カーマエリとシシエリ
「遥かなる天座より/混沌へ遣わされし二人の王……」からはじまる『二王の頌歌』(注1)を知らない者はエルフにはいないであろう。
二王とは言うまでもなく伝説的なエルフの始祖・カーマエリとシシエリのことである。
カーマエリとシシエリははるか太古よりエルフ族の始祖として崇敬と畏怖の対象であり、これはいまに至るまで揺らぐこと無くエルフ族の精神の根幹であり続けている。
かの魔王との戦乱以前にある学者がおこなった調査では、とあるひとつの村の老若男女全員に「カーマエリとシシエリは実在した人物だと思うか」尋ねてまわったところ、その全員がひとりも漏らさず実在したと答えたという(注2)。
別の学者は、実に明快にこう証明する。
「われわれエルフはみなカーマエリ王かシシエリ王の子孫である。言うなれば、われわれエルフの存在そのものが、両王の実在の証明に他ならない」(注3)
上記のような例は、われわれエルフが長年にわたり学術的達成目標としてきた二王実在論のほんの一例に過ぎない。
ともかくもわれわれエルフは、ことに歴史学と社会学は、その能力と成果の粋を結集して、精神的拠り所たる二王の存在に裏付けを与え続けてきたのである。
しかし、そうした全身全霊の弛まぬ努力にもかかわらず、実に近年に至るまで、この活動にはひとつの課題が絶えず付きまとっていた。
すなわち、どの根拠も間接的に、つまり文字やイメージ、口伝のかたちでしか二王の存在を伝えておらず、王墓や副葬品などといった、直接二王につながり得る考古学的資料を欠いていたのである(注4)。
直接的な考古資料としては、アパルナン半島の初代統一王・英雄エリ=ベールの墳墓が最古であり、その養父マクリより遡る時代は考古学的空白の様相を呈していた。
したがって従来の研究では、二王の降誕からマクリまでの時代を伝承時代と称してきたのである。
ところが、近年の調査でついに二王が一人、カーマエリ王の王墓と思しき遺跡がルーメル近郊で発掘され、従来の説が大幅に修正されようとしている。
三王国の若手研究者による合同チームがルーメル近郊、レト岩窟の発掘調査を行ったところ、人工的な石室に加え、いくつかの副葬品、碑文や壁画などを発見したのである。
この碑文や壁画の内容はいずれもカーマエリ王の生涯および偉業に関するもので、おそらくは王子カーマ=コルか副王ボソンの命で書かれたものとされる。
さらにまた、石室内部には副葬品とは明らかに性質の異なる簡素な食器や衣類も見つかっていることから、カーマエリ王は晩年をここで過ごしたのではないかとも考えられている(注5)。
この王墓ついては現在もなお調査中で、それと断定するには至っていないものの、カーマエリ王の生前の足跡や壁画に記された魔導構築式の特徴などと照らし合わせても、高い確率で本人のものであろうと推測されている。
もしこれが本物であるとすれば、われわれはカーマエリ王とシシエリ王について知り得なかった多くの空白を埋められようことは間違いなく、調査の結論が待たれるところである。
なお、本書では従来の情報を中心に記述し、新たに発見されたものについては結論の定まらぬいまは補足的に記述するに留めたい(※)。
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(注1) 全エルフ歴史協会編『二王の頌歌』王立学術図書協会, 2246年(第91版), 1頁.
(注2) ローネーリ・オーグ「アールンド王国の伝承および民話に関するフィールドワーク⑧・モニモ村~オールブルイ村」(『シャールブルイ文化大学紀要』719号, 1969年, 101-134頁).
(注3) ルマウス・シュワイアス『ユートピアのパロディ』神秘の水社, 2006年, 18頁.
(注4) これをして、カーマエリ王とシシエリ王は神話的存在であり、学術的見地からすれば英雄エリ=ベールが事実上の祖であると位置付ける学派・宗派も存在する(ベール派)。もっともこれは伝説上の人物を王の系譜に数えるか否かの見解の相違であって、二王に対する信仰心は共通している。
(注5) レド・レーゴンド監修, ルーフィール・ポルッカほか「〈研究ノート〉レト岩窟のカーマエリ王墓発掘調査レポート:石室の状態について」(『考古季報』318号, 2251年, 1-66頁), 同「〈研究ノート〉レト岩窟のカーマエリ王墓発掘調査レポート:副葬品および壁画について」(『考古季報』319号, 2251年, 1-98頁).
(※) 本節は、レト岩窟発掘調査を受けて後から追加された節である。