2 ひっくり返った石像
光が弱まるのをまぶた越しに感じたのと同時に女の子の叫び声が聞こえ、パッと目を見開くと尻もちをついている一人の少女がいた。
ほっそりとした体つき。
艶やかで金色のふわっとした長い髪、白のノースリーブ、淡い赤色のロングスカートにサンダル姿。文句なしに美しい少女といえるだろう。
その少女の潤んだ瞳が浦賀を見つめてか細い声で言った。
「一体…どこから来たのですか?」
そう言われ浦賀はまわりを見渡す。
場所は白い砂浜だ。
しかしここは先程、不思議な亀に出会った見慣れた景色ではなくなっていた。
まるで何かの幻覚を見させられているかの様な気分だ。
さっきまで海をゆっくり進んでいる様に見えた大きな貨物船は消え、海の向こうに目視できる距離に大きな陸がある。
「むしろここはどこだ?」
「えっ? ここは鬼島ですけど…」
鬼島という名前は聞き覚えのない名前だった。
「少し変な事を聞くけど、俺ってどうやってここに来たんだ?」
「…それは私もわかりません。私がここで海を眺めていたら、突然石像が光り出して、気がついたら石像がひっくり返っていて…あなたがいました。」
「おいおい、どうなってんだ」
確かに彼女の言う通り石像がひっくり返っていた。
石像はほんの少し前に浦賀が元に起き上がらせた赤い目を持ったウミガメに酷似していた。
そのそっくりの石像が、お腹を出し、ヒレの様な足を上に向け、ひっくり返った姿勢で置いてある。
さっきまでの違いといえば、皮膚が石材で構成され、特徴ある目は赤いガラス細工の様な物がはめ込まれている。今度ばかりは浦賀の力を持ってしても、素材の重さから考えて、元に戻す事はできないであろう。
そしてこの状況に困惑しているのは浦賀だけではなく、彼女も同じ様子だった。
浦賀はあたりの状態から、現状を推理した。
だが考えても答えに到達する事はなかった。
いくら考えてもわからないので、次第に浦賀は考えるのを止めた。
その時、また地響きの様な凄い音がした。
――浦賀のお腹がまた鳴ったのである。
「きゃっ!この音はなんでしょう!」
そう叫ぶ彼女を見て、浦賀は赤面していった。
「…今のは俺のお腹の音だ」
「えっ! 今のお腹の音だったんですね! ご、ごめんなさい私ったら失礼な事を言ってしまって」
「いや、悪いのは驚かせた俺の方だから」
恥ずかしさのあまり直視はできず、後頭部を撫でながら浦賀は申し訳なさそうに言った。
「あの良かったら、失礼な事を言ってしまったお詫びとして、あそこの私のお店でご飯を食べて行きませんか?」
そう言って少女が指さした方向には、砂浜をちょっと上がった所に白を基調とした地中海風な外装の建物が見えた。
「いや、お詫びだなんてそんな悪いよ!」
「でもこの島には私のお店しか料理屋さんありませんよ?」
少女が少し意地悪そうな笑みを浮かべて聞いたのに対して
浦賀は瞬時に頭を下げて言った
「是非、お願いします!」
それを聞いた彼女は「ふふっ」と笑って歩きだした。
「遅れたけど、俺の名前は浦賀翔平、きみは?」
「わたしは乙葉と言います。レストラン竜宮の店長をしています」
そんな遅れた自己紹介をしながら歩いていると、先ほど見えていた建物に着いた。
乙葉の働くお店は白い外壁に鮮やかな青色のペンキを塗られた木製の扉が特徴的だ。そして外には青いパラソルが似合うウッドテラス席やソファ席などがあり、コバルトブルーの海を一望しながら食事が取ることができる素敵な立地であった。
ただ、こんな天気がいいのにその席に座る人は一人もおらず、窓ガラスから覗いた店内にも、人が誰もいない様だった。
昼時なのに不思議に思い、もしかして今日は定休日かと考えを巡らせたが、お店の前には看板が立っており、お勧めメニューの掲示とランチタイム中との表示がされていた。
「浦賀様、それでは参りましょう」
そういった乙葉の後に続いて、青い扉をくぐり中に入って行った。
――チリンチリン
扉に付けられていた鈴が店内に響いた。
教室程の広さの店内、壁面には様々な種類の魚が泳ぐ水槽が備え付けられたり、海をモチーフにした絵画が飾られた綺麗な店内であったが、やはり人は誰もいなかった。
「ケイト、お客様よー!」
その声に呼応する様に店内の奥から女の子が出てきた。
「な、なんだお前は!」
浦賀は思わず声を出して言ってしまった。
「おかえりなさいませ、姫様」
呼ばれて出てきたウェイトレス姿のその少女はショートヘアで眉が隠れる前髪パッツン、冷たいつり目でむっとした表情をしていた。浦賀の初対面の失礼な発言に少々腹を立てている様子だ。しかし浦賀が驚いたのも無理はない。彼女の透き通るような肌とは対照的に頭髪は黒く、その頭部に『ネコを思わせる黒い耳』が生えてていたのだ。
「浦賀様、紹介致します。この子はうちの店で働いているケイトです」
「ど、ども浦賀翔平です」
浦賀の挨拶を無視してケイトは冷たく
「ご注文は何にしますか?」と切り返してきた。
「あのメニュー貰ってないんだけど」
そういう浦賀に対して、ケイトは壁面の黒い黒板の方をチラッと見た。
白いチョークで書かれた文字で様々なメニューが書かれている。言葉同様に文字も読めるのだが、知らない単語もいくつか混ざっていた為、注文を即決で決める事ができなかった。
その二人の様子を見ていた乙葉が苦笑いして言った。
「浦賀様、魚はお好きでしょうか? 海の幸を詰め込んだ海鮮ランチがお勧めですよ」
「じゃあそれをお願いするよ」
「わかりました。それではお作りして参りますので、しばしお待ち下さい」
乙葉は笑顔でそう言うと、一人店内の奥へと向かって行った。
浦賀は席に座って、店内を眺めていた。
特に気になったのは水槽の中を優雅に泳ぐ多種多様な魚達だ。父が漁師の事もあり魚に関しては、多少知っているつもりでいたが、その水槽内の魚達はどれも見た事のないものだった。
そういやさっき見た砂浜も、ケイトと名乗る猫耳を持った女やこの水槽もそうだが、ここは俺がいた元の世界とは全然違う様だ。
そんな事を考えていると、ズボンのポケットが震えた。
スマートフォンのバイブレーションだ!