするのが当たり前の中、異国語を話して丁稚のように外に出る私は奉公先では浮いた存在だった。
他の女中とも馴染めずにいたが、それを気にしていても仕方がない。
働かないと生きていけない。
朝食を食べ終わるとすぐに主の元へ向かい、今日の訪問先を聞いた。
渡された届け物を風呂敷で包んで大切に抱える。
――行って参ります。
そう告げてお屋敷を出れば、もうこの国の言葉で話すことは終わる。
奉公先を出て向かうのは、街から少し離れたところにある異国人の居留地。
主の遣いで奉公先と居留地を行き来して、簡単な届け物や用件の橋渡し役をしている。
異国人の居留地内は入った瞬間から異国語が飛び交う。
居留地内には異国の貿易商人の他にもその家族も多く住んでいて、この国でありながらまるで異国の地のようだ。
異国人は私たちと全然違う。
変わった服装をして、女性達はいつも布の傘をさして歩いている。
青や緑といった瞳の色は不思議で仕方がない。
彼らが街の中に出れば人の注目を集めるけれど、ここでは私の方が目立った。
来るたびに視線を浴びることにも慣れてきたけれど。
それでも無意識に速足になってしまうくらいには落ち着かない。
主に言い渡された訪問先を次々と訪ね、残りあと一軒となる。
けれど、今日は運が悪かった。
途中で貿易商の男性たちに出くわすと、途端に異国語で話しかけられた。
「大変そうだね。手伝おうか?」
「案内するよ、どこに行くの?」
異国から来る貿易商は若い人も多い。
彼らは気軽に話しかけてくる。
だけど、それは親しくというよりは、慣れ慣れしいと言った方が正しい。
声をかけるのは、風貌の異なる女に興味があるだけだと知っている。
黒髪が神秘的。
小柄なところが庇護欲を掻き立てる。
そんな風に言われているらしい。
でも、まるで見世物のようであまり好きじゃなかった。
「あの、急いでいますので……」
異国の言葉で道をあけてくれるように頼んでみる。
だけど。
「どれくらいで終わるの? このあと一緒にお茶を飲もう」
「ごちそうするよ」
私の異国語はちゃんと通じているはずなのに、すぐに遮られてしまった。
異国人は背が高いので、彼らに囲まれてしまったらまるで山に塞がれたようになってしまう。
悪い人達でないことは分かっている。
けれど、異国人の気軽に女性に声をかける習慣はとても困った。
訪問先はまだ一軒残っている。
どうしようと思っていた、その時だった。
「――おまえらしつこいぞ」
彼らの背後から、機嫌の悪そうな声が聞こえた。
「ラングフォードさん」
男性たちの内の一人が声の主の名を口にする。
その瞬間、周りを囲んでいた男性たちが一斉に離れたので、その先が視界に入った。
眩しい。
そう思った。
日差しを受けて光り輝く金色の髪。
淡い薄水色の瞳。
そんな異国の顔立ちが、私を見るなり眉をひそめた。
けれどすぐさま、私を取り囲んでいた男性たちの方に移る。
「おまえらいい加減にしろ」
「な、何もしていませんよ……」
「冗談ですって、冗談」
彼が現れたことで、他の男性たちはばつの悪そうな顔をして立ち去った。
足音が遠ざかっていく。
囲まれていた圧迫感がなくなりほっとしたのも一瞬のことで、薄水色の瞳が急にこちらを振り返った。
思わず後ずさりをしてしまう。
「遅い。あれくらい適当にあしらえ」
不機嫌な声でそう言われた。
私のせいではないと思ったけれど、そんなことを言える立場ではないので頭を下げて謝る。
私はこの人が苦手だった。
最近この国に来た異国の貿易商人。
ギルバート・ラングフォードという名前の人。
居留地の一番奥にある、瞳の色と同じ薄水色のお屋敷に住んでいる。
一番遠いため行くのが最後になるので、彼はいつも不機嫌な顔をして遅いと言う。
今日は手前で足止めをされたので、余計に時間がかかってしまった。
私はこの人に嫌われているらしい。
他の異国の貿易商人達はお喋りで愛想の良い人達が多いけれど、彼だけはこうしてしかめっ面をしてばかりいる。
何かした覚えはないけれど、いつも不機嫌な顔しか向けられたことがない。
「あの、こちら主からです」
「確かに預かった」
「では失礼します」
届け物を渡して早く帰ろうと一歩踏み出した時。
「待て。門まで送っていく。一人でいたらまた声をかけられるだけだ」
「え……?」
予想外の言葉に、思わず足を止めて彼の方を見た。
聞き間違いだろうか。
けれど彼は立ち尽くしていた私の側を通り過ぎて先に進み出した。
聞き間違いではなかったらしい。
慌てて背を追いかる。
彼の後ろをついて歩くと、確かに他の貿易商人たちから声をかけられることはなかった。
同じ貿易商人の中でも、彼は若いけれど立場が上の方らしい。
私は届け物をするだけなので、詳しいことまでは分からない。
居留地の門まで歩く間、彼は何も話そうとしなかった。
私も特に話すこともないので、黙ってその数歩後ろを着いていく。
地面を踏む音だけが聞こえた。
背の高い後ろ姿をそっと見上げる。
太陽に照らされて、光り輝く金色の髪。
白い肌は太陽に焼けて赤くなっている。
あんなに焼けて痛くないのだろうか。
見れば見るほど、この国の人々とは全然違う。
異国の人。
私の知らない国。
きっと、これ以上近くなることはない遠い異国だ。
結局、一言も会話のないまま歩き続けた。