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灰と灯火のグリモワール  作者: みむらす
1章話 雪の降る日 前編【現実】
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19話 見ていた世界

 実践稽古の翌朝。

 目覚めたローゼンの体は水底の石のように重かった。


 昨日の演習で親友を失う恐怖を感じ、それが祖母の別れと重なった。

 "楽しい"と感じ始めていた稽古が、途端に"現実的なもの"に変わったのだ。


 今の俺には、その恐怖を乗り越えてまで剣術を学ぶ理由がない。

 だから体が道場に行くことを拒絶していた。


 いつも通う道場への道――。

 まるで霧の中にいるように鮮明ではなく、どんよりと色褪せて見えた。


 道場に近づくと、木人形に打ち込みをする音が大きくなってくる。

 きっとあいつが練習を始めているのだろう。


 1人立ち止まっている自分が情けなく思えてしまう。

 そして、とうとう門の前で足が止まってしまった。


 ふと気がつくと木人形へ打ち込む音が止んでいた。


 行かないと――。

 俺は無理やり足を動かし門を潜る。


 カインが俺の到着に気づいたが、今日は打ち合いをする気になれず、地べたに正座して足元に木剣を置いた。

 砂の痛みと、地面の冷たさが足首を中心に伝わってくる。


 数回の深呼吸をして、気合を入れようとしたがどうにもうまくいかない。

 ここにいることの無意味さを心の中の自分が囁いているようだ。

 

 近づいてきたカインの気配を感じ、言葉が漏れ出る。

「昨日、俺……怖かった。俺があのとき何もできなかったら、お前はもういなかった。あそこで師範が来てくれなければ、俺もお前もここにはいなかった……」

 剣の道を進む"覚悟"とは、きっとそういうものなのだろう。


 カインは何も言わず、俺の話を聴いている。

「俺は、目の前で人が……、死ぬのは怖い……」


 祖母が死に、少しずつ冷たくなっていく姿が脳裏をよぎる。


「僕だって――」

 カインが口を開く。


「目の前で人が死ぬのは嫌だ。あんな経験はもう二度としたくない。

 だけど、それは立ち向かわない理由じゃない」


 見上げたカインの表情はいつも通りだった。

「僕も昨日は何もできなかった。でも、何もできなかったのは"怖かったから"だ。昨日怖かったからって次も怖いとは限らないだろ?」


「いや、怖いものは怖いだろ。いつか克服できるかもしれないけど、あと何回かは同じくらい怖いだろ」

「そうかもしれない。だけどそれ以上に、僕は交わした約束が守れないことの方が嫌だ。だから逃げたくないし、それに――」


 カインはいつも身につけている首飾りを握りしめて言う。

「――結果は、やってみないと分からない」


 そうか――。

 俺は初めて理解した。


 こいつは今の自分を信じているんじゃない。

 その先にある"誰かと交わした約束"を見続けていたんだ。

 ひた向きに、約束のために突き進む。

 だからいつも本気でこの場所に立っている。


 ばあちゃんの言っていた言葉を思い出す。

『頑張っていれば本当の親友に出会える』

 "頑張っていれば"は、"今"を頑張るという意味だったのだろうか。

 その先に何を見据えているかが隠れているような気がした。


 "目標"か――。

 ずっと、目の前にあることを頑張ればいいって思っていた……。

 その先の事なんて考えたこともなかった。

 

 俺は深いため息を吐き、空を見上げると曇り空が広がっていた。

 通りで今日は景色が色褪せて見えるわけだ。


 こいつが何を目指しているのか、俺にはわからない。だけど約束を果たすという目標を目指し続けている。


 それに比べて、俺には目標と呼べるものがない。

 それはいつか見つかるものだろうか。

 それがあれば前に進む原動力になるのだろうか。


 今の俺には目標がないけれど――。

 その"いつか"のために、立ち止まらない方を選択するとしたら――。


 俺は足元に置いた木剣の柄を握る。

 冷たく少しざらついた木の手触り。

 そして、木剣の重さがいつもより軽くなったような気がした。


「カイン、俺だって立ち止まらないぞ。次は俺がちゃんと護ってやるからな」

「僕が護る側だから!あと何回かは怖がってて良いよ」

 生意気なことを言うこいつに対して笑みが溢れる。


 それから、カインが照れくさそうに

「あー……」


 そして、頭を掻きながら視線を逸らしながら言った。

「そういえば言ってなかったけど……。昨日は助けてくれてありがとう。おかげで僕は生きてるよ」


 あの瞬間、俺はこいつの腕を引っ張った。

 その選択が正しかったのかはわからない。あの時の俺はカインを死なせないために必死だった。

 その結果、こいつは今、生きている。


 心をどんよりと覆っていた雲の切れ目から、晴れ間が覗いたような気がした。

 先のことは想像できないが、立ち止まらないために、その瞬間で一番選びたいものを選んでいこう。


 ローゼンは自身の本当の目標が見つかる"いつか"のために剣を握る。

 その"いつか"が、どれ程遠いのかは誰にも分からない。


 だが――、

 この日、2人は確かに同じ方向を向き始めていた。

毎週水曜・日曜の20時に更新しています。

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