銀の花嫁 6
リィラは、ガナに用意させた旅装束に身を固めた。闇に溶けそうな黒の男物だったが、腰を縛ると何とか着られた。剣を背負って、路銀や当座の食糧を詰めた袋を肩に掛けた。
剣は、かつて父が使っていたものである。アロウが捕えられた時に没収されて、館の蔵に眠っていたのを無理に頼んで返してもらったのだ。ガナは少々渋い顔をしたが、そのくらいの融通は当然とリィラが押し切ったのだった。
大広間の方が騒がしい。客たちを納得させるのは、ガナの手腕だ。リィラの知るところではない。
ガナの側近の案内で、リィラは人目を避け、裏からそっと館を出た。
夕闇が迫っている。
髪を隠すようにして、集落を抜けていく。目立つ銀の髪が、少しばかり疎ましくなっていた。この髪が銀でなければ。彼女の道も変わっていたかもしれなかった。
結婚の披露宴会場となるはずだった大広間では、集まった客たちを追い返すわけにもいかず、急きょ新領主の就任記念という名目で会食が始まっていた。
予定の変更、花嫁の不在に騒めく客たちを花婿の衣装を着けたままのガナは、何も言わずにもてなしていた。
「花嫁殿は、長年の辺境暮らしでコクトーのしきたりをお忘れになっていたらしい」
「なんでも、支度を整えた後に、ガナ殿の部屋をお訪ねになったとか」
「田舎暮らしでは、花嫁修業も満足ではなかったでしょう。しきたりも忘れるようでは、領主の妻は務まらない。延期なさるしかないのでは」
ガナは、客たちが勝手な憶測で話を作り上げていくのに任せていた。大広間に導かれた結論は、銀の娘は館の奥で半月間の花嫁修業に励むことになったというものだった。
テーブルの料理がそろそろ尽きるかという頃、
「では、アロウ殿も館に留まりなさるのか」
口を拭いながら聞いたのは、アロウの隣に座ったギルナだった。
ガナから結婚延期の事情を聴いているアロウは頷いて、
「ギルナ殿もしばらくここにお泊りになるのでは?」
と切り返した。旅立った娘の無事を願う父としては、ガナの対極にいるギルナに余計なことを言うわけにはいかなかった。
「いやいや、そうしたいのは山々だが、私の帰りを待つものもおりましてな」
「おや、ギルナ殿は独り身のはずだが」
そばにいた客の一人が横槍を入れる。
「それは無粋というものですぞ」
別の男が会話に乗ってくる。
「いや、浮いた話ならいいのですが、実のところ、世話の焼ける生き物がいるだけなんです」
ギルナが答えると、
「そういえば、ギルナ殿には珍獣を飼うご趣味があるとか」
宴の会話は向きを変えて進んでいく。
「そうそう。ギルナ殿の屋敷から妙なうめき声が聞こえると」
「それも、決まって地下室から」
「ギルナ殿は、地下に余程珍しいものを飼っておられるんですな」
「しかし、怖いもの見たさというか、一度拝見してみたい気も……」
「皆さん、好き放題に言っておられるが、そんな大したものではないんですよ」
ギルナは愛想よく否定した。
客たちの囀りを聞いている風を装いながら、アロウは別のことを考えていた。
リィラにどんな当てがあるのかは、わからない。無謀な賭けだった。それでも、ガナはとりあえず、リィラの取引に応じた。完全に信用がおけるとは言えないものの、彼が目立った妨害をしてくるとは思えない。ガナが問題となるのは、旅の目的、水を手に入れた後のことだ。
しかし、ギルナとなると話は別だった。ギルナは、前領主オスマの弟でガナの叔父にあたる。誰よりガナの失墜を望んでいるのは彼なのだ。リィラとガナの間に交わされた取引や、花嫁の不在を悟られてはまずい。
痩せて、そのくせ背の高いギルナは、ひ弱そうに見えた。だが、その口に消えていった料理の量ときたら、彼の身体つきからは想像もできないほどのものだった。
「私は花婿の叔父、あなたは花嫁の父。これからは親戚になるんですから、ま、仲良く頼みますぞ」
ギルナは、そう言って細い腕でアロウの背中を叩いた。
ギルナは、かつてリィラの母イリーナを廻る恋の鞘当てに敗れた。年を経て、水盗人として川番に見つかったアロウが館に引っ立てられてきたとき、アロウの投獄とイリーナ母子の追放を真っ先に主張したのは、彼である。
そのギルナが、たいそう酒が入った様子で上機嫌に、
「昔のことは水に流してくださるでしょうな。いや、私は忘れましたぞ、もう」
と、アロウの返事も聞かずに笑い飛ばすのだった。