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異国の空に想う  作者: 細井雪
異国編
12/14

異国の地(1)





 船での生活は私の想像を超えるものだった。

 それでも懸命に耐えた。

 泣き言を言っても、もう後戻りはできない。

 そうして長い航路の末に辿り着いた異国の地は、全てが驚きの連続だった。

 薄く雲を広げたような空の下に降り立ち、その光景に言葉も出ず立ち尽くす。


 石造りの建物。

 鳴り響く鐘の甲高い音。

 異なる服装の人々。


 周囲を見回して目が回りそうになった。

 これが異国の地。

 想像していたより、何もかもが違いすぎた。

 そんな私の側を、大勢の人が振り返りながら通り過ぎていく。

 その姿は、様々な髪の色や目の色をしていた。

 眩しいほどの金色に栗色の髪。

 青や緑色の瞳。

 中には私と同じような黒髪や黒目の人もいた。

 故郷で異国の貿易商人達を見て、なんて鮮やかだろうと思っていた。

 けれど故郷に来ていた貿易商人達が特別だったわけではなくて、世界にはいろんな容姿が存在した。


 ふと、自分の姿が気になった。

 周りにいる女性達は、故郷の異国人居留地でも見たような裾の広がった服に、飾りのついた帽子を被り布の傘を差している。

 自分の格好を見下ろした。

 着古した服はあちこちすり切れている。

 それに色合いも地味だ。

 持ち物に贅は不要と考えていたけれど、通り過ぎる視線が痛いくらいに突き刺さった。

 連れてきてくれた彼の恥になってしまわないだろうか。

 そんな不安が込み上げてくる。


「――サエ!」


 その時、私の名を呼ぶ声が耳に届いた。

 知った顔にほっとする。


「ギルバート様……」

「はぐれるなよ。こんなとこで見失っても、探しきれないぞ」


 その言葉に、背筋がぞっとした。

 知らない異国の土地でこの方を見失えば、きっと私は野垂れ死ぬしかない。

 そんなこと想像するだけで恐ろしい。


「向こうに馬車を呼んでいる」

「は、はい……っ」


 大勢の人の波に流されそうになっていると、手をつかまれて引き寄せられた。

 故郷で手を取られた時は人の目を気にしたけれど、今はそんな余裕もなくて、はぐれることにならないよう手を握り返した。

 強い力が返ってきて、その温もりに安心する。


 少し離れたところに馬車は停まっていた。

 馬車の側にいた男性が、私と目が合って少し眉を寄せた。

 その視線から目を反らして、馬車へ乗り込む。

 扉が閉められると、一度大きく揺れて動き出した。

 故郷でも港へ向かう時に初めて乗ったけれど、この揺れ方には慣れない。


「家は隣町だ」


 馬車の小窓から外を眺めながら、ギルバート様が説明をしてくれた。

 街の景色を見つめる。

 街の中は、まるで壁のように大きな石造りの建物が立ち並んでいた。

 どれも高くそびえている。

 どれだけ見上げても頂上が見えない。

 首が痛い。

 あまりにも見上げすぎて、そう思ってしまった。

 見上げることをやめて目線を下げると、他の馬車が行き交うのが見えた。

 広い道にはたくさんの馬車が走っている。

 故郷では馬車を見ることはめったになかった。

 人が引く乗り物の方が多かったけれど、逆にここでは人が引いている姿はない。

 何もかも故郷と違った。


 ここへ来るまでの長い船の中でも、異国のことを色々と教えてもらった。

 異国の生活習慣や、食事など。

 船がこの国へ着くころになって、彼が私に自分の船室を貸して、自分は空きのあった大部屋で過ごしていたことを初めて知った。

 私は船ではほとんど部屋から出ないでいたので、彼が食事を持ってきてくれるのをただ部屋で待っていて、何も気づかずにいた。

 さすがに知った時には彼に部屋を交代して貰うよう頼んだけれど、もうすぐ着くからと言って結局そのままだった。

 彼には何もかも世話になってばかりだ。

 申し訳ない気持ちが込み上げる。


「駅が見えてきたぞ」

「駅?」

「あそこから列車が出発する」


 ひと際大きな建物を示され、そこに目を向けた。

 赤い石造りの建物は、壁の上部に大きな硝子窓までついている。

 列車という言葉に驚いて、彼の方を振り返った。


「列車が走っているのですか?」

「ああ。国中に路線が伸びて便利だ」


 故郷でも最近鉄道が開業した話は聞いたけれど、まだ限られた場所しか走っていない。

 実物を見たことはなかった。

 もう一度小窓を覗くと、駅という大きな建物の前にはたくさんの人々の姿があった。

 あの人々はみんな列車に乗るんだろうか。


「列車に乗ったことないのか?」

「ありません」

「なら、今度乗せてやる」


 故郷との違いに驚いて声も出ない。

 私が列車に乗れるなんて、夢のまた夢だった。


 本当に、異国に来てしまったのだと実感した。

 見る景色も聞こえる言葉も故郷と違う。

 あれほど、遠く自分には縁のない所だと思っていたのに。

 目の前にその光景が広がっている。

 もう二度と故郷に帰ることはできないのだ。

 そのことを、今更になって思い知った。

 居場所なんてないと思っていた故郷だけど、胸に穴が空いたような消失感を覚える。

 私はこれからここで生きていかなければならない。

 全てが違うこの国で。

 小窓から見える景色に、胸の奥が落ち着かなくなる。

 窓枠に置いた手を強く握りしめた。

 馬車から見える外の風景は、徐々に建物が少なくなっていき緑に変わっていった。





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