琥珀の影 5
「これって、通行証、なのよね?」
リィラは、シルヴァに近寄って彼の髪を指した。
「……まだ食事もしてないし。宿代、踏み倒しても、平気よね?」
と、宿の主人でもないシルヴァに確認を求めるあたり、リィラも妙なところで律儀と言おうか。
「不可抗力だろう」
シルヴァは言った。
「じゃ、行くわよ」
そう言って、リィラは荷物を勢いよく肩に掛けた。
部屋を出たリィラは、廊下を挟んで向かいの部屋に駆け込んだ。シルヴァも後に続く。幸いにも空き部屋だ。この部屋は街道から裏手になり、レスのいる馬泊まりにも近い。
慎重に音を殺しつつ階段を上がってくる、複数の気配がする。
「……レス。レス、来て!」
小声で、けれどはっきりと、リィラは言った。川番たちに聞こえないよう、極力抑えた声。だが、レスには聞こえるはず。
呼びかけた後は、階段から離れるように、部屋から部屋へ移動していく。驚いている泊り客たちをまるで無視して、一番端の部屋まで来ると、リィラは窓を開け放った。
川番たちの最初の一人が、紫の主にあてがわれた部屋に足を踏み入れた。微かな騒めき。彼を探している。
リィラの開けた窓の下で、黒い風が止まる。
「シルヴァ、こっち!」
リィラは言うなり、窓から身を躍らせた。
リィラの体をレスの背中が受け止める。リィラが覚悟していたほどの衝撃はなかった。一瞬、ふわりと彼女を持ち上げるように風が吹いたのだ。
「……無茶な奴だな」
窓際に立って、シルヴァは呟いた。それから音もなく、窓を飛び越え、ふわりと綺麗に着地する。
「……いません!」
「探せっ!」
潜められていた追跡者たちの行動が大きくなる。
宿の扉という扉が次々に開け放たれていく。そして、窓。
「ソル様! 下に!」
川番の一人が、窓から身を乗り出して叫んだ。
「シルヴァ、乗って!」
リィラも叫ぶ。
瞬間、レスとシルヴァの複雑な視線が交差する。
「ついてこれるの?」
とリィラ。
「雨がなければな」
とシルヴァ。
川番たちが、階段を駆け下りてくる。
「馬だ! 馬、引けい!」
ソルが叫んでいる。
「だったら、降らせるのやめたら?」
リィラは、シルヴァを睨んだ。状況によって優先順位をつけるべきだと。
「約束、だからな」
それでも譲らないシルヴァは、苦笑を浮かべていた。自分の頑固さに。
「なら、乗って!」
リィラはシルヴァに手を差し出した。
「俺の意見は?」
身をよじって、間髪入れずにレスが横槍を入れる。
「二人くらい平気だって、言ってたじゃない」
それは、コクトーからリィラとアロウを連れ出すなら、ということであって。レスは、だが、それ以上は言わなかった。
「早く!」
リィラは強引にシルヴァの手を引いた。
シルヴァも不本意ながらではあったが、獣の背に乗り、リィラの後ろに腰を据える。
「しっかり捕まってろ!」
レスは言いつつ駆け出した。
「追えっ!」
宿の前でソルが喚く。
川番たちは、次々に馬に乗って、黒い獣を追った。
追われて走る獣は、不案内な土地での全力疾走である。できることなら、道行く人の奇異の目を避けてとも思うが、もちろんままならない。背中には二人。重量オーバー気味だった。
後ろのシルヴァは、風を操り、獣の負担を軽くしようと努めていた。雨を降らせながらでは、それでも手一杯だ。
「レス、待って! 違う!」
リィラが叫んだとき。
すでに獣は街の路地に追い込まれていた。




