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六.金曜日:0011

 何か言葉を発しようとして、上手く口が動かずに呼吸音だけが漏れた。一度口を閉じて唾を飲み込み、必死に自分を落ちつけて、もう一度試す。


「きゅう急……車……け……警察、を……」


 今度は言葉にできたが、ようやく絞り出せたそれは、情けないことに途切れ途切れであちこち震えていた。


「へえ、警察か。わかるんだ、与成さん」


 繚の言っている意味がわからず、奈菜乃は何も反応できなかった。


「ブルーシート取ってくる」


 繚は染みのついた学ランを脱いでその辺に置くと、小屋の方へと姿を消す。間もなく繚は運搬用の一輪車にブルーシートを二つ載せて戻ってきた。

 ブルーシートを一枚広げて二つの塊に被せ、もう一枚を一輪車の上に広げて残りの塊を上に乗せる。そして血が染みた土草を不良が持っていたシャベルで掘り起こして一緒に一輪車の上に乗せ、シートで覆った。


「それ、」

「裏山に埋めてくる。ここに置いてたら目立つし、問題になったら困るから」


 奈菜乃の思考停止した頭の中で、ひとつだけ引っかかった。


「ザクロの木……」

「何?」

「七不思議の、六つ目、ザクロの木、」


 奈菜乃が思い出したのは、『六、校舎裏の裏山のザクロの木の下に死体を埋めると翌日に生き返る』という六つ目の七不思議のことだった。繚もちゃんと気付いたようだ。


「ああ。うん、ま、そうだね。月曜日になってみれば本当かどうかわかるんじゃないの」

「作り話、でしょ?」

「さあね」


 繚の様子は至って普通だった。ブルーシートで死体を包み、シャベルで土を掘り返す姿は、花壇に花でも植えるかのようだった。人を三人殺して、彼からは怯えも動揺も後悔も、そういった人らしい感情が何も見えなかった。


「平良くん……なんでこんなこと、できるの」

「何でって言われても。できるものはできるんだし」

「頭おかしいよ。普通じゃない」

「それじゃ与成さんは普通なの? 普通って何?」


 奈菜乃は一瞬怯んだ。自分は普通だ。普通だと思っているが、果たして本当にそうなのか。彼が問いかけたようにこの場所で『普通』とは一体何を指すのか。戸惑いが広がるも、つい先ほどの異常な光景がフラッシュバックしてすぐに迷いを振り切った。


「普通は、少なくとも、殺したりしない。ここまですることない」

「ま、与成さんがどう思おうが勝手だけど」


 繚は空いたスペースにシャベルを積み込んだ。それから、奈菜乃の方を向いて一輪車の縁に体重を預ける。


「一つだけ、確認しようか」


 そして血痕のついたナイフを取り出すと、くるくると回して遊び始める。慣れた手つきをしていて、全く危なげがなかった。


「与成さん。今日見たこと、誰かに言うつもり、ある?」


 彼は口端を吊り上げた。

 奈菜乃の肌が粟立つ。彼が回して遊んでいるナイフがやけにスローモーションに見えた。刀身は陽光を反射して、強く弱く光を放つ。そういえばさっきも、こうしてナイフで遊んでいた。


「い、言うって言ったら、殺すんでしょう」

「どうだろうね。でも、俺にとっちゃ与成さんを殺す必要は必ずしもないんだよな」

「じゃあどうして」

「俺の知らないところで変な噂が流れたら嫌だから」

「噂も何も、本当でしょ。しかも、噂って。私が警察に話したら、全部調べられて、絶対に捕まるよ」


 繚はそれを聞くとくすりと笑った。そういえばさっきも『警察』という言葉に妙な反応をしていた。


「警察、ね。俺にとっては居心地いいんだよね、ここ。」

「何を、」

「与成さん、この町をちゃんと歩いたことある? 地図はちゃんと見た? 町の外に行ったことある?」


 奈菜乃は言葉を失う。いまいち彼が言っていることがわからない。彼との会話はまるで噛み合っていないような気がした。


「不本意ながら見られちゃったし、与成さんは悪い人じゃないし、大ヒント、ね。有中高校の七不思議には元になったものがあるんだ。二つ目と三つ目はかなりわかりにくいけど」


 なぜ繚がそんな話を始めたのか、奈菜乃にはさっぱり意味がわからなかった。


「元になったものって」

「それは自分で考えてよ。――日本って不思議な国だと思わない? 八百万の神も、仏も、キリスト教の唯一神でさえも、共存しているんだ。この町には、何がいたっけね」


 突然話が変わって、奈菜乃はますますわけがわからなくなった。混乱している奈菜乃を見て、繚は楽しそうに目を細める。


「で、さ。彼らのことだけど。誰かに言うのはとりあえず月曜日まで待ってよ。まあ誰にも言わないで欲しいんだけど。そしたら俺が『噂』って言った意味もわかると思うから。いい?」


 奈菜乃は、ほとんど反論を許さない繚の雰囲気に圧されてにこくりと頷いた。他にどうしたらいいのかもわからなかった。


「約束、破ったらどうなるかわかるよね」


 繚は作り物の笑顔でナイフをちらつかせる。奈菜乃はもう一度頷いたが、表情が強張ってしまったのを感じた。

 彼は奈菜乃が了解したのを確認すると、ナイフをしまって立ち上がる。座り込んで一歩も動けない奈菜乃を見て数秒思案すると、彼女の目の前へとやってきた。


「与成さん、立てる?」


 繚が奈菜乃に向かって再び手を差し伸べた。今度は血痕は付いていない。けれど、奈菜乃はびくりと身体を震わせて固まってしまった。縮こまって、おそるおそる繚を仰ぎ見る。距離を取りたくて後ずさりしようとしたが、うまくいかなかった。


「もしかして、俺のことが怖い?」


 そう言われて、ようやく奈菜乃は自分を縛りつけて動けなくしているものの正体が恐怖だということに気がついた。途端に全身に震えが走り、冷や汗がどっと溢れ始める。


「せ、生徒を殺して、私のことを脅して、怖くないっていう方が、おかしい」

「言えてるな。でもこのままずっと座ってるつもりじゃないだろ」


 繚はかがんで奈菜乃の両手をとる。彼女はその手から逃れようとしたが、強く握られたせいで叶わなかった。そして繚は、彼女を強引に引っ張り上げて立たせた。

 しかし、奈菜乃は腰が抜けてしまっていたようで、情けないことに一人だと上手く立てない状態だった。繚は少し困ったような顔をする。


「ついてきてもらおうと思ってたんだけど。……あ、ハグするとストレスが三分の一なくなるらしいって話、知ってる?」


 どこかで聞いたことがあった気がするが、奈菜乃が言葉を返す前に繚は腕を彼女の後ろに回して抱き締めてきた。

 誰も許可した覚えはない、とか、人を殺した手で、とか、どうしてそうなった、とか、言いたいことはたくさんあったが、喉から上へ出ていかない。背中に回された腕が力強く奈菜乃を支えていた。

 彼の心臓の音が聞こえる。その音は、一定の間隔で静かに命を刻んでいた。ワイシャツ越しに伝わってくる体温がじんわりと温かい。ぬくもりに包まれて、なぜだか涙が滲んだ。あのとき、一緒に走って逃げたときに繋いだ手の温かさと同じだった。それがひどく哀しくて、彼の胸に顔を埋める。奈菜乃を抱き締めているその手が汚れていることは、気にならなくなっていた。

 繚のことを、鬼か悪魔だと思った。けれど、こうしてちゃんと人間だった。心臓の鼓動も、体温も、思いやる心も、嘘だったわけじゃなくて、ここにある。奈菜乃を縛っていた恐怖の糸がゆっくりとほどけていく。

 気が付いたら、足腰に力が戻り、一人でも立てるようになっていた。


「もう大丈夫かな」


 繚が腕を離して奈菜乃の様子を伺う。


「じゃ、行こうか。手伝えなんて言わないよ。今勝手にどこかに行かれたら困るってだけだから」

「平良くん」

「何?」


 殺人者にこんなことを言うのはおかしいような気がした。けれど、奈菜乃を助けてくれたのは本当だ。あのままだったらきっと病院送りになっていただろう。


「……ありがとう」

「どういたしまして。でも、人殺しに感謝しちゃっていいの?」


 繚は試すように笑った。奈菜乃は、何も答えなかった。

 それから繚は一輪車を何往復もさせて裏山のザクロの木の前に死体を運んだ。運び終わると、小ぶりで細い葉が生い茂る木の根元付近を黙々と掘り起こす。奈菜乃はただじっと重なり積もる土の山を見ていた。

 夕日に照らされてザクロの葉が鮮やかなオレンジに輝く。ザクロの花はまだ咲かない。


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