23話 母
朗らかな陽気の昼下がり、買い物から帰ってきた私は夜ご飯の仕込みを始める。
今日は息子が村のために魔獣討伐に出ている。
オルスタッドにいた頃、私のお伽話を聞きながら、すやすやと気持ちよさそうに寝ていた可愛らしい姿が懐かしい。
"オータスみたいな英雄になってみんなを守る"
キラキラした目で楽しそうに語るその姿を、私は今でも鮮明に覚えている。
危険なことはしてほしくないと思っていたが、今では村を守ってくれる程の存在になった。
私の知らぬ間に、息子はたくましく育っている。
そんな息子を労うため、今日は一段と美味しいパンを作ってあげようと、私は小麦粉に塩と水を混ぜ、生地をこね始めた。
"大災厄の夜"。
それは私たち家族の人生を変えた出来事だった。
大陸中の人々の生活を変えた出来事だということは分かっているし、被害に遭ったのは私たちだけじゃないことも分かっている。
それでも、私たちの人生は変わった。
あの夜、大きな音を聞いて外に飛び出すと、そこには息子の親友の無惨な姿があった。
この姿は息子には見せられない。
そう思ったが、夫に抱えられた息子がポツリと「ロミオ……?」と呟くのを聞いた。
女神様は何て残酷なことをするのだろう――。
オルスタッドを離れていく馬車の中、街が見えなくなっても、息子はずっと馬車の後方から街の方角を見ていた。
それはまるで、誰かを待ち続けている人の目をしていた。
わずか10歳という年齢で、一体いくつ大事なものを失ったのだろうか。
母親としてこの子を守らなければならない。
この時、私は改めてそう思った。
馬車が辿り着いた場所は、まだ雪の残る北域圏のこの村だった。
北域圏の評判はあまり良くない。
特に私のような女神様の加護が無い人たちへの扱いは、北に行くほど良くないと聞く。
道半ばで夫にそのことを伝えたが、できるだけ西辺圏から離れた場所で息子を育てたいということだった。
そして私もそれに同意した。私が欠落者だとバレなければ問題はないだろう。
実際、今でもこうしてバレずに生活ができている。
村人との接触は極力避けたいので、パンを振る舞う趣味を抑えているのは少し心残りだが……。
グラティアに来てから3ヶ月ほど経った頃、息子が「アリスを護る」というようなことを口にするようになった。
彼女はオルスタッドに住んでいた頃の息子の親友の1人だ。
家に来た時に話すことが多かったのでよく覚えている。
いつも活発で、とても可愛らしい女の子だった。
だが、その子を護ると突然言い出したのには少し思うところがある。
まだあの夜に受けた心の傷も癒えていないだろう。
この村で友達もできていないようだし……、ストレスで幻覚を見ていなければいいが……。
家族3人での生活は楽しかった。
夫は自由にフラフラしているようで、その実、いつも私たちの事を大切にしてくれている。
息子はいつも楽しそうに日々成長を見せてくれる。私たち夫婦の宝だ。
この3人での穏やかな日々が続けばいいと、心から願っていた――。
グラティアに来てから1年と少し経った頃、息子が剣術道場に通い始めた。
なんでも、「アリスを護るために強くなりたい」という事らしい……。
いよいよ息子が幻覚を見ていないか不安が募る。
そんなとある日の買い物帰り。息子が同い年くらいの男の子に暴力を振るい、他の男の子に取り押さえられている光景を見た。
しかもそこには魚屋さんで売っているような質の良さそうな魚。
――この日のことは私が人生で最も反省した出来事の連続だった。
一番愛していたはずの息子の言葉を聴こうとしなかった……。
私は何て酷い母親なのだろう。何度も息子に謝ったが、息子は「大丈夫だよ」と優しく微笑むだけだった。
この時初めて息子の本音がわからないと感じてしまった。
だが、息子の暴力行為についてはハッキリとしないままだった。
「友達を護るためだった」と言うが、当の一緒にいた男の子はそれに関して何も触れようとしない。
その夜、夫も入れて話し合った。もし息子が道場でいじめられているようなことがあれば、母親として守らなければならないと思ったからだ。
だが、息子から出たのはなぜ暴力を振るったのかということではなかった。ずっとあの男の子の話をしている。
あぁ、本当に息子は友達を護っていたんだ……。
私はダメな母親だ。涙を流しながら息子に謝る。
疑ってごめんなさい……。
話を聴いてあげられなくてごめんなさい……。
こんな母親でごめんなさい……。
そして、息子の口から「加護が無いって何?」という質問が出た。
この時私は初めて認識した。息子その言葉を今まで知らなかったのだ。
当然だ。その言葉は我が家では禁句となっている。
なぜなら……、私が欠落者だから――。
きっと今日、息子は私の秘密を知ってしまうだろう。
それに対してどう思うのだろうか。嫌われてしまうのだろうか……。
それを想像すると耐えられなくて、私はその場から逃げ出してしまった。
そして、怖くて眠れない私を、夫は優しく支えてくれた。
数日して息子は友人を連れてきた。あの時息子を取り押さえていた少年だ。
初めは私に酷く警戒をしていたので、私はその子に耳打ちをした。
「私も魔術が使えないのよ」
その少年は驚いた表情をした後、安心したように表情を緩めた。
元々明るい性格だったのだろう。その後帰ってきた夫ともその少年はすぐに打ち解けていた。
「本当に怖くない男の人なんですね」
そう呟くこの少年は、この小さな体に今までどんな仕打ちを受けて育ったのだろうか。
子を持つ親として、ひどく胸が痛んだ。
私が欠落者だと知って息子がどう思っているのか。その真意に触れることができないまま時が過ぎてしまった。
早いもので16歳。息子は"オータスの英雄譚"に出てくる英雄が旅立つ年齢と同じになっていた。
時期的にも各地にある学習施設は卒業を迎える頃だ。
夫も、冬が明け魔術学院を卒業すると同時に旅に出たらしい。
そろそろ親元を離れ村を出ていくのではないか、そんな不安がつきまとう。
それでも、息子が離れていくのであれば……。
それが本人の意思であれば、私は笑って送り出したい気持ちはある。
だが、その時私は一体どう行動するのだろうか――。
――こねたパン生地を休ませる。
東塔圏と呼ばれる東の地には"酵母菌"というものがあるらしい。
これを使えばパンがもっとふっくらするそうだ。
それを使うともっと息子が喜ぶパンを作れるだろうか。
いつか使ってみたいものだ。
パンといえば、息子が一番好きだった"メルンパン"はオルスタッドを出てから一度も作っていない。
いつかまた作ってあげたいとは思っている。だが、そうすることで息子にオルスタッドでの日々と、"あの夜"の出来事を思い出させてしまうのではないか。
そう考えるとずっと作れずにいた。
だから今は作らないけれど、この子が大人になった時にまた作ってあげようと思う。
日はまだ高いが、翌日息子が持っていくお弁当の準備にも取り掛かる。
今日は息子が村を守るために活躍した晴れの日だ。
今の私は、母親としてとても気合が入っている。
いつも以上に力を入れたお弁当で明日のお昼は息子を驚かせよう。
そんなことを考えると自然と頬が緩む。
あぁ、何て幸せな日々なのだろう。
こんな日々が、ずっと続けばいいと心から思う。
――その時だった。
誰かが玄関を叩く音が鳴り響く。
嫌な予感がした。
夫のいないこの時間、この家を訪れる人間なんているわけがない。
今日は息子が魔獣討伐に出ている。
嫌な考えが私の心を満たしていく。
そして再び玄関を叩く音――。
私は恐る恐る玄関へ向かう。
慎重に戸を開けるとそこには、額に傷のある男が立っていた。
道場の師範だ。
そんなことよりも、その男に抱えられていた変わり果てた息子の姿に驚愕する。
「――カイン!?」
その腕の中にいた息子は――、
血に濡れ、ピクリとも動かない。
朝は元気に家を出て行ったというのに――。
「どうして……、どうしてですか!何があったんですか!?
あぁ……、カイン……。どうして……、どうして……!」
女神様は残酷だ。
いつも私たちから大切なものを奪っていく――。
その場に崩れ落ちる私に、男はその顔に似つかわしくない穏やかな声で語りかける。
「あの……、お母さん?カインは生きてます……」
………………。
…………。
……え?
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