流行り廃りについて (「ニコニコ動画」・「小説家になろう」)
自分もオタクの一派なので、ニコニコ動画をわりと前から見ている。しかし、最近のニコニコはひどいなあと感じている。
最近のニコニコで特にひどいと思うのが、人気生主の座談会で、横山緑などの生主が集まって、北朝鮮の問題なんかについて話している。
この座談会みたいなものを見ると、成れの果てというか、何かの終わりを感じる。最初、内輪で盛り上がっていたものが公式化されて、一般化されると、魔法が解けるような、そんな感じがある。
テレビに出てくるタレントは最近は批判されているが、そうはいっても、彼らには話芸があったり、見た目が非常な美人だとか何らかの武器を持って出てくる。もちろん、すぐに消える、手持ちの武器がほとんどないタレントもいるが、タレントは競争社会なので、大衆の視線にある程度耐えられる人が残る傾向がある。
翻って生主の座談会を見ると、特に話芸があるわけでもなく、時事問題に精通しているわけでもなく、なにが魅力なのか正直よくわからない人がだらだら喋っていて、内輪のノリに入っている人しか見られない構成になっている。僕が押している神聖かまってちゃんなんかも、音楽をやっていなければ、彼らのうちの一人にすぎなかったと思う。
内輪のノリ、ニコニコ動画のノリの中に入っている人はある程度、こうした流れについていくだろうが、いきなり外部から入ってきた人からは一体何が面白いのか、何が良いのか、よくわからないと思う。こうなっていくと、多分、一つのブームの終焉という事が考えられる。
ニコニコから話を移すと、「小説家になろう」では異世界小説が流行ってる。書く人も多いし、読む人も多い。何より、書籍化されるのもそうした作品が多いので、運営も力を入れているのだろう。
異世界小説が流行るというのはもちろん悪い事ではない。収益が見込めるから流行るわけだし、利益が必要な団体がその方向に行くのはやむをえない。
だけど、ここでもニコニコ動画で起こったのと同じ事が起こるのではないかと思う。異世界小説が流行り、その流れが一旦できると、「小説家になろう」=「異世界小説」という定式がなんとなくできあがる。「異世界小説」を読みたい人、そういう傾向のライトノベルを読みたい人は「なろう」に入っていくが、それに興味がない人はそこから離れていく。
書く方も、アニメ化が見込める、プロになれる、書籍化できるかもしれないという事で、その方向に特化していく。こうしてある方向への流れができると、それはどんどん加速していく。読む方も書く方も、傾向性が出てくる。
しかし、その傾向はいつまでも続くものではないから、ある時、異世界小説ブームにも終わりが来る。似たような作品が飽和し、読者の方でも飽きてくる。そうなってくると、異世界小説ブームは終わる。ブームだけが終われば別にいいが、「小説家になろう」=「異世界小説」という定式がなんとなく、ネットを見ている人の頭にあると、「小説家になろう」というサイト自体が力を失っていく。そういう可能性は十分あると思う。
今、ニコニコ動画で起こっているのはそういう事な気がする。ブームは活気付けるが、それが去れば、その場所を廃墟にしてしまう。栄枯盛衰という点で考えるとやむをえないのだろう。
ユーチューバーなども同じ事が起こっているのだろう。この場合、サイトの上昇・下降とそこで扱っているコンテンツ・流れとが一致するかどうかというのが重要な気がする。
何が言いたいかというと、流行りだからといってその流れに全面的に乗っかる事ばかりしていると、流れが去った時、手元に何も残らない状況になるという事だ。もちろん、流行りに乗った方が「おいしい」のだから乗らない手はない。しかし、賢い運営者であれば、流行りに乗りつつも、次の一手を考えておくべきだと思う。異世界小説の流れに乗りつつも、常に次の展開、このブームが去った時、このサイトはどうあるべきなのかと考えておく必要があると思う。また、ブームに乗りすぎると、そのブームと一緒に流れ去ってしまうから、バランスを見ながら抑制する事も必要かと思う。持続的に、長くやっていくコツというのは、あんまり勝ちすぎず、また、あんまり負けすぎないという事にあるように思う。(このあたりは阿佐田哲也の「麻雀放浪記」から学んだ)
…とまあ、感想を書いてみたが、これはブームとは無縁の人間の独り言である。自分の言っている事が誰かの参考になれば幸いだ。