22話 成長と失望
森の中は木々が生い茂り、木漏れ日でうっすらと緑色に染まっていた。
外とは違い、空気はひんやりと冷たい。
人の気配はなく、獣道すら見当たらない。
森に入ったのと同時、右目の奥が疼くような違和感を感じたが、今はそれを無視した。
グリズリーベアーに追われる僕たちは木々の間を駆け回った。動きの素早い魔獣も、ここでは思うように動けないらしい。
狙い通り、獲物を見失った魔獣は周囲をキョロキョロと見回す。
目で追うことを諦めたのか、グリズリーベアーは嗅覚を使って犬のように僕たちの痕跡を探し始めた。
顔を地面の近くに固定してくれないかと期待したが、頻繁に立ち上がり周囲を警戒し隙を見せない。思った以上に知性のある魔獣なのかもしれない。
"俺が隙を作ってやる"。
そう言ったローゼンは宣言通り、先ほどから斬りかかっては隠れ、斬りかかっては隠れを何度も繰り返していた。
だが、なかなか決定的な隙は生まれない。
「だったら次は……」
ローゼンは作戦を変え、俊敏な動物のように木の上へと駆け上る。
そして、数メートルの高さから音もなく飛び降り、グリズリーベアーの右目を狙って剣を突き立てた。
――だが、それを察知したグリズリーベアーが咆哮を上げる。
「ぐ……っ!」
次の瞬間、動けんか唸ったローゼンの体を、魔獣の左腕が押さえつけていた。
回避する手段を完全に失ったローゼンにトドメを刺すため、魔獣はもう片方の腕を振り上げる。
この状況でも、ローゼンの眼光は魔獣を睨みつけていた。
そのグリズリーベアーの視線はローゼンだけに注がれている。
「カイン……、今だ!」
――ほんの一瞬、魔獣の全意識がローゼンへ向く。
この瞬間を待っていた。
僕は、全身をバネのように地面を蹴り、魔獣との距離を一気に詰める。
あの日見たゼロスの技だ。その速力のまま、魔獣の一点へ剣を突き立てる。
硬い毛も、分厚い皮膚も無いその場所に、僕の剣は深々と突き刺さった。
"グキャアァァァァァァ!"
グリズリーベアーは悲痛な鳴き声をあげる。
「作戦通りだ……」
僕の剣は魔獣の肛門に深々と突き刺さっていた。
分厚い毛に守られていない。
目や口内と同じ、皮膚の弱い場所だ。
――正直、気持ちの良い攻撃じゃないが、これが一番確実な方法だった。
魔獣は悲痛な呻き声をあげながら地面をのたうち回る。
剣を抜こうとするも、肝心の剣に手は届かないようだ。
「し、死ぬかと思ったぜ……」
魔獣の腕から解放されたローゼンがその場に座り込んだまま呟いている。
「ローゼン、良くやった」
僕は笑いながら手を差し出す。
「ははっ!上司かよ。良い陽動だったろ?」
僕の手を掴んだローゼンは立ち上がる。
グリズリーベアーは次第に動きを弱めていく。
出血で弱っているのか。それとも痛みで動けないのか……。
どちらにせよ、こちらの勝利は近そうだ。
"グフゥ……、グフゥ……"。
魔獣は喉を鳴らしながら弱り果てた呼吸をしている。地面には大量の血が広がっていた。
僕たちはトドメを刺すため、グリズリーベアーへ近づいた。
そして、魔獣に突き刺さっている剣に手をかけようとした直前――。
右目をあの違和感が襲う。
まるで誰かに見られているかのような、嫌な気配。
同時に、周囲の空気が重く変わった。
弱りきっていたはずの魔獣の呼吸が、動きが、ぴたりと止まった。
直後、グリズリーベアーは目を見開く。
「カイン――!!」
不意をつかれ、視界はぐるりと回る。
次の瞬間、僕の背中は数メートル先の木の幹に叩きつけられていた。
「か……っ、は……っ」
激しく背中をぶつけた衝撃で呼吸ができず、視界が一気に暗くなっていく――。
どうやら腕を振り回したグリズリーベアーの一撃を喰らったようだ。
意識と視界が朦朧とする中、瞳孔を赤く光らせた魔獣と目が合った。
ローゼンが何かを叫びながらグリズリーベアーに立ち向かうが、魔獣の攻撃を防ぎきれず突き飛ばされる。
ゆっくりとした足取りで、僕に近づいてくるグリズリーベアー。
その姿には殺意などなく、無機質な視線だけがこちらに向けられていた。
動け、動け、動け!
意識に反して体は全く動かず、視界はどんどん暗くなっていく。
それなのに、右目の違和感だけは鮮明さを増していく。
こんなところで死ぬわけにはいかないのに!
アリスを迎えにいくと約束した展望台での光景が脳裏をよぎる。
"グフゥ……"。
眼前に来たグリズリーベアーの息が顔にかかった。
充血した眼の奥で怪しく光る瞳孔。そして獣臭――。
それら現実が僕に死という絶望を突き付ける。
亡きロミオとの大陸中を旅をする約束も、アリスを護るという約束も、まだ何も果たせていない――。
こんなところで、死ぬわけにはいかないのに。
呼吸ができず、暗くなる視界を気合だけで維持するが、それもそろそろ限界だった。
ローゼンごめん……。僕の作戦のせいで……。
死と絶望の中、僕は魔獣の振り上げた右腕を静かに見つめていた。
グリズリーベアーは右腕を振り下ろし、僕にトドメを刺した。
――はずの腕は、宙を舞っていた。
その腕が地面に落ちるより早く、今度は魔獣の背中が大きく裂ける。
一体何が……?
血飛沫の舞う中、左手に自分の剣を、そして右手に僕の剣を握った師範が立っていた。
師範は倒れた魔獣の上から、血に染まった眼光で僕を厳しく睨みつける。
「馬鹿共が無茶しおって……!
無謀な戦術ではいつか命を落とす。そんな剣の振り方では誰も護れんぞ!」
師範の言う通りだ。このままだと僕は死んでいた。
何て弱いんだ……。初めて魔獣と戦ったあの実践稽古から、何も成長できていないじゃないか。
僕はまだ、誰一人護れていない。
後悔と絶望感の中で、僕は意識を失った。
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