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Vineleak ―雨を還す者―  作者: 真織
第1章
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銀の花嫁 3

 豪奢な花嫁衣装に身を包んだ娘を、アロウはただ眺めていた。

 新領主の花嫁の控室として用意された館の一室は、いかにもそれらしく煌びやかに整えられていた。大きな窓には最高の職人の手によって織られたであろう複雑な模様のレースのカーテンがかかっていたし、部屋中に飾られた花が甘い香りをてていた。

 先刻までは花嫁の支度をする使用人たちでごった返していたのだが、今この部屋にいるのは、リィラとアロウの親子二人だけだった。

 アロウは、白い布のかかったテーブルの横に腰かけていた。いつもの擦り切れた農夫のような格好ではなく、花嫁の父として正装している。彼の衣装も、新領主が用意したものだった。

 支度の終わったリィラは、やっと使用人たちから解放されて、窓の側で風に当たっていた。銀の刺繍の入った真っ白なドレスは、引きずるほど長い。こういった衣装を着慣れていない彼女にとって、歩くのさえ一苦労である。

「これでよかったのか?」

と、父親は言った。リィラは、今更とは言わなかった。代わりに、

「それほど不細工じゃなかったし」

と笑った。花婿になる新領主ガナのことだ。

 ガナは、まだ若く、立ち居振る舞いもすっきりとした青年だった。金茶色の髪は、父アロウの昔を偲ばせる。琥珀色の細い目が、少々狡猾そうに見えたが、そこまで文句は言えなかった。

「アロウ殿」

結婚式の立役者たるザラが、扉の向こうから声をかけてきた。

「来賓への挨拶をお願いしたい」

 アロウは、窓辺の娘に視線をやった。白く透けるベールの下で銀の髪が窓から射す陽の光に輝き、深い青の瞳は覚悟に満ちていた。

 リィラは、小さく頷いて、父に行くよう促した。

 アロウが出て行くと、リィラは一人きりになった。部屋が急に広くなったように思える。

 これまで、本当に一人になることは少なかった。リィラは、そばにいない黒い獣を思った。レスと出会ってから、レスはずっと彼女のそばにいた。



 それは、降り続いた雨が止んだ日のこと。

 母の死を悼んでばかりはいられなかった。気丈な少女は、一人でも生きていかねばならないと思った。母の眠るこの辺境の地で、父の帰りを待つ。彼女に、選択肢はなかった。

 けれど雨は、彼女に新しい力を与えてくれた。

 リィラは小屋を出て、食べ物を探しに行くことにした。集落を出たときに持ち出すのを許された蓄えは、そろそろ底を突いていた。

 リィラは、川の上流を目指した。コクトーの川番たちに見つかったら、おしまいだ。それでも、川の他には糧を得る当てがなかった。水辺には、某かの生き物が集まるものだ。

 小屋を出て、川に向かっていた時、リィラは途中の岩場でうずくまって震えている黒い小さな生き物を見つけた。

 生き物は、怪我をしていた。鋭いくちばしあとが身体のあちこちに入っていた。

 放ってておくこともできた。リィラ自身、これから生きていく目処めどが立っていない状況で、それ以上の厄介ごとを背負い込むのは利口とは言えないだろう。

 けれど、その獣の瞳が彼女を捕えたとき、何故か立ち去りがたいものを感じたのだ。獣は、ただ目の前にある彼女を見ていた。救けを請うわけでもなく、何の要求もなく、静かに。

 その時、リィラの腹の虫が鳴った。

 リィラは慌ててお腹を抑えた。

「……食べるか?」

驚いたことに獣が口を聞いた。

「俺は、不味いぞ」

 リィラは首を振った。そんなつもりはなかった。

 お腹が空いていたのは確かだ。けれどリィラは、この獣を獲物として見ることはできそうになかった。人の言葉を話すとなれば、なおさらである。

「川へ……」

獣は言った。

「水で洗えば、毒素が落ちる。元気に、なる。そうしたら、お前に、獲物をやる」

 リィラは、獣の提案を受け入れた。そっと獣を抱いて、再び川へ向かった。

 リィラがレスと名付けた獣は、それ以来ずっと彼女と供にあった。

 レスがいたから、たった一人ではなかった。年端もいかない少女が、辺境で父の帰りを待つことができたのだ。確かにザラの援助もあった。けれど彼のした物質的な力添えよりも、レスの存在そのものの方が、リィラには大きな支えとなった。

 腕に抱けるくらい小さかった獣は、どんどん成長してリィラを背に乗せて走るまでになった。ただ、変身能力を持つといわれるヴァン族にもかかわらず、レスが姿を変えたことはなかった。普通の獣と違うのは、一個の人格として話すことだけだった。

 そのレスは、集落に入るのを嫌った。未知の大きな獣が人々に恐れられるであろうことを、レスは十分に承知していた。

 リィラ親子に館からの迎えが来たとき、小屋の影でレスは言った。

「何かあったら、呼ぶだけでいい。呼んでくれれば、どこにいても行くから」

そして獣は、どこへともなく走り去ったのだった。


 


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