時の店
深い森の奥に小さな店がぽつんと一軒建っている。
淡い赤色のレンガの壁には長方形の窓が一つ。その隣には木製の古い扉がついていて、大きな煙突が特徴的な古い一軒家だ。
窓から中を覗き込むとアンティークなデザインの椅子とテーブルが部屋の中央に置かれ、壁には四方を埋め尽くす程たくさんの大小さまざまな形をした時計が所狭しと壁にかけられている。そこから部屋の奥に目を向ければ暖炉の近く、木のカウンターと何やら沢山の美品が並べられた大きな棚が見える。どうやらここは何かを売買するための店のようだ。
するとカウンターの奥から一人の男が現れた。細身で長身のメガネをかけた男だ。
男はカウンターの奥の棚からティーカップとティーポット、それと紅茶の茶葉の入った袋をそれぞれカウンターに取り出した。茶葉をティーポットの中に少しだけ入れて、そこへ暖炉の上で熱していたヤカンのお湯を注ぎ込む。もくもくと白い湯気が立ち込めると男は時計が沢山あるにも関わらず自分の腕時計で時間を確認した。紅茶を飲もうとしているらしいあの男がこの店の店主なのだろう。
それからしばらくして店主の男が紅茶を飲んでいると店の扉が開き、入口のベルの音が来客を知らせる。店に訪れたのは杖をついた白髪頭で大柄な一人のご老体だった。店主は客の男を近くの椅子へと案内する。席に着いた客の男の前に一杯の紅茶を振る舞うとそのまま向かい側の席に店主が座る。
「本日はいかがなさいましたか?」
「時を売ってもらいたい」
「いかほどの時をお望みですか?」
「一日、いや、半日で構わない」
「かしこまりました。それでは少々お待ちください」
そう言い残すと店主は店の奥へと姿を消した。
程なくして店主が戻ってくると、その手にはリボンで閉じられた小さな正方形の箱を持っている。店主はその箱を客の男の前へ差し出した。
「ご注文は以上ですか?」
「ああ、ありがとう」
「いえ、商売ですから」
「それで代金の方はいくらかな?」
「いいえ、代金は結構です。代わりにその時をどう使うのかお聞かせ願えますか?」
店主のその言葉に客の男は何も言わず静かに頷くと、自らがこの店に来た経緯について語り始めた。
「私には元々体が弱く今は病気で寝たきりの妻がおるのです。妻の病はひどく、前から医者にはあと数ヶ月と言われておりました。そして、今から十日ほど前とうとう意識が戻らなくなり、医者によれば奇跡でも起こらない限りもう意識が戻る見込みはないと。私が今日この店に来たのは妻と最期の時を過ごすためなのです。この店で買った時の間なら妻の意識も戻ると聞きました。私はもう一度妻とたとえ僅かな間であったとしても言葉を交わしたい。それに明日は妻との結婚記念日でして。これが私からの最後のプレゼントなのです」
「そうでしたか。確かにこの店で買った時ならば本人たちの好きなように扱うことが出来るでしょう。もし明日一日共に過ごすおつもりなら半日ではなく一日をお買いにならなくてよろしいのですか?」
「ええ、いいのです。妻の声が聞ければ、それだけで私は満足ですから」
客の男は紅茶を飲み終えると大きな老体で杖をつきながら深々と頭を下げて、店をあとにした。店主は店の外まで客を見送ると「それではお達者で」と一言だけを残し、また店の中へと戻っていった。
翌日、どこか遠くの町で老夫婦と思われる二人の男女の遺体が発見された。
死亡した妻と見られる女性は事故によりここ数年間意識不明となっており、回復の見込みはないとされていたが、夫は数年もの間毎日妻につきっきりで意識が戻るのを待っていたという。
同じく死亡した夫とみられる男性は二年ほど前から大病を患っており、医師の話によれば、いつ危険な状態になってもおかしくないどころか立って歩けることすらほとんど奇跡に近いと言われていたという。
まるで微笑むかのように健やかに寄り添いながら眠る老夫婦の手にはまだリボンの解かれていない小さな箱が握られていたと聞く。