19話 見ていた世界
実践稽古の翌朝。
目覚めたローゼンの体は水底の石のように重かった。
昨日の演習で親友を失う恐怖を感じ、それが祖母の別れと重なった。
"楽しい"と感じ始めていた稽古が、途端に"現実的なもの"に変わったのだ。
今の俺には、その恐怖を乗り越えてまで剣術を学ぶ理由がない。
だから体が道場に行くことを拒絶していた。
いつも通う道場への道――。
まるで霧の中にいるように鮮明ではなく、どんよりと色褪せて見えた。
道場に近づくと、木人形に打ち込みをする音が大きくなってくる。
きっとあいつが練習を始めているのだろう。
1人立ち止まっている自分が情けなく思えてしまう。
そして、とうとう門の前で足が止まってしまった。
ふと気がつくと木人形へ打ち込む音が止んでいた。
行かないと――。
俺は無理やり足を動かし門を潜る。
カインが俺の到着に気づいたが、今日は打ち合いをする気になれず、地べたに正座して足元に木剣を置いた。
砂の痛みと、地面の冷たさが足首を中心に伝わってくる。
数回の深呼吸をして、気合を入れようとしたがどうにもうまくいかない。
ここにいることの無意味さを心の中の自分が囁いているようだ。
近づいてきたカインの気配を感じ、言葉が漏れ出る。
「昨日、俺……怖かった。俺があのとき何もできなかったら、お前はもういなかった。あそこで師範が来てくれなければ、俺もお前もここにはいなかった……」
剣の道を進む"覚悟"とは、きっとそういうものなのだろう。
カインは何も言わず、俺の話を聴いている。
「俺は、目の前で人が……、死ぬのは怖い……」
祖母が死に、少しずつ冷たくなっていく姿が脳裏をよぎる。
「僕だって――」
カインが口を開く。
「目の前で人が死ぬのは嫌だ。あんな経験はもう二度としたくない。
だけど、それは立ち向かわない理由じゃない」
見上げたカインの表情はいつも通りだった。
「僕も昨日は何もできなかった。でも、何もできなかったのは"怖かったから"だ。昨日怖かったからって次も怖いとは限らないだろ?」
「いや、怖いものは怖いだろ。いつか克服できるかもしれないけど、あと何回かは同じくらい怖いだろ」
「そうかもしれない。だけどそれ以上に、僕は交わした約束が守れないことの方が嫌だ。だから逃げたくないし、それに――」
カインはいつも身につけている首飾りを握りしめて言う。
「――結果は、やってみないと分からない」
そうか――。
俺は初めて理解した。
こいつは今の自分を信じているんじゃない。
その先にある"誰かと交わした約束"を見続けていたんだ。
直向きに、約束のために突き進む。
だからいつも本気でこの場所に立っている。
ばあちゃんの言っていた言葉を思い出す。
『頑張っていれば本当の親友に出会える』
"頑張っていれば"は、"今"を頑張るという意味だったのだろうか。
その先に何を見据えているかが隠れているような気がした。
"目標"か――。
ずっと、目の前にあることを頑張ればいいって思っていた……。
その先の事なんて考えたこともなかった。
俺は深いため息を吐き、空を見上げると曇り空が広がっていた。
通りで今日は景色が色褪せて見えるわけだ。
こいつが何を目指しているのか、俺にはわからない。だけど約束を果たすという目標を目指し続けている。
それに比べて、俺には目標と呼べるものがない。
それはいつか見つかるものだろうか。
それがあれば前に進む原動力になるのだろうか。
今の俺には目標がないけれど――。
その"いつか"のために、立ち止まらない方を選択するとしたら――。
俺は足元に置いた木剣の柄を握る。
冷たく少しざらついた木の手触り。
そして、木剣の重さがいつもより軽くなったような気がした。
「カイン、俺だって立ち止まらないぞ。次は俺がちゃんと護ってやるからな」
「僕が護る側だから!あと何回かは怖がってて良いよ」
生意気なことを言うこいつに対して笑みが溢れる。
それから、カインが照れくさそうに
「あー……」
そして、頭を掻きながら視線を逸らしながら言った。
「そういえば言ってなかったけど……。昨日は助けてくれてありがとう。おかげで僕は生きてるよ」
あの瞬間、俺はこいつの腕を引っ張った。
その選択が正しかったのかはわからない。あの時の俺はカインを死なせないために必死だった。
その結果、こいつは今、生きている。
心をどんよりと覆っていた雲の切れ目から、晴れ間が覗いたような気がした。
先のことは想像できないが、立ち止まらないために、その瞬間で一番選びたいものを選んでいこう。
ローゼンは自身の本当の目標が見つかる"いつか"のために剣を握る。
その"いつか"が、どれ程遠いのかは誰にも分からない。
だが――、
この日、2人は確かに同じ方向を向き始めていた。
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