異国の地(1)
船での生活は私の想像を超えるものだった。
それでも懸命に耐えた。
泣き言を言っても、もう後戻りはできない。
そうして長い航路の末に辿り着いた異国の地は、全てが驚きの連続だった。
薄く雲を広げたような空の下に降り立ち、その光景に言葉も出ず立ち尽くす。
石造りの建物。
鳴り響く鐘の甲高い音。
異なる服装の人々。
周囲を見回して目が回りそうになった。
これが異国の地。
想像していたより、何もかもが違いすぎた。
そんな私の側を、大勢の人が振り返りながら通り過ぎていく。
その姿は、様々な髪の色や目の色をしていた。
眩しいほどの金色に栗色の髪。
青や緑色の瞳。
中には私と同じような黒髪や黒目の人もいた。
故郷で異国の貿易商人達を見て、なんて鮮やかだろうと思っていた。
けれど故郷に来ていた貿易商人達が特別だったわけではなくて、世界にはいろんな容姿が存在した。
ふと、自分の姿が気になった。
周りにいる女性達は、故郷の異国人居留地でも見たような裾の広がった服に、飾りのついた帽子を被り布の傘を差している。
自分の格好を見下ろした。
着古した服はあちこちすり切れている。
それに色合いも地味だ。
持ち物に贅は不要と考えていたけれど、通り過ぎる視線が痛いくらいに突き刺さった。
連れてきてくれた彼の恥になってしまわないだろうか。
そんな不安が込み上げてくる。
「――サエ!」
その時、私の名を呼ぶ声が耳に届いた。
知った顔にほっとする。
「ギルバート様……」
「はぐれるなよ。こんなとこで見失っても、探しきれないぞ」
その言葉に、背筋がぞっとした。
知らない異国の土地でこの方を見失えば、きっと私は野垂れ死ぬしかない。
そんなこと想像するだけで恐ろしい。
「向こうに馬車を呼んでいる」
「は、はい……っ」
大勢の人の波に流されそうになっていると、手をつかまれて引き寄せられた。
故郷で手を取られた時は人の目を気にしたけれど、今はそんな余裕もなくて、はぐれることにならないよう手を握り返した。
強い力が返ってきて、その温もりに安心する。
少し離れたところに馬車は停まっていた。
馬車の側にいた男性が、私と目が合って少し眉を寄せた。
その視線から目を反らして、馬車へ乗り込む。
扉が閉められると、一度大きく揺れて動き出した。
故郷でも港へ向かう時に初めて乗ったけれど、この揺れ方には慣れない。
「家は隣町だ」
馬車の小窓から外を眺めながら、ギルバート様が説明をしてくれた。
街の景色を見つめる。
街の中は、まるで壁のように大きな石造りの建物が立ち並んでいた。
どれも高くそびえている。
どれだけ見上げても頂上が見えない。
首が痛い。
あまりにも見上げすぎて、そう思ってしまった。
見上げることをやめて目線を下げると、他の馬車が行き交うのが見えた。
広い道にはたくさんの馬車が走っている。
故郷では馬車を見ることはめったになかった。
人が引く乗り物の方が多かったけれど、逆にここでは人が引いている姿はない。
何もかも故郷と違った。
ここへ来るまでの長い船の中でも、異国のことを色々と教えてもらった。
異国の生活習慣や、食事など。
船がこの国へ着くころになって、彼が私に自分の船室を貸して、自分は空きのあった大部屋で過ごしていたことを初めて知った。
私は船ではほとんど部屋から出ないでいたので、彼が食事を持ってきてくれるのをただ部屋で待っていて、何も気づかずにいた。
さすがに知った時には彼に部屋を交代して貰うよう頼んだけれど、もうすぐ着くからと言って結局そのままだった。
彼には何もかも世話になってばかりだ。
申し訳ない気持ちが込み上げる。
「駅が見えてきたぞ」
「駅?」
「あそこから列車が出発する」
ひと際大きな建物を示され、そこに目を向けた。
赤い石造りの建物は、壁の上部に大きな硝子窓までついている。
列車という言葉に驚いて、彼の方を振り返った。
「列車が走っているのですか?」
「ああ。国中に路線が伸びて便利だ」
故郷でも最近鉄道が開業した話は聞いたけれど、まだ限られた場所しか走っていない。
実物を見たことはなかった。
もう一度小窓を覗くと、駅という大きな建物の前にはたくさんの人々の姿があった。
あの人々はみんな列車に乗るんだろうか。
「列車に乗ったことないのか?」
「ありません」
「なら、今度乗せてやる」
故郷との違いに驚いて声も出ない。
私が列車に乗れるなんて、夢のまた夢だった。
本当に、異国に来てしまったのだと実感した。
見る景色も聞こえる言葉も故郷と違う。
あれほど、遠く自分には縁のない所だと思っていたのに。
目の前にその光景が広がっている。
もう二度と故郷に帰ることはできないのだ。
そのことを、今更になって思い知った。
居場所なんてないと思っていた故郷だけど、胸に穴が空いたような消失感を覚える。
私はこれからここで生きていかなければならない。
全てが違うこの国で。
小窓から見える景色に、胸の奥が落ち着かなくなる。
窓枠に置いた手を強く握りしめた。
馬車から見える外の風景は、徐々に建物が少なくなっていき緑に変わっていった。




