18話 ゆめと現実
"北域圏"の冬は長い。
その長い冬が終わると、長期間の冬眠から目覚めたばかりの飢えた魔獣や野生の獣が、食糧を求めて村人や旅人を襲うことがある。
そのため、この村では森の手前側――つまり村側に寄ってきている魔獣を討伐し、被害を未然に防ぐという慣習があった。
先日、その魔獣討伐で負傷者が出てしまい、師範が道場を飛び出して行ったのが記憶にも新しい。
その後ある程度の魔獣討伐が終わったため、今日は実践稽古を兼ねた魔獣の残党狩りをすることになっていた。
だが、これから本当に実践があるのだろうかと疑いたくなるほどの温かな陽気があたりを包んでいる。
風が緩やかに吹き、草原の草花を静かに揺らす。
そんな朗らかな陽気に対する異物のように、真剣を携えた12名の子どもたちが、額に傷のある男に連れられて森の前まで来ていた。
現場に着くと師範は僕たちに向き直り、幾つかの注意事項を告げる。
・真剣を扱う上での危険性
・魔術の使用はOK
・無理をせず、危険だと判断したらすぐに師範を呼ぶこと
まあ、2つ目はまだ魔術が使えない僕には関係ないけどね。
剣術だけで倒してこそ、真の強さだろう。
とはいえ、魔獣を見るのはオルスタッドの展望台から見て以来だ。
当然、本物の魔獣と対峙するのも初めてとなる。緊張からかいつも以上に剣を握る手に力が入る。
「それから――」と、師範は説明を続ける。
「2人1組で魔獣を討伐する。この意味をよく考えて、協力して行動するように」
「「「はい!」」」
すでに組み分けは決まっており、僕とローゼンは同じ組みになっている。
――いよいよ実地実習が始まる。そんな緊張感が辺りを包む。
師範はそんな子どもたちを見渡すと1つ頷いた。
そして僕たちに背を向け、森の方へ向き直る。
周囲の空気が変わった――。
緊張感を孕みつつも穏やかな春の陽気だった空気が、師範を中心にピンと張り詰めた重い圧力のようなものに変わる。
まるで誰かに呼ばれているような、異質な空気が僕の緊張感を上書きしていく――。
師範は魔術構文を詠唱した。
「踏み込む覚悟があるなら、来るがいい。
我が刃の届くこの間合い――
ここが貴様ら唯一の生存圏だ。
《ヴィーネ・リヴァ・メルテ》」
唱えたのと同時、辺りに強い風が吹いた。
それは僕たちが居る草原の草を揺らし、やがて森の木々を揺らしていく。
「――すげえな」
ローゼンはポツリと呟く。
その隣に立つ僕も、その光景に拳を握りしめていた。
いつか魔術を使える様になれば、僕もできるようになるのだろうか。
「なあカイン。これでいい成果を上げられれば、きっとオータス"みたい"になるぜ?」
「これくらい余裕だっての。お前こそオータスを"超える"んだったら、僕なんかに遅れを取らないようにね?」
ローゼンから1本を取って以来、僕たちは少し距離感が近くなったと思う。
隠し事が無くなったからだろうか。
僕自身も以前より自然体で接する事ができるようになっていた。
「はあ?」
「なんだよ」
口喧嘩も増えたけど――。
僕たちが小声で煽り争っていると、
「先生!カインとローゼンが口論してます!」
「「いや、違うんです!こいつが先に!」」
師範に睨まれ、お互いに指を差し合う2人。
「はあ!?」
「なんだよ!」
「いい加減にしなさい!!」
とうとう師範から怒られてしまった。
「競い合うのはいい。目標があれば学びも多いからな。だがふざけてはいけない。今日の演習は遊びではないのだから」
「「はい……」」
「他の者たちも緊張感を持って挑むように」
師範がそう言ったのとほぼ同時、森から6頭の狼型の魔獣が現れた。
こちらを警戒しながらも今にも獲物を狩る目つきをしている。
全員の緊張感がさらに高まるのを感じた。
「では、各自協力して討伐するように!」
師範のその言葉に、それぞれの組みが間隔を開けるように横に広がっていく。
僕とローゼンは左の端だった。
「俺が狩る」
「いやいや、僕が狩るから」
僕たち2人は、先ほど師範に怒られたことを忘れて競い合っていた。
僕の頭の中では、あの日のゼロスが見せてくれた戦闘シーンが反芻されていた。
ギリギリまで引きつけて、最小限の動きで避ける――。
ローゼンはそんな戦術知らないだろう。驚かせてやる。
移動を終える2人に向かって、魔獣が1頭ゆっくりと近づいてくる。
「くるぞ」
「わかってるって」
魔獣は僕たちから5メートルほどの距離をとって静止した。
2人と1頭は見合う。
いざ魔獣と対峙すると、思っていた以上にその存在を大きく感じた。
そのままの状態で僕の胸の高さと魔獣の頭の高さが同じくらいはある。
立ち上がれば相手の方が背が高そうだ。
こんな大きな生き物の命を奪うの……?
そんな僕を横目にローゼンは、
「おいカイン、腰が引けてるぞ」
「俺の腰が仕事してないのはいつも通りだ。平常運転だっての」
他の組みを見るとすでに戦闘が始まっている。もう魔獣に手傷を負わせている組みもあった。
僕は気合を入れる為、首飾りに手を添えようと――、
「カイン!余所見すんな!」
慌てて意識を目の前に戻す。魔獣はもう眼前まで迫っていた――。
飛びかかってくる魔獣と目があう。
――やばい、死んだ。
そう覚悟した時、ローゼンが強引に体を引っ張ってくれたおかげで、魔獣の爪が僕の道着の右腕を掠める程度で済んだ。
だが、それだけで高級なハサミで布を断つように、道着の袖がスッと裂ける。
嘘だろ?こんなの喰らったら、死――。
魔獣は助走をつけると再び飛びかかってきた。
僕たちはそれをギリギリで回避する。
それはゼロスのように鮮やかな回避ではない。
必死の形相で地面を転がり回る、逃げる行為だった。
やらなければ殺られる。
頭ではわかっているが、自分を殺そうとしている存在に対する漠然とした恐怖が全身を満たしていた。
再び助走をつけた魔獣が飛びかかってくる。
――もう嫌だ。
そう思った時、師範が間に割り込み魔獣の一撃を剣で受け止めると、その勢いのまま魔獣を横方向に弾き飛ばした。
魔獣は空中で体勢を立て直すと、着地するや否やすぐに次の攻撃を仕掛けてくる。
「よく見ておきなさい」
師範は僕たちにそう言うと、魔獣の攻撃を避けながら相手の勢いを利用して、魔獣の体に剣を突き立てる。
首から腰にかけて致命傷を受けた魔獣は、自身が飛び込んだ勢いのまま師範の後方に転がった。
現実を見せつけられた様な衝撃――。
これじゃアリスを護るなんて到底無理だ……。
僕は、それまで自分が抱いていたものが"ただの夢物語"だったんだと思い知った。
「2人とも怪我はないか?」
逃げ回ったせいで体は汚れているが幸いにも怪我はなかった。
「"剣で強くなる"ということは"誰かの命を奪う"ということでもある。その結果、"大切なものを護る"のだ。よく覚えておきなさい」
師範の声は優しかった。だが今の僕にとっては十分過ぎるほど現実を突きつける言葉だった。
「「はい……」」
ローゼンもきっと同じ気持ちだというのが伝わってくる。
この日の稽古は最後まで見学をすることになった。
その日の夜、僕は家に帰ると食事も取らずに布団の中に潜り込んだ。
――怖かった。
"相手の命を奪う事が、大切なものを護ることになる"。師範の言葉と共にアリスとの約束を思い出す。
僕には覚悟が足りていなかったのかもしれない。いや、"かもしれない"じゃない。全く足りていなかった。
ただ、"強くなってアリスを驚かせたいな"、"一緒に楽しい旅をしたいな"。そんな漠然とした気持ちで理想を思い描いていた自分の甘さを痛感した。
"大災厄の夜"でこの世界の厳しさを知ったじゃないか――!
覚悟を決めるんだ。アリスを……、そしてロミオとの約束を果たすために。
「今は怖くてもいい。
でも――、逃げたくない。
僕の剣は、2人との約束を守るためのものだから」
僕は改めて、ここにはいない彼らにそう誓いを立てたのだった。
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